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つくばエクスプレス 建築散歩

 

番外 リュブリアナ報告
「なんだこの街は、この建築家は、・・・!」

 今回はつくばエクスプレスを離れますがご容赦を。この9月に旧ユーゴスラヴィアを旅してきましたので、その中の建築博物館というべき街、スロベニアの首都リュブリアナのご報告を!

チャーター便で旧ユーゴへ
 今回の旅行は往復(成田→ドブロブニク、リュブリアナ→成田)ともに、JALのチャーター便を利用しました。初めて国際線チャーター便に乗ったのですが、驚いたことに国際線なのに英語のアナウンスがない!考えてみれば当たり前なんですが、乗客340名程、乗務員15名いずれも日本人なので、英語を使う意味がないのです。これはちょっと違和感がありました。

 今回の旅行はJTBのクロアチア・スロベニアツアーに組み込まれていますが、その中でもっとも自由時間が多いものを選びました。最初はクロアチアの観光地ドブロブニクの空港に到着したのですが、とんでもない田舎空港に巨大なB747−400で乗り付けるという、滑走路から飛び出しそうな、ちょっと壮観な体験をしましたよ。

 今年9月のTT2号原稿の中で歴史上数少ない「マスターアーキテクト」として紹介したヨジェ・プレチニック(Joze Plecnik 1872-1957)、彼が復興したといわれる街、リュブリアナを訪ねるのが私の最大の目的ですから、他のところにはあまり興味がありません。延べ9日間のうち、リュブリアナには都合3日間いました。

人口200万人の小国、27万人の首都
 スロベニアは旧ユーゴスラビア連邦唯一の工業国であり、旧ユーゴの人口の42%を占めているセルビアと一歩異なる社会・政治を貫いていた国です。スロベニアという国自体も小さくて、人口201万人だそうですから栃木県か群馬県の総人口くらいです。首都リュブリアナは人口27万人、日本でいえば盛岡市程度の大きさの街です。

聖ミカエル教会 1938年
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聖ミカエル教会 1938年
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1.2●聖ミカエル教会 1938年
 今回どうしても見たかった教会。なんともおどろおどろしい外観デザイン。
内部のデザインの優しさとの対比。

 日本ではセセッション(分離派−ウィーンのアールヌーヴォー)建築家だと思われているヨジェ・プレチニックは、この国の出身です。ウィーンではセセッションの巨匠オットー・ワグナー(Otto Wagner, 1841-1918)に師事していました。ワグナーシューレ(ワグナーが受け持っていた講座のことをこう呼びます。これに入ることは中欧で建築家を目指す者の名誉だったのだそうです)の一員であり、当時の最大の建築賞であるローマ賞をもらう俊才でした。ウィーン、プラハで活躍していた彼がリュブリアナに帰郷したのは1920年です。その時47歳です。リュブリアナ大学の建築学部長として赴任し、それから死ぬまでリュブリアナで暮らしました。

 リュブリアナにはプレチニックが残した作品が30作以上あります。30年以上忘れられていた建築家でしたが、1986年にポンピドゥーセンターで開催された回顧展でブレークして、今やリュブリアナ市民では知らない人がいない建築家です。街中のインフォメーションセンターでも関連案内や建築地図がただで配布され、普通の本屋でも何冊も作品集やDVDがみつかるほどの人気です。まさにリュブリアナは、プレチニックが作った街だといえます。


本当にアールヌーヴォー(セセッション)建築家なの?
 先生がワグナーですから、若い頃には装飾バリバリのセセッションに手を伸ばしたのでしょう。しかしウィーン・プラハ時代の代表作もセセッションでありながら、初期のモダニズム建築に近いものが多いように感じます。「装飾は犯罪だ」と言い切った同世代のウィーンの建築家アドルフ・ロース(Adolf Loos, 1870-1933)と近い考え方をしていたように私には思えます。

チボリ公園
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マーケットプレイス 1942年
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プレチニックハウス(現・建築博物館) 1930年
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3●チボリ公園
4●マーケットプレイス 1942年
このファサードのデザインやローマ風の円柱はなんだ!
1940年以降、共同墓地やチボリ公園園路オーダーを弄んだような面白いデザインが増えているようだ。
5●プレチニックハウス(現・建築博物館) 1930年
現在、建築博物館となっているプレチニックの自宅。リュブリアナで如何にプレチニックが愛されているかがわかる。

リュブリアナ大学・大学図書館 1941年
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リュブリアナ大学・大学図書館 1941年
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三本橋 1932年
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三本橋 1932年
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6・7●リュブリアナ大学・大学図書館 1941年
プレチニックの最高傑作。日曜日日中以外には図書室内部の見学はできない。
8・9●三本橋 1932年
土木系の作品の中で特に優秀なデザイン。もともと中央の橋があったが、市電が走るのに狭いので両端の歩行者用の橋を
付け加えたが、デザインも一変した。街の象徴になっている。


 そのプレチニックが、1920年代のリュブリアナで改めて、アールヌーヴォー(セセッション)建築をやり始めたというのが疑問であり、それを確かめに行きました。

 最初に思ったのは、如何にプレチニックの情報が日本に伝えられていないかということでした。日本では彼の作品だと思われているものの多くの作者が違う!
リュブリアナの象徴、竜の橋も他の人の作品。リュブリアナ駅も違う、かつてのこの国のお札にプレチニックの肖像画とともに描かれていたというのですが、国会議事堂なんかどう見ても1950年代以降の建物。・・・

 「地球の歩き方」なんていう旅行本だけでなく、数少ない建築書、アールヌーヴォーの本や学者のホームページでさえ勘違いも甚だしいのです。さらに、アールヌーヴォーの研究家は、なんでもアールヌーヴォーに見えてしまうので、誤解を生んでいるようにも思えます。

 彼の作品はリュブリアナの市民、特に建築好きならみんな知っているのに、日本から来る人が少ないんでしょうね、特に建築関係者が。

  1895年にリュブリアナでは大地震があり、その復興のために、スロベニア出身のワグナーの2人の愛弟子が立ち上がったといわれています。1人がマックス・ファビアーニ(Maks Fabiani 1865-1962)、もう1人がプレチニックだといわれています。

 この認識が間違いの発端ではなかったのかと思います。ファビアーニが来たのは1896年です。直後に復興計画案を上奏していますが実作品は3作しかありません。リュブリアナの市内では、ファビアーニはアールヌーヴォー建築家として評価されているようです。さらに1900年代初頭にこの街には、アールヌーヴォーの作品を残すことができる実力のある建築家が多くいたようです。(写真10〜13)

竜の橋   1901年竣工 Jurij Zaninovich作
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チェントロメルキュールデパートメント 1903年竣工 Friedrich Sigismundt作
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ウニオンホテル 1905年竣工 Josip Vancas作
12
ホープトマンハウス(1階ショップ、2階以上住居) 1904年竣工 Ciril Metod作
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10●竜の橋 1901年竣工 Jurij Zaninovich作
11●チェントロメルキュールデパートメント 1903年竣工 Friedrich Sigismundt作
12●ウニオンホテル 1905年竣工 Josip Vancas作
13●ホープトマンハウス(1階ショップ、2階以上住居) 1904年竣工 Ciril Metod作

 プレチニックに至っては帰郷が1920年ですから、直接、震災復興には関係があるとは思えません。
一方、日本では間違って、この街の多くのセセッションの作品をプレチニック一人の作品だと思った人たちがいたようです。よくいわれる「東京駅はアムステルダム駅を見本にした」という話のように出所不明な逸話が伝わっているのです。

 リュブリアナ時代のプレチニックの作品といえば、アールヌーヴォーの要素も持ち合わせていますが、基本的にはロース風の初期モダニズム建物が中心だと思います。(これについては建築の専門家の議論を待ちたいと思います。ここ数年リュブリアナの研究をされている藤森先生、よろしくお願いします〜)

 外部壁面の象徴的な像や引用的な図柄など、ギリシア建築やローマ建築のオーダーを変形したり、ダブル・トリプルで使って、今で言うところの「ポストモダンのような建物」を造りました。

 昨今の日本でも、ポストモダンの建物は灰汁(あく)が強すぎるので嫌われて、次から次と取り壊されるくらいですから、その当時のリュブリアナでもプレチニックの名前が徐々に忘れられていったのもしょうがないと思いました。まぁ、今はその愛らしくてキッチュなデザインが愛されているのだろうと思っていますが。



リュブリアナのモダニズム建築
 プレチニックの代わりに、新たな発見をしました。それは、この街のモダニズム建築でした。
街の建物のデザインには、その街の物質・精神の豊かさが反映されます。そう考えると、この街の1930〜60年代は豊かだったのでしょう。その証拠に、アール・デコからモダニズムの素晴らしい建築物が目白押しです。この街の豊かな生活がこれらのモダニズムの建物に象徴されていると思います。

スカイスクレーパー Vladimir Subic作 1933年(左)、商業工業会館 Emil Medvescek作 1956年(右)
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国民銀行本社 Ivan Vurnik作 1922年
15
Square of the Republic  Edvard Ravnikar作 1968年
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国会議事堂 Vinko Gianz作 1959年
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14●スカイスクレーパー Vladimir Subic作 1933年(左)、商業工業会館 Emil Medvescek作 1956年(右)
15●国民銀行本社 Ivan Vurnik作 1922年
16●Square of the Republic  Edvard Ravnikar作 1968年
17●国会議事堂 Vinko Gianz作 1959年


 最近の新聞の調査では、今の自由主義の国よりも当時の共産主義がよかったと答えている国民が80%以上だそうです。こんなこと他の共産国ではあり得ません。チトーはすばらしい大統領だったのでしょうね。

 1986年にチトーが死んだときから、ユーゴスラビアの6つの共和国の錯綜が始まりました。部分的にいまだに続いている内戦、その中で戦火からいち早く抜け出した国がスロベニアです。ユーゴはいまだ危ないと思っている方も多いようですが、少なくともこの国の独立戦争は10日間で終結し、被害も最小限ですみました。人々も好日的で、詐欺も泥棒もあまりいません。そして笑顔が素敵です。食べ物も海の魚介類が豊富で日本人好みする味だし、良質な麦やホップも採れてビールやワインもうまいです。宮崎駿さんのアニメ「紅の豚」で空中戦が行われるブレット湖、世界有数の規模を誇る鍾乳洞群などすばらしい景勝地もあります。

 僕はいっぺんで好きな国になりました。みなさんぜひ行って見てください。そしてリュブリアナの建物を自分の目で見てください。まったく違う評価になるかもしれませんよ。



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