トーク * THE SC
「玉川高島屋SC」
 “志の高いSC運営”で飛躍を続ける
 
東神開発(株)代締役表取/専務取締役 大甕 聡氏
聞き手/
(株)ウエルウエスト代表取締役 大西 直良氏

地域に支えられるSCづくりを目指して


 
 わが国初の本格的郊外型ショッピングセンター(SC)として「玉川高島屋SC」(東京都世田谷区)がオープンしたのは1969(昭和44)年。同SCを開発・運営するのが、百貨店の高島屋を母体に63年に設立された東神開発(株)である。同社は、さらに「柏高島屋ステーションモール」(千葉県柏市)や「シンガポール高島屋SC」(シンガポール・ニーアンシティ)の開発・運営によって経営基盤の安定化と内外ネットワークの拡大を実現し、グローバルな視点からSC経営のノウハウを進化させてきた。
 
 多様化する業態、激化する競合環境にあって、わが国のSC業界は大きな転換期を迎えているが、開業以来順調に業績を伸ばす玉川高島屋SCに学ぶべき点は数多い。
 そこで今回の特集では、同SCの開発段階から携わっておられる同社代表取締役・専務取締役・大甕聡氏に、玉川高島屋SC躍進の軌跡と今後のSC開発全般のあり方についてインタビューさせていただいた。
 なおインタビュアーは、(株)ウエルウエスト代表取締役・大西直良氏にお願いした。

 
 
成長のプログラムを最初から
組んでおくことが必要

 
−玉川高島屋SCは日本のSCの草分け的存在ですが、開業後30年以上経った今でもSCのトップクラスに位置している。これは大変なことだと思います。当時は郊外型のSCはおろか百貨店も郊外に進出していない時期です。どのような狙いで郊外に進出しようと考えられたのですか。
 
大甕 ひとつは、高島屋の経営戦略の一環としてです。当時、SMの抬頭が著しく、百貨店も生き残るための方法を模索しておりました。それで当時の倉橋専務がアメリカに視察に赴き、「百貨店が生き残る道は郊外に出店することだ」との結論を得たのです。アメリカの百貨店は都心に拠点を設け、郊外にも店舗展開して躍進していました。そこで倉橋さんが考えたことは、高島屋も日本橋を拠点に 30km圏の郊外に出店していくというものでした。
 
 当時、わが国も車社会と言われていましたが、それでもまだ郊外型のSCは無理だと思われていました。しかし、倉橋さんはヨーロッパ視察の際に、地下鉄の駅の近くにあるストックホルム郊外のSCが平日でも混雑しているのを見て、大量交通機関のバックアップがあれば、日本でも郊外型SCは可能だと考えたのです。
 
 郊外進出のもうひとつの理由は、高度経済成長時代を迎えて、「東京24時間都市論」という考えが出てきたことです。そうなると郊外で夜遅くまでショッピングを楽しめる施設が必要ではないかということになったわけです。
 二子玉川を選んだのは、立地的にもポテンシャルからいっても理想的だと考えたからです。
 
−東名高速の開通が70年ですから、オープンされた69年は、まだそれほどの車社会というわけではありませんよね。
 
大甕 「車で来てね」というのがキャッチフレーズで、大変混雑して大問題になりました。しかし、車は3割程度で、あとは電車でした。商圏の範囲は、田園都市線でいうと上りは池尻大橋のあたりまで、下りは長津田より手前という細長い商圏を想定していました。
 
 倉橋さんのすごいところは、ポテンシャルを正確に量として把握していたことです。常に「イクスパンション(発展・拡大)の余地をもて」と言っていました。「考えるのにお金は必要ない、考えろ。常に青写真を持て」というわけです。
 
−私も不動産の仕事を長くやっていて、一発の計画でおしまいというのではなく、時間軸に沿っていろいろな余地を残しながら開発することが必要だと考えていますから、そのお話はとても参考になります。
 
大甕 成長のプログラムを最初から組んでおくことと、ファジーな要因を残しておくことが大切なんです。
 しかし、オープンして5年くらいまでは、テナントや地域のことよりも自分たちの会社が継続できる仕掛けを確立したいということばかり考えていて、余裕がありませんでした。もちろん、最初からSC運営の基本理念として「共存共栄」「相互信頼」「自主性尊重」を謳っていましたが、テナントさんと共存共栄するにしてもデベロッパーのほうに栄える素地ができていませんでしたからね(笑)。
 
 
テナントを育てるとともに
入替えも断行する

 
−当時の日本ではSCのテナント料に売上歩合制を採用するというのは先駆的で、それまではほとんど例がなかったのではありませんか。
 
大甕 家賃に歩合制を導入したのは、オープンして数年を経てからです。開業したときの契約書に「将来、歩合制の導入を検討する」という記載を盛り込んでいたのですが、実際に導入するのは大変でした。業種・業態によってさまざまですが、物品販売、飲食・喫茶店と業種を勘案しながら歩率を設定しました。
 
−不動産賃貸業とは考え方が全然違いますね。「マーチャンダイジングデペロッパー」という言葉はありますが、高島屋さんを母体とする東神開発さんが、テナントに対し経営の中味について指導するというようなこともあったのですか。
 
大甕 最初の5年間は経営基盤を確立するための仕掛けを作っていましたが、それができてからはテナントにも目を向けるようになりました。アメリカにはいわゆる「テナントリエゾン」(テナントとの良好な関係の確立と維持)の考え方はありません。しかし、われわれはテナントリエゾンをしなくてはいけないと考えていて、昭和50年代に入って本格的に取り組むようになりました。
 
 それまで、テナントすべてが一様に売上げが伸びていたのですが、オイルショックがあって採算分岐を切るところも出てきた。さらに1977年には本館を増築し、テナント数も大幅に増加した。そのような状況下、経営を悪化し、そのままでは店舗を継続できないテナントも出現しはじめた。誘致したテナントは一店たりとも退店させてはならぬというのが当時の方針でしたので、業態を変えたり場所を変えたり面積を縮小したり、保証金を返して資金繰りを改善したりと、できることはすべてやりました。
 
−いわば、SCが経営コンサルタントの業務をしはじめたわけですね。お客さまのニーズに合わないお店では、積極的なテナントの入替えも断行されたわけですね。
 
大甕 83年に東急たまプラーザ店がオープンし、商圏内に初めてライバルが出現します。ライバルとの競争ということを考えて、入替えが必要なテナントには退店してもらうという方針に切り替えたのは80年のことです。テナントは公募でなく勧誘していましたので、退店してもらうのは辛い選択でした。
 
−最近は特にテナントの“旬”の期間が短くなってきて、勧誘した時点での判断が正しくても、環境が大きく変化したり、消費者のニーズや嗜好が変われば、当然入れ替えざるをえないことになりますね。
 
大甕 そうですね。しかし、長年苦労を共にしてきた人たちと袂を分かつことは、大変辛いことです。
 
−その際、SC全体のなかでのテナントミックスを考えていくことが必要ですよね。
 
大甕はい。テナント数も300店近くになると「見せるためのテナント」「稼いでもらうテナント」、そして「これから花咲くテナント」というようにいろいろあって、それを循環させるようでないといけない。ですから、なかにはテナントを育てていくとの発想も必要です。
 私はデベロッパー第一主義ではありませんが、「SCはテナントあってのSCではないか」と気づくのに2年ほどかかりました。それが最終的には「SCは地域に支えられている」ということに気づくようになるわけです。そうなってくると組織自体も少しずつ変わってくるようです。
 
3000人のサンプル調査で
マーケットを分析

 
−オープン後30年を経過して、商圏や客層に大きな変化はありますか。
 
大甕 テナントから地域に目を転じていったことと合わせて、コミュニティクラブをつくったり、宣伝のパンフレットやチラシでコミュニケーションを図ることも心がけました。その結果、お客さまの滞留時間が長くなってきました。また、遠方から友だちが来ると当SCに連れてきていただけることもあるようです。
 
−それだけ心地よい空間だということですね。それが本物のSCだと思います。マーケットの変化はどのような形でチェックされているのですか。
 
大甕 倉橋さんのモットーは「データなきものは去れ」ということでしたから、オープン以来さまざまなデータを集めています。現在も毎年、3000人のヒアリングによるサンプルを収集して分析しています。
 
−それで玉川高島屋SCの強さの秘密がわかったような気がします。一般のSCを見ていると、開発するときは立派なコンセプトがあるのですが、施設ができてしまうとそれで終わりというのが実情です。ずっとデータを取られつづけているのは、本当にすごいことですね。
 
大甕 基本的にはコンセプトに合ったお客さまを集めるのはデベロッパーの仕事ですからね。おかげさまでSCカードの会員も20万人ほどになりました。
 
−これまでいろいろなリニューアルをなさってきたと思いますが、現在の課題について具体的なことがあれば、お聞かせください。
 
大甕 たまプラーザと溝ノ口に東急さんができ、港北ニュータウンに阪急さんができるというなかで、いかに足元商圏を的確につかまえるかが最大の課題です。それを実現するためには、玉川は玉川のやり方でやらなければならないと考えています。 
 最大のイベントはテナントが入れ替わって新しい表情を出すことですが、ファッションだけで楽しさを演出するというのはむずかしく、食品・雑貨や飲食店などSC全体での取組みが重要です。
 
 SCはもともとアメリカで生まれた仕組みですが、それがヨーロッパに渡り、日本にも来た。ただし、欧米であれば平面で展開するものを、日本では土地が狭いために縦に展開せざるをえなかった。縦動線でつなげていくと、やはり楽しくありません。たとえば高級ファッション店の隣に喫茶店があってもいいし、その隣に老舗の和菓子店があってもいい。そのようなにぎわいのある店舗配置が、私の若いときからの夢なのです。
 
−アメリカのSCでは、喫茶店がいろいろな場所に分散していて非常に面白いですよね。ホートンプラザ(サンディエゴ)では、抵抗感もないままに自然と3階にまで昇ってしまうような、エスカレータや階段をうまく使った設計です。従来の日本の建物はどうしても四角い箱型で、1か所にエレベータがあるという形なので、上層階に行くのに抵抗感がありますね。
 
大甕 そのあたりを何とかしたいのです。できれば、たとえばバックヤード管理なども、納品は地下からではなくて中層階まで持っていって、それを上下に運ぶといった形にするとずいぶん違う。とにかく、お客さまの目に触れる箇所をできるだけ少なくすることが大事なのです。いずれにしても、ある程度デベロッパーの経営基盤が確立していないと、やりたくても実現できないことでしょうね。
 
わが国初の郊外型SCとして開業した
「玉川高島屋ショッピングセンター」
庭園を設けるなど
快適性も追求
本館1階の「グランパティオ」

 
日本のSC開発では
哲学をもったデベロッパーが不在

 
−従来のSCや百貨店の業態が、少し飽きられてきたという声があります。その要因のひとつに、容積率一杯に建てる効率追求型の設計にもあるのでしょうね。消費のパイが大きくなっているときには、どんどん売れたから成功だということはあると思いますが、現在のような厳しい状況になり、地価も下がっているなかでは、開発や運営の仕組みを抜本的に変えなければいけないと思うのです。東神開発さんはそれなりに対応なさっていますが、一般的なSCではまだまだ旧態依然としており、そのことも消費不況のひとつの要因ではないでしょうか。
 
大甕 日本のSC経営者には、大変僭越ですが「志高く生きよ」といいたいですね。本来ならば、日本のデベロッパーが自分自身の哲学をもって日本に合ったものを開発すべきなのに、物真似ばかりしているということに原因があると思います。結局、日本のSC業界には真の意味でデベロッパーがいないのです。デベロッパーがいないから商業者が開発している。そこに大きな原因があると思います。 
 
−まったく同感です。事業者に企業家としての哲学がありませんよね。
 
大甕 次から次へと店舗がオープンする段階では、周辺に住むお客さまは喜びますが、不振になってSCが撤退するとなれば、みんな困ってしまうのです。経営を継続できるシステムができていないからでしょう。
 
−事業者側がスクラップ&ビルドの考え方だと、消費者や地域が迷惑を被ることになりかねません。開発には一貫したコンセプトがあって、それで事業全体を組み立てるべきであるのに、ハードだけが決まって、その後のことは後のことというようでは、競争力のあるものはできないという気がします。
 
大甕 当社は昭和60年代当初、メガSC時代のリーディングカンパニーになろうと思っていました。結局、いろんな意味で力不足で、その夢はかないませんでしたが、そのときにSC立地選定の4条件というのを考えました。(1)地権者の合意が得られやすい、(2)マス・トラフィックが控えている、(3)市場の創造性がある、(4)上位計画がしっかりしている。この4点です。つまり、「地域の発展のためにSCは存在する」という視点が不可欠だと思うのです。
 
−今後、挑戦したいSCとは。
 
大甕 ライフスタイルセンターの完成形のような、地域に根ざしたSCですね。日本では気候の問題がありますが、やはりオープンモールで柔らかいイメージのものがいいですね。玉川の場合はクローズドモールですが、少しシースルーの感じを出しながら、屋上のかなりの部分を庭園にしました。しかし、土といってもケミカルな素材ですので、鳥はきません。私としては鳥がくるような庭園を造るのが夢です。
 
−楽しい空間を演出するためにも、屋上緑化は有効な手段ですね。
 
大甕 屋上緑化を含めて環境問題への取組みは、SCにおける差別化の武器にもなりえるものです。当社は昭和40年代からゴミ問題に取り組み、ゴミ圧縮器を独自に開発したこともあります。そして現在は、リサイクルに積極的に取り組んでいます。「アダルトガーデンシティ」を標榜していますから、お客さまからの期待もあります。たとえば空調冷暖房にしても、単に暖める・冷やすではなく、高原のそよ風のような空調ができないものかと研究中です。
 
−最後に、玉川高島屋SCは「日本型のSC」として、特にテナントを育てていくといった運営面での評価がきわめて高いわけですが、そのポリシーはどのようなところから生まれ育まれたのですか。
 
大甕 何といっても日本最初の郊外型SCでしたから、われわれの理論に賛同し、革命を起こそうという大義のもとに人々が集まってくれました。したがって、当初から共同事業的な感覚を合わせもっていたのです。システムなどは欧米から借りてきたものでも、運営手法は自分たちで考えるということで始めました。欧米の人たちから見れば信じられないくらいキメ細かな運営を行なっています。まさに手づくりのSCなのです。
 
 しかしこの農耕民族的な手法も、二子玉川という立地だからできるということもあります。他ではまた違ったやり方になります。柏などはとにかく元気なテナントを入れるということに尽きます。シンガポールではまた違います。立地によって手法のバリエーションが変わってくるのは当たり前のことだと思います。ただしベースとなる部分については、当社としてこれからも大事にしていきたいと思っています。
 
 その意味で、倉橋さんが退任するとき、われわれ社員に対して「SC日本一の座を守れ」「日々新たなり、チャレンジの精神を忘れるな」「基本3原則(共存共栄、相互信頼、自主性の尊重)を守れ」「地域と仲よく」との4つの言葉を残されましたが、これをいつまでも遵守していくことがSCの永続的な繁栄につながると確信しています。
 
−本日はお忙しいなか、ありがとうございました。

 
 
大甕氏 大甕 聡氏
おおみか さとし●事実上、日本最強にして最古のSC「玉川高島屋SC」の母体・東神開発(株)。その代表取締役・専務取締役であり、30年以上この世界で生きてこられた。長い実戦を経てSC経営の何たるかをよくご存知の方である。今回は、「志高いSC」とは何なのか、ご自身の夢も含めて存分に語っていただいた。

大西 直良氏
おおにし なおよし●SC及び不動産実務に関するコンサルタント会社、(株)ウエルウエスト代表取締役。日本ショッピングセンター(SC)協会の理事・広報委員長。亀戸の「サンストリート」の開発・運営会社(株)タイムクリエイトの前・代表取締役。今回はSC経営の立場から対談をしていただいた。
大西氏

 
 
SCビジネスフェア2002開催!
 
エキサイティングな食品売場「フードショー」  (社)日本ショッピングセンター協会の主催する展示会「SCビジネスフェア2002」が今年も開催された。
 SCビジネスフェアは、SC全国大会と併設されたイベントとして催されてきており、ショッピングセンター(SC)に関する、デベロッパー企業、テナント企業やプランニング業務などのSC関連企業などの情報交換の場のイベントとして定着してきている。
 今年は全国大会が2000名、同フェアも700名以上の来場者(昨年のほぼ倍)があり、大盛況となった。
 
[主催者のコメント]
 来場者が700名に達するなど、会員を中心とした催しとしては予想以上の内容となった。来年はスペース・出展社の数も倍にしたいと思っている。また、これからは、もっと楽しさも演出するように考えていきたい。そのためにも関係者のお知恵やお力が必要だと思っているし、会場のアクセスや設備(電気容量など)にも気を配っていきたい。
(SC協会・島田チーフ)

 

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