■トーク * Design対談
デザインが生まれる現場から(株)IDKデザイン研究所 代表取締役 喜多 俊之 氏 IST(INTERSPACE TIME)代表 牛建 務氏 日本がデザイン大国なるためには、 何が本物で何が偽者なのか、 何が美しくて何がそうでないのかの 基準をもっていないとなりません 生活復興期にあった60年代のイタリアで
喜多 「なぜ東京に行かないのですか」と、よく聞かれますが、私は逆に「どうして行かなければいけないの」と思いますよ。グラフィックデザインの場合はいろいろな方が東京に移って仕事をされていますが、ものづくりに関わるプロダクトデザインの場合、工場が日本中に散在しているので、大阪あたりが東日本と西日本のちょうど中間で便利なのです。ひとつにはそういう理由があります。それから、1200年間日本の首都だった京都や奈良がある関西は、非常に魅力のある土地だということもあります。 牛建 喜多さんは年齢的には僕よりも一世代上ですが、非常に早い時期にイタリアに渡って仕事をなさっています。僕らの世代でも海外に出て仕事をする人はそんなにいませんでしたから、お互い珍しい選択を人生の中でしてきたわけですね。イタリアに行かれたのはいつごろですか。 喜多 1969年です。イタリア語の勉強をしていかなかったので、まったく白紙の状態でした。「チャオ」と言われて、「なるほど。挨拶はチャオでいいのか」という感じでした。「チャオ」というのは、本来はとても親しい人同士の挨拶ですが、私の場合は、どこに行っても「チャオ」で、だから誰とでもすぐに友達になってしまった。ですからイタリアでは楽しかっただけで、何か苦労したという思いはありませんでした。 牛建 それですぐ仕事をやっていけるというのは、今の時代ではほとんど不可能だし、デザインの繊細な部分を説明するのが、たいへん難しいと思います。 喜多 たまたま行った時代が良かったのだと思います。イタリアの60年代というのは生活復興の時代です。なかでも一番活発だったのは住環境を復興させようという動きでした。小さな家を大きな家にして、そこに家具やインテリアを入れるということで、家具などインテリアの会社が非常に伸びていた時代でした。その真っ只中にポンと行ったわけです。 喜多 そうです。日本ではちょうど大阪万博前夜の時代です。同じ敗戦国なのにこの違いは何だろうと思いました。3か月で帰ってくるつもりで行ったのですが、これは住んでみてどういうことになっているのか体験しなければと、考えが変わったわけです。 牛建 その後、イタリアと日本で仕事をされるわけですが、二つの国の仕事のレベルで悩むということはありませんでしたか。 喜多 最初から頭の中は2チャンネルでした。向こうは向こう、こっちはこっち、それほど違った世界だった。ですから、イタリア行きの飛行機に乗ったとたん頭の中が全部入れ替わっていくのが分かりました。向こうから日本に帰るときも全部入れ替わる。 牛建 僕は20年くらいアメリカで仕事をしましたが、素材を中心にした非常に完成度の高い日本のデザインと様式美を中心としたアメリカのデザインについて、10年ほど自分の中に葛藤がありました。 喜多 私にも、葛藤はきっとどこかにあったでしょうね。あったけれど、わからないからうやむやにしてどこかにしまい込んだのではないかな。それから、初めてイタリアに行ったとき、言葉はなにも分からなかったのですが、「あ、同じ人間だ」ということを何かのときに思って、痛いときは痛いし、悲しいときは悲しいし、嬉しいときは嬉しい。これでいいんだというように開き直ったということは言えます。
イタリアではデザイナーや企業家は
喜多 そうですね。たとえば初めの打合せは、ほとんどが食事やコーヒーを飲みながらできました。そこをああしてこうしてと言うと、よし分かったということで仕事が進んでいく。人対人で、「これはどうかね」とか「これは素敵だね」という会話の中からモノができあがっていく。もちろん、相手は僕が何をするのかというのを厳しい目で見ているわけです。それを商品化したら売れるというメリットがなければ企業としては絶対にやらないわけですから。当時、私は気楽にやっていたのですが、後になって実際にはそういうフィルターを通した会話だったのだと気がつきました。 牛建 喜多さんがもっているデザインの要素を欲しかったのでしょう。それが波長が合う感じではなかったのですか。 喜多 波長が合ったということは確かにあると思います。当時のイタリアの企業はほとんどがオーナー企業ですから、話をするのは、ほとんどオーナーなんです。ですから、その場で即断即決です。当時は、オリジナリティのあるものを自社ブランドとして育てて世界に進出して行きたいという企業が多く、従業員が10〜15人くらいでも世界に出て行くのだと信じてやっていました。 牛建 21世紀のイタリアの経済を復興させたのはデザインだと言われていますが、そのパワーはそういう環境の中から生まれたと思います。 喜多 そうですね。イタリアのデザインは日常の暮らしから出てきたものです。つい最近までイタリアにはデザインの学校なんてなかったのです。ですから留学しても入る学校がなく、スタジオや建築家たちの工房が学校みたいなものでした。一番のデザインの学校は住宅、つまり暮らしの現場だったのです。 牛建 クリエーションの過程が日本とは違うわけですね。その時に大きな文化の違いを感じる時があります。 喜多 アイディアの段階で、その企業のオーナーと軽いミーティングをする。そこでできたスケッチをデザイナーに渡します。すると原寸大の図面ができてきて、そのまま試作に入ります。試作はほとんどの場合社内に試作班があります。クリエーターにとっては非常に恵まれた環境なのです。ですから、ベネチアガラス、照明器具、家具などいろいろな仕事をしました。後ろにたくさんの人がいてくれたからです。イタリアで、デザイナーがいまのような形で仕事をするようになったのは、そう昔ではありません。 牛建 モノづくりというものをとても大切にしていて、一つずつオリジナリティがあるわけですね。ある時代の日本みたいですね。 喜多 イタリアでデザイナーと企業の人たちが「これはいいね」と言うのは、これまで世界に無かったものという意味です。オリジナルなものしか「いいね」とは言わないのです。
プロデューサーが日本の企業にいないから 牛建 僕は前から、日本のプロダクトの現場はデザイナーをうまく起用していないという感じがしています。欧米の名前の出ているデザイナーは結構いろいろなプロダクトを作っています。日本でも、もっとそういうことが行われていいと思います。 喜多 それは、いまの日本にプロデューサーがいないからです。イタリアの小さな企業から素敵な商品が生まれるのは、プロデューサーがいるからです。それは企業のオーナーです。向こうのオーナーは素敵な暮らしをして、デザイナーに負けないような素敵なライフスタイルをしている。だからデザイナーを使いこなせるのです。そういう人たちがいまの日本には少なすぎるのです。明治、大正から昭和の初めくらいにはいたと思いますが、最近は才能を見抜ける目をもったプロデューサーがいません。だから効率だけが重視され、何が本物で、何が偽者かがわからなくなっているのです。 牛建 日本社会では、良い会社であってもみんなサラリーマンだから、無難なところで落ち着けば良いという発想があり、いろいろなデザイナーを起用するという冒険はしません。ですから、プロダクトデザイナーはあまり日の目を見ないという気がします。 喜多 しかし、これからはそれでは日本は成り立たないですね。もうぎりぎりのところまできています。
日本がデザイン大国になる条件はすべて揃っている。 牛建 僕が日本に戻ってきて強く感じたことは、日本の男性というのは自分の住むところにあまり意識が行かないということです。お前はデザイナーだからこだわるのだろうと言われるかもしれませんが、デザインというものは気持ちを高揚させてくれるし、楽しいものです。そういうことが、みんなに浸透していく必要があるといつも思っています。 喜多 日本では、最近あまり「よそ行き」を着なくなりましたね。「よそ行き」という言葉さえ懐かしいということになっていますが、1960年代に起きたイタリアの生活のブーム、デザインブームは「よそ行き文化」なのです。人が家に来るときには、いい服を着て待っているわけです。インテリアも格好良いものを揃えて、お客さんを迎えようとするわけです。そこが日本とは決定的に違うところです。 牛建 なるほど。だからファッションや車、生活用品、いずれもイタリアのセンスは素晴らしい生活の中にデザインが集約されていて、それが、デザインの感性を高めていると思います。 喜多 われわれにはぴったり来ますよね。その元はダヴィンチだったり、メディチ家だったりに根差しているのではないでしょうか。私たちのセンスも遡れば、光琳だったり北斎だったりというところに根差しているのではないかという気がします。そういうふうに、自分たちのルーツとか体系を意識するのはとても大切だと、このごろ思うようになりました。 牛建 喜多さんはヨーロッパと日本のプロダクトデザインで素晴らしい実績をあげられましたが、その下の世代、―つまり僕らの世代ですが―には、世界を舞台に活躍する喜多さんのようなスケールのプロダクトデザイナーが見当たらない。それは何か残念だと思います。いまの日本のプロダクトデザインになにが足りなくて、これからなにが必要だとお考えですか。 喜多 これからの日本は、まず住環境に本腰を入れなくてはいけないでしょうね。素晴らしい製品というのは、ちょうど花のようなものです。すてきな花には良い茎と葉と根があって、良い土壌がある。 牛建 衣食住の中で、住の部分だけがまだ貧しいですね。そこが変わる必要がありますね。これらが総合的に共鳴しあって良い環境からデザインが生まれてくると思います。 喜多 そうですね。日本はデザイン大国になるしか明日はないのです。そういう意味では、一度そういう流れになると生活も変わるのは早いと思うのですが。 牛建 いろいろな活動をなさっていますが、最も力を入れているのはどのようなことですか。 喜多 グッドデザイン賞が誕生して来年で50周年です。この重要な時に私がたまたま審査委員長なので、そのことを世界に伝え、日本がデザイン大国であることを知ってもらう役割を果たしたいと考えています。来年4月に行われるミラノのトリエンナーレで、グッドデザイン賞50周年の展覧会を企画していて、それをいま一生懸命やっているところです。 牛建 今日は、日本のデザインの未来にとって有益で元気が出るお話を伺いました。ありがとうございました。
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