|
第5回 浅草寺及び周辺の宗教建築
いやー今年の正月は9連休でのんびりしました。のんびりしているうちに体重も3キロも増え、TT6号の締切が目前になり、減量をかねて往復徒歩で浅草に取材に行きました。今回は正月らしく浅草寺周辺の宗教建築をとりあげます。

1 |
|

2 |
1●月に五重塔
2●五重塔は慶安元年(1648年)建立。太平洋戦争の昭和20年の東京大空襲で消失。昭和48(1973)年再建。鉄筋コンクリート造。宝蔵門も五重塔同様、昭和39年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造だが耐震建築になっている。 |
普段の浅草は午後3時を過ぎると、人の波がさーと引いてしまう街なんですが、さすがに正月です!夕方5時近くでもこの人です。仲見世なんかまともに歩けませんでした。
金龍山浅草寺は、東京都内最古の寺だそうです。寺伝によると628年にまで遡れるそうですが、鎌倉時代には観音霊場として人気があったという記録があります。
浅草の街は江戸時代後期から芝居小屋や店も多く設けられ、浅草寺の門前町として繁栄していた仲見世ができたのは、江戸時代後期だそうです。その後明治・大正から昭和初期まで賑わいが続きましたが、関東大震災で街の多くを失いさらに太平洋戦争の戦火で浅草寺の本堂や五重塔などを消失し繁栄も続きませんでした。

3 |
|

4 |
|

5 |
3●本堂は慶安元年の建物であったが、それは国宝に指定されていた。
惜しむらく東京大空襲で消失し今は鉄筋コンクリートで昭和33年に再建されている。
4●「浅草神社」は戦災で焼け残った建物。通称は三社様、三社権現。
浅草寺の祭と思われている方が多いようだが、「三社祭り」はこの神社のお祭り。
社殿は慶安2年建立、重要文化財。東京大空襲で唯一残った建物だそうです。
5●浅草神社の陰にあるような「被官稲荷」は安政元年に幕末の侠客として知られる新門辰五郎が妻の病気治癒を願って勧進した稲荷。「被官」とはいわば「出世」の意味。ここに願うと出世するといわれている。T&Tの石井社長は願いに行った事があるらしいが、出世しているかどうかはビミョ〜。(^^;)☆\(--メ) |
それでも1950年代までは東京一の人気のある繁華街でしたが、それ以降は新宿・渋谷・池袋など山手線西部の繁華街に追い越されて浅草寺の門前町になりはて、昭和初期の浅草六区の賑わいをわずかに残すのは、大勝館や浅草演芸ホールなどが残る六区通り周辺だけになってしまいました。
それでも、このごろの諸外国の日本ブームで盛り返しつつあり、今後の10年に期待がかかります。現在900万人くらいの外国人観光客を2010年には1000万人以上にしようというビジットジャパンキャンペーンの成果がここ浅草にも波及してくれるといいんですが。
このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。
Copyright 2009 TANSEISHA.co.,ltd.
All right reserved. |