|
■トーク * Design対談 アメリカンデザインビジネスの潮流
建築家(日建設計) 阿佐見 昭彦氏 複合商業施設で プロジェクト・マネジメントを担当 牛建 阿佐見さんと知り合って7、8年になりますが、最初にお会いしたとき、ご自分が撮影された葬儀場の写真集をいただきました。絵や写真など、建築以外にも多彩な趣味をおもちで、第一印象は「変わった人だな」というものでした。 その阿佐見さんが、いま日建設計さんという大会社に籍をおかれている。阿佐見さんが活躍する場所として少し堅すぎるのではないかとも思っていたのですが、近ごろでは複合商業施設の設計も手がけられたと聞いて、そのイメージを少し変更しました。 まず、阿佐見さんご自身は、どのような形で商業施設のデザインを手がけられるようになったのですか。 阿佐見 私はこれまで公共建築といわれる仕事、市役所や記念館、博物館、音楽ホール、学校、体育館などを多く設計してきました。ほとんどが設計コンペで、当選しないと私の仕事はない。したがって、来る日も来る日もコンペばかりをやっていました。 以前は商業施設設計の経験は少なかったのですが、ある再開発計画で百貨店の仕事に初めて取り組むことになり、そこでかなり真剣に勉強しました。日本では商業施設の設計を手がけるのは、いわゆるメジャーな建築家ではないと見られがちです。しかし、私は好奇心が強いほうなので、商業施設のコンセプトやデザイン等の組立ては非常に面白いと思いました。それで私のなかに、あるレベルの蓄積ができたのだと思います。 牛建 この大型商業施設での仕事は、海外のデザイナーとのコラボレーションで進められたとお聞きしていますが、どういう形だったのですか。 阿佐見 クライアントから日建設計に仕事の依頼があったとき、すでにアメリカで膨大な絵が描かれておりました。それをもとに仕事をするということで、当時は社内でもかなりの戸惑いがあったことは事実です。それで私に話が回ってきたわけですが、これはなかなか面白そうだと思いました。非常に短期間のうちに膨大な人間を投入して行なう巨大な仕事ですから、いい勉強になりそうだと思ったのです。 基本設計の半分くらいが終わった段階で仕事の依頼がきたのですが、特に技術的なことなどを中心に、それを見直すところからスタートして、実施設計にまでもっていきました。多いときで100人くらいの人間が関係したと思いますが、私の役割は主に「プロジェクト・マネジメント」だったわけです。もちろん、必要に応じ、デザインそのものについても自分の意見は出しました。 プロジェクト・マネジメントというのは、デザインはもとより、施工技術、コスト、それからスケジュールなど全部に関連してきます。また、デザイン・アドバイザーということで海外のデザイン制作会社が関わっており、しかも原設計者、原発案者のデザイナーとの調整も必要でした。こうした混み入った組合せをマネジメントするのが最も大変でした。いわゆる純粋なデザインとは違う仕事ですが、振り返ってみると初めての経験で非常に面白かったですね。 海外設計家とは インターフェースを共有することが重要 牛建 異なる文化を組み合わせ、調整し、仕上げていくというコラボレーションだったわけですね。アメリカの設計者と日本の設計者との違いはどうでしたか。 阿佐見 海外のデザイナーは、ロジックが明確であることを大事にします。対して、日本の多くの建築家もデザイン力は優秀な人が多いとは思いますが、このような場合、どちらかというとバランス感覚を大事にして、協調性はあるが、デザインの主張、つまりロジックを組み立てるのはあまり得意なほうではない。だから海外の建築家やデザイナーとコラボレーションする場合、ちょっとやりにくいという感じがあるのだと思います。 相手に対して自分をわかってもらう、また相手のことも理解するというために、今回は論理的なインターフェースを共有する必要がありました。このようなコラボレーションにはそれが決定的に大事なのです。 クライアントが、ある目的をもって日本と海外のデザイナーを組み合わせて起用する場合、どちらのデザイナーが上か下かということではなく、お互いにインターフェースを合わせる努力が必要です。これがうまくいかないと、結局はクライアントにとっても好ましい仕事にはならないわけですからね。 牛建 やはり、デザインマネジメントをする人は、幅の広い価値観をもち、幅の広い仕事をしていることが必要なのですね。その意味で阿佐見さんは、関わった多くの人の共感を得ることに長けておられるようですね。 阿佐見 コラボレーションで仕事をするということでは、それ以前に経験がありました。 一つは渋谷の「Bunkamura」の仕事で、エリゼ宮のインテリア設計等で有名になったジャン・ミッシェル・ヴィルモットというインテリアデザイナーと一緒にやりました。彼がアイデアを出してこちらが描く、こちらがアイデアを出して彼にまとめてもらうなど、建築もインテリアも一体になってコラボレーションが非常にうまくいった例だと思います。もちろん発注側の責任者に清水嘉弘さんという素晴らしい能力の方がいらっしゃったことが大きかったのですが。 もう一つは、同じく渋谷の「セルリアンタワー」のコンペ案を、オルセー美術館の設計をしたミラノの女性建築家、ガエ・アウレンティと一緒にやりました。彼女には自分の主張はなんとしても通す強さがあります。お互いに本音を出しあって非常にきついミーティングが続きましたが、きちっと意見をぶつけあったことで信頼関係が生まれました。最終的にはコンペで残念ながら2位の結果でしたが、とてもよい提案ができたと自負しています。 大事なのは「自分を考え、相手を考えるチャネル」をなるべく早く見つけることです。それがうまくいけば、非常にパワーのある素晴らしい仕事になります。 人材の流動化が デザイン業界に活性化を生み出す 牛建 ところで、独立しても十分にやっていける阿佐見さんが、日建設計さんに身をおかれている理由は。 阿佐見 日建設計だからという特別な理由はなく、私自身が手がけたい設計の仕事の幅を広げたいからです。 日本でも、本当は必要な人が必要なところに行って、思う存分に仕事ができる仕組みを早くつくるべきだと思います。つまり、これから人材はもっと「流動化」すべきですし、それを評価して受け入れる社会になっていく必要がある。日本は今、その曲り角に差しかかっていると思うのですが、まだまだ保守的な面が強いのがこの業界の特徴ですからね。 私のような大手設計事務所の役員であった者が、同じような大手ライバル会社に移るというのは、おそらく日本の設計業界ではきわめて珍しいことといってもよいでしょう。しかし、欧米のデザインビジネスの世界では頻繁に人材が流動化しており、それがデザイン業界の活性化を促進しています。ですから、私のようなケースは当たり前のこととなるべきだと思い、その先駆けとして、まず私が身をもって実行したわけです。多くの人たちに一石を投じる願いを込めているのですが、あいにく絶不況の経済情勢で、状況はますます硬直化しています。 牛建 アメリカでは、学校を卒業してからいくつかの会社を経てキャリア・技術を磨き、それから最終目標の会社に入るという考え方が主流です。目標の会社に入ったら、それまでの蓄積を発揮して自分のやりたい仕事を実現する。そのキャリアをもって、次の会社に移るのが当たり前です。日本の会社にいると個性的な仕事ができないということがありますが、確かにアメリカでは、会社にいても自分がやりたい個性的な仕事ができるんですよね。これは、キャリアアップに対する社会の仕組みの違いでしょうね。 阿佐見 これからは「顧客」や「仕事の内容」等をよく分析し、そのためにはどういう人材やチーム編成が必要かということで、会社や組織のあり方を考えていくべき時代なのでしょうね。一つの組織体ですべてをジャストミートできない時代になっています。 牛建 仕事をしていると、「日本にはプロが少ない」と感じることが多々あります。それは会社が個人に活躍できる場を与えていないことがあるからでしょう。もっと自由度の高い仕組みにしないと、企業も社会も活性化していかないという気がします。そういう意味でデザイナーとして、大会社のなかで個性的な仕事を進めておられる阿佐見さんのさらなる活躍に期待しています。 阿佐見 設計というのは、建築家の人格が如実に出ます。だから人格形成、考え方の幅を大きくする努力を続けていく必要があると思っています。かつて、HONDA本社の設計を担当したときに、当時最高顧問だった本田宗一郎氏にお叱りを受けたことがあります。「君らはうるさいことを言うやつだと思うかもしれないが、われわれは数十万台の車を造り、それらを売っている会社なんだ。それは数十万人のユーザーに好かれる車を造っているということだ。たかが俺一人ぐらい納得させられないでどうする!」。まさにおっしゃるとおりで、われわれ建築家は、多くの人に理解されないものを造ってはいけないと思っています。 牛建 今日は阿佐見さんの写真展が開催されているギャラリーでお話しをうかがいましたが、仕事の幅、建築家としての人間の厚みということが、とてもよく理解できました。どうもありがとうございました。 ![]() ![]() 北青山オリエ・アートギャラリー(TEL.03-5772-5821)にて
このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。 Copyright 2001 TANSEISHA.co.,ltd. All right reserved. |