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■トーク * Design対談 アメリカンデザインビジネスの潮流
建築家(鈴木エドワード建築設計事務所 代表) 鈴木 エドワード氏 意識面でグローバル化が 進んでいない 日本での仕事の難しさ 牛建 今日は鈴木さんの建築家としてのバックグラウンドを中心にお話をうかがえればと思います。ところで、私よりも私の息子のほうが、鈴木さんをよく知っているんですね。セントメリーに入るときにも、ご紹介をいただいたのですよね。その際はありがとうございました。 鈴木 そうですね。彼はセントメリー・インターナショナルスクールの後輩にあたります。 牛建 うちの息子は、米語というよりイタリア語をチャンポンにして使うようなところがあるのですが、語学では子供のころはご苦労があったんじゃないですか。 鈴木 随分とグローバル化が進んでいますね。僕は埼玉に生まれて小学校3年生の1学期までは地元の学校に通っていました。その後セントメリー・インターナショナルスクールに転校しました。それまでは日本語しか話しませんでした。 牛建 鈴木さんはそのインターナショナルスクールからアメリカの大学に進まれたわけですが、インターナショナルな教育環境というものについて、どうお考えですか。 鈴木 僕は埼玉の小学校では、半端ではないいじめを受けて非常に孤立していました。2人の姉とその友人くらいしか遊び相手がなく、家の中でひたすら絵を描いたり、自然の中で一人で想像ごっこをしたりして過ごすことが多かった。それが間接的に、いまの建築家という仕事につながっているということがあるかもしれませんが、とてもつらい体験でした。 しかし、セントメリーに転校してからは信じられないくらい幸せでした。どこの国の子どももみんなが平等で、後ろ指をさされることもありません。このような教育を受けると、戦争というものがまったく理解できなくなります。子どものときからこうした環境で育てば、人種に対する偏見や好き嫌いもなくなり、ひとつの世界を共有することができます。すべての人は平等だということを、知識ではなく体験を通して自然と身に付けることができると思います。ですから若い人にはどこでもいいからまず日本を離れて、違った環境、違った人たちと触れ合うことを勧めたいですね。 牛建 大学を卒業後、日本に帰られたきっかけはなんですか。 鈴木 ハーバード大学院を卒業して仕事を探していたとき、丹下健三先生からお誘いのお手紙をいただきました。それで飛んで帰ってきたわけです。イサム・ノグチさんが、僕の知らない間に丹下先生に推薦してくださっていたということを後で知りました。 牛建 日本に戻られて、日本で仕事をすることの難しさを感じることはありませんか。 鈴木 建築そのものではないところで難しさがありますね。 8歳でセントメリーに転校してからはずっと英語教育を受け、大学もアメリカでしたが、僕の気持ちの中には日本人としての自分もいるわけです。しかし、日本の社会はそうは見てくれません。また建築界にも学閥というネットワークがあって、そこからはいつも離れてしまいます。日本で大学教育を受けたあとに留学し戻って仕事をしている人は、ベースがあるので、海外での教育が効果的な意味を持ちます。しかし僕のようにそのベースがないと、先輩後輩の輪の中にはなかなか入れない。それが僕にとっては一番難しい部分でした。 牛建 僕はインテリアデザイン出身なので、どこの大学が良いとかダメだということはないのですが、日本に帰ってきたら、建築の世界では学閥があって驚きました。 鈴木 いま僕はセントメリーの同窓会会長をやっていますが、日本社会に通用するセントメリー卒業生のネットワークをつくろうとみんなに訴えているところです。しかし、セントメリーはまだ若い学校ですので、早くても50年くらい先になりそうですが(笑)。 またセントメリーでは日本語の授業もありますが、どうしても英語が先行されるので、見かけは日本人でも頭の中は西欧化されてしまいます。そうした子供たちが従来の日本社会で生きていくのは大変だと思います。日本社会がグローバル化したといってもまだまだで、意識のほうはなかなかグローバル化されていません。 牛建 意識のほうはグローバル化されていませんが、一方で大企業が海外の建築家を多用するという流れがありますね。 鈴木 日本の大企業が海外の建築家を多用することには二つの側面があると思います。ひとつは海外の建築家だというだけでありがたがる。日本の悪い点はいまだに西欧への根強いコンプレックスがあることです。もうひとつは特定の日本の建築家に頼むと、いろいろ差し障りがあって面倒だということです。そのため、海外で勉強してきた優秀な建築家が日本にはたくさんいるのに、あまり活かされていませんね。 牛建 ほんとうのグローバル化が進めば、鈴木さんのようなバックグラウンドの方は仕事がしやすくなるのではないでしょうか。 鈴木 いつか、そういう日がくることを期待したいですね。 日本の持つ 伝統文化の素晴らしさを 建築にも活かしたい 牛建 僕が鈴木さんの作品を最初に知ったのは「赤湯駅」ですが、けっこう駅を手がけられていますね。 鈴木 「赤湯駅」が最初で、次が「大曲駅」、最近では「さいたま新都心駅」があります。赤湯駅の場合、山形新幹線が開通するにあたって山形をはじめ5つの駅を改築することになったのですが、赤湯駅のある南陽市の市長さんが駅を斬新なデザインにしたいということで、僕のところに話が来ました。 駅周辺がかなり衰退した環境になっていましたので、駅を周りに合わせるのでなく、周りが駅に合わせて再開発されるような、ペースセッターとしての新しい駅を提案したほうが良いのではないかと判断して設計しました。 牛建 デザインが奇抜ですよね。 鈴木 あのフォルムは自然に生まれてきたものです。もともと南陽市は女性のハンググライダーのメッカとして有名で、毎年国際大会も開かれています。そこから「翼」というイメージが出てきました。新幹線の「つばさ」も走りますし、これはもう「翼」でいくしかないという感じでした。また、一晩で1メートルも雪が積もるような豪雪地帯なので、積雪に強い構造体ということでアーチ型にしました。ですから、自然な流れの中でフォルムが決定されていきました。 以前から「インターフェース」というテーマで、内と外の中間領域ということを考えています。都市での建築では、日々悪化する都市環境のネガティブな要素を排除するための機能という意味合いでインターフェースのあり方を考えていましたが、赤湯では駅が鉄道と街のインターフェースではないかという発想が生まれたのです。ですから駅全体をこのコンセプトで構成し、お互いを排除するのではなくて積極的に融合を図ろうということで、アーチを透明ガラスで覆い、光や空気が貫通するようなイメージを狙いました。 牛建 軽く見せようとしているようにも感じました。 鈴木 軽く見せようとしていますが、実際に軽くするということにも興味を持っています。 僕の卒業設計は「空飛ぶ家」というものでした。当時は世界が環境問題に取り組み始めた頃で、そのことにも影響されましたが、家をイメージ的に軽くするということだけでなく、実際にどれだけ軽くできるかを考えました。「空飛ぶ家」ですから、浮かなければなりません。そこで風船を考えました。しかし、家くらい大きな風船をつくるにはパーツにしなければならない。球体をどのように分割するかを検討した結果、群を抜いて優れていたのがパーツを三角形化したフラードームのシステムでした。僕の場合は三角形のパーツを二重膜構造にして空気を入れ、クッションのようにしてまわりをジッパーで留めていくというシステムです。最近はジッパーをマジックファスナーに進化させた提案をしています。当時は、学生だからこそ建築の新たなあり方を提案すべきなのではないかと考えていました。 牛建 そういう考えにつながるのでしょうが、「フルメタルジャケット」というテーマの作品シリーズもありましたね。 鈴木 その前は「アナーキテクチャー」というものでした。破壊的なイメージを、逆説的に創造する行為に結び付けたら面白いのではないかというやはり若さゆえの発想です。以後、いろいろなテーマを経ていまの「インターフェース」に至っています。しかし、テーマを意識的に変えているわけではありません。あとで振り返って、ああ、こういうことだったのかということでテーマの後付けをしているといった感じですね。 牛建 ケニアの「ムパタ・ロッジ」のことも聞かせてください。 鈴木 ムパタ・ロッジは「ブルータス」の編集者だった小黒一三さんという方が会社を辞めて立ち上げた投資型ホテルのプロジェクトです。200人の面白がりやから6億円を集めて、彼がプロデュースしました。僕もメンバーの一人だったので設計を担当しました。 確かに面白いプロジェクトでしたが、大変でした。動物と自然以外には何もないという環境ですから、何もないところで何ができるかということへの挑戦でした。テクノロジーといえるようなものもなく、素材は近くにあった石とゴムの木を使い、テコや丸太で運搬しました。手伝ってくれた現地の人たちは建設工事が初めてという人ばかりで、ガラスさえ見たことのない人たちでした。そういう環境でしたから、自然を意識しなくても、自らエコロジカルなものになります。電気も通っていませんので、風の通る道をつくったり、扇状のトップライトから採光したりといった工夫をしました。 牛建 鈴木さんの作品はコンクリートやガラスという素材を使っていながら、どこか日本的な感じがします。 鈴木 僕は日本の伝統的なボキャブラリーが好きで、日本瓦や障子や畳や竹なども抵抗なく使っています。しかし最近まで、日本の近代建築に日本的要素を持ち込むことはタブーとされ、使いたいと思っても使えない状況でした。僕が平気で使えたのは、僕のバックグラウンドのせいかもしれません。無意識に僕の中にある日本的なものが働いてしまうのでしょうね。日本には昔から素晴らしい文化がありますが、ここにきてやっとその価値が再確認されるようになりました。それだけ日本が成長したのではないかと思います。 牛建 本日は、お忙しいなか、ありがとうございました。 ![]()
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