トーク * Design対談
デザインが生まれる現場から
 
(株)IDKデザイン研究所 代表取締役 喜多 俊之
IST(INTERSPACE TIME)代表 牛建 務氏
 
日本がデザイン大国なるためには、
何が本物で何が偽者なのか、
何が美しくて何がそうでないのかの
基準をもっていないとなりません


生活復興期にあった60年代のイタリアで
デザインの土壌にある"豊かな住環境"を体感

大阪・高麗橋のオフィス。周辺には古い建物がいまも残る 牛建 ご無沙汰しております。DDA((社)日本ディスプレイデザイン協会)の審査会以来ですね。今回の対談まで、喜多さんの事務所(の出先機関)は当然、東京にあると思い込んでいました。それくらい、デザイン業界も東京一極集中が進んでいますよね。デザインの世界では、ほとんどの人が東京に出てきて仕事をしていますが、喜多さんは地元の大阪におられてマイペースで仕事をされているという印象があります。

喜多 「なぜ東京に行かないのですか」と、よく聞かれますが、私は逆に「どうして行かなければいけないの」と思いますよ。グラフィックデザインの場合はいろいろな方が東京に移って仕事をされていますが、ものづくりに関わるプロダクトデザインの場合、工場が日本中に散在しているので、大阪あたりが東日本と西日本のちょうど中間で便利なのです。ひとつにはそういう理由があります。それから、1200年間日本の首都だった京都や奈良がある関西は、非常に魅力のある土地だということもあります。

牛建 喜多さんは年齢的には僕よりも一世代上ですが、非常に早い時期にイタリアに渡って仕事をなさっています。僕らの世代でも海外に出て仕事をする人はそんなにいませんでしたから、お互い珍しい選択を人生の中でしてきたわけですね。イタリアに行かれたのはいつごろですか。

喜多 1969年です。イタリア語の勉強をしていかなかったので、まったく白紙の状態でした。「チャオ」と言われて、「なるほど。挨拶はチャオでいいのか」という感じでした。「チャオ」というのは、本来はとても親しい人同士の挨拶ですが、私の場合は、どこに行っても「チャオ」で、だから誰とでもすぐに友達になってしまった。ですからイタリアでは楽しかっただけで、何か苦労したという思いはありませんでした。

牛建 それですぐ仕事をやっていけるというのは、今の時代ではほとんど不可能だし、デザインの繊細な部分を説明するのが、たいへん難しいと思います。

喜多 たまたま行った時代が良かったのだと思います。イタリアの60年代というのは生活復興の時代です。なかでも一番活発だったのは住環境を復興させようという動きでした。小さな家を大きな家にして、そこに家具やインテリアを入れるということで、家具などインテリアの会社が非常に伸びていた時代でした。その真っ只中にポンと行ったわけです。
  どの家庭にも立派なキッチンが入って、そこが家族のためというより友達が訪れるサロンとなっていました。ですから、住居がとても格好良かったのです。映画の『自転車泥棒』などでしかイタリアを知らない知人たちが「イタリアは泥棒が多いから気をつけろ」と言っていたのですが、行ったらまるで違いました。みんなが広い家に住み替えていて、それがデザインの土壌になっていることが分かってカルチャーショックを受けたのを思い出します。

牛建 文化を乗り越えなければならないギャップがすごかったわけですね。

喜多 そうです。日本ではちょうど大阪万博前夜の時代です。同じ敗戦国なのにこの違いは何だろうと思いました。3か月で帰ってくるつもりで行ったのですが、これは住んでみてどういうことになっているのか体験しなければと、考えが変わったわけです。

牛建 その後、イタリアと日本で仕事をされるわけですが、二つの国の仕事のレベルで悩むということはありませんでしたか。

喜多 最初から頭の中は2チャンネルでした。向こうは向こう、こっちはこっち、それほど違った世界だった。ですから、イタリア行きの飛行機に乗ったとたん頭の中が全部入れ替わっていくのが分かりました。向こうから日本に帰るときも全部入れ替わる。

牛建 僕は20年くらいアメリカで仕事をしましたが、素材を中心にした非常に完成度の高い日本のデザインと様式美を中心としたアメリカのデザインについて、10年ほど自分の中に葛藤がありました。
  時代のムーブメントとしてアメリカのデザインを日本に紹介したいのだけれど、あまりにも文化が違い過ぎて、すぐ飽きられるのではないかということで、デザインをするときに葛藤が生まれるわけです。

喜多 私にも、葛藤はきっとどこかにあったでしょうね。あったけれど、わからないからうやむやにしてどこかにしまい込んだのではないかな。それから、初めてイタリアに行ったとき、言葉はなにも分からなかったのですが、「あ、同じ人間だ」ということを何かのときに思って、痛いときは痛いし、悲しいときは悲しいし、嬉しいときは嬉しい。これでいいんだというように開き直ったということは言えます。

 

イタリアではデザイナーや企業家は
オリジナルのものしか「いいね」といわない

牛建 僕が住んでいたアメリカは合理主義の国ですが、ヨーロッパは違う面があり、そのモノづくりは昔の日本に似ているところがあるのかもしれませんね。

喜多 そうですね。たとえば初めの打合せは、ほとんどが食事やコーヒーを飲みながらできました。そこをああしてこうしてと言うと、よし分かったということで仕事が進んでいく。人対人で、「これはどうかね」とか「これは素敵だね」という会話の中からモノができあがっていく。もちろん、相手は僕が何をするのかというのを厳しい目で見ているわけです。それを商品化したら売れるというメリットがなければ企業としては絶対にやらないわけですから。当時、私は気楽にやっていたのですが、後になって実際にはそういうフィルターを通した会話だったのだと気がつきました。

牛建 喜多さんがもっているデザインの要素を欲しかったのでしょう。それが波長が合う感じではなかったのですか。

喜多 波長が合ったということは確かにあると思います。当時のイタリアの企業はほとんどがオーナー企業ですから、話をするのは、ほとんどオーナーなんです。ですから、その場で即断即決です。当時は、オリジナリティのあるものを自社ブランドとして育てて世界に進出して行きたいという企業が多く、従業員が10〜15人くらいでも世界に出て行くのだと信じてやっていました。

牛建 21世紀のイタリアの経済を復興させたのはデザインだと言われていますが、そのパワーはそういう環境の中から生まれたと思います。

喜多 そうですね。イタリアのデザインは日常の暮らしから出てきたものです。つい最近までイタリアにはデザインの学校なんてなかったのです。ですから留学しても入る学校がなく、スタジオや建築家たちの工房が学校みたいなものでした。一番のデザインの学校は住宅、つまり暮らしの現場だったのです。
  以前はイタリアでデザイナーというと、親方から渡されたスケッチをもとに原寸の図面を描く人のことを言っていました。そのときに強度の問題とか加工の問題も考えないといけない。アルキテット(建築家)は、自分のオリジナルなスケッチをして、それをデザイナーに渡す。アルキテットが図面を引くことはない。私の場合、ラッキーだったのは、デザイナーではなく最初からアルキテットとして仕事をしたことです。たまたまグラフィック事務所が工業デザイナーを探しているというので行ったら、「明日から来てくれ」ということになりました。それで、いきなりアルキテットの席に座らされました。図面を引くということはなく、次から次へとアイディアを考えスケッチをするわけです。脇に法律から強度まで全部知っている助手がいて、その人が私のスケッチをもとに、このパイプは32mmより42mmのほうがいいのではないか、という具合に図面に落とし込んでいくわけです。

牛建 クリエーションの過程が日本とは違うわけですね。その時に大きな文化の違いを感じる時があります。

喜多 アイディアの段階で、その企業のオーナーと軽いミーティングをする。そこでできたスケッチをデザイナーに渡します。すると原寸大の図面ができてきて、そのまま試作に入ります。試作はほとんどの場合社内に試作班があります。クリエーターにとっては非常に恵まれた環境なのです。ですから、ベネチアガラス、照明器具、家具などいろいろな仕事をしました。後ろにたくさんの人がいてくれたからです。イタリアで、デザイナーがいまのような形で仕事をするようになったのは、そう昔ではありません。

牛建 モノづくりというものをとても大切にしていて、一つずつオリジナリティがあるわけですね。ある時代の日本みたいですね。

喜多 イタリアでデザイナーと企業の人たちが「これはいいね」と言うのは、これまで世界に無かったものという意味です。オリジナルなものしか「いいね」とは言わないのです。

 

プロデューサーが日本の企業にいないから
プロダクトの現場でデザイナーを活用できない

牛建 僕は前から、日本のプロダクトの現場はデザイナーをうまく起用していないという感じがしています。欧米の名前の出ているデザイナーは結構いろいろなプロダクトを作っています。日本でも、もっとそういうことが行われていいと思います。

喜多 それは、いまの日本にプロデューサーがいないからです。イタリアの小さな企業から素敵な商品が生まれるのは、プロデューサーがいるからです。それは企業のオーナーです。向こうのオーナーは素敵な暮らしをして、デザイナーに負けないような素敵なライフスタイルをしている。だからデザイナーを使いこなせるのです。そういう人たちがいまの日本には少なすぎるのです。明治、大正から昭和の初めくらいにはいたと思いますが、最近は才能を見抜ける目をもったプロデューサーがいません。だから効率だけが重視され、何が本物で、何が偽者かがわからなくなっているのです。
  特に大企業ですね。大学をトップで卒業したような優秀な人が大企業に入って駄目になってしまう。ある企業ですごい人がいるなと思っても、次に会ったら普通の企業人になってクリエイティブな輝きを失ってしまっていることがよくあります。企業は、そういう人が活躍できる場をつくり、プロデューサーを育てないと駄目です。

牛建 日本社会では、良い会社であってもみんなサラリーマンだから、無難なところで落ち着けば良いという発想があり、いろいろなデザイナーを起用するという冒険はしません。ですから、プロダクトデザイナーはあまり日の目を見ないという気がします。

喜多 しかし、これからはそれでは日本は成り立たないですね。もうぎりぎりのところまできています。
  3年前に北京のイベントに行ったことがありますが、中国政府がデザインを新資源と考えて行ったデザインフォーラムで、大学などいろいろな関係者が全土から集まりました。そして、その2年後には第1回インダストリアルデザインエクスポを開催しました。さらに、これから500の工業デザインの大学を立ち上げるということです。中国では、デザインを新資源とする動きがもう始まっているわけです。
  一方、日本の企業はまだデザインよりテクノロジーを重視しています。テレビに出ている評論家なども、これからはテクノロジーの時代ですということは言っても、デザインについては触れない。新聞でもデザインという言葉を使う記者がいません。なぜかというと、デザインと暮らしていない。デザインのある暮らしなんて、忙しすぎて考えてない人が多いのではないでしょうか。
  イタリアに行って、10年後には日本もこういう素晴らしいデザインの国になるかなと思ってずっと待っているのですが、一向にそうならない。いままではそれでも良かったけれど、いよいよアジアの国々が出てきた。またヨーロッパも国家プロジェクトでデザインに力を入れている時代に、これでいいのかと思います。
  私はGマークの審査などで、これだけは言っておかなければと思って、「日本はハイテクとハイセンスの両輪を回さないと明日はありません」という発言をしたことがあります。ハイテクノロジーではなく、ハイセンスということを前面に出さないと日本はどんどんアジアに置いていかれることになると思います。
  しかし、ハイセンスなデザイン感覚を育てるというのは今日、明日でできることではありません。テレス・コンランと話したとき、彼は「デザインは、98%は日常の暮らしの中で生まれるものです。つまり常識なのです」と言っていました。うまいこと言うなあ、やはり実践者だなあと思いましたね。そういえば昔の素敵なものというのは、当時の常識なのです。よく見ると特殊なものでも何でもない。日本の素敵な重箱だとか漆塗りの座卓は、当時の常識なのです。そういう意味で日本はいま、ちょうど岐路にあるのではないかと思います。世界に向けてオリジナルをどうつくるのかというのがこれからの一つの鍵になるような気がしています。
  それから、もう少し自信を持ったほうがいい。私たちは北斎や光琳など、素晴らしい文化の塊を抱えているわけですからね。

応接ルームには喜多氏の「作品」が並ぶ クリエイションルーム
(左)●応接ルームには喜多氏の「作品」が並ぶ
(右)●クリエイションルーム

 

日本がデザイン大国になる条件はすべて揃っている。
後は自分たちデザイナーがそのつもりでやること

牛建 僕が日本に戻ってきて強く感じたことは、日本の男性というのは自分の住むところにあまり意識が行かないということです。お前はデザイナーだからこだわるのだろうと言われるかもしれませんが、デザインというものは気持ちを高揚させてくれるし、楽しいものです。そういうことが、みんなに浸透していく必要があるといつも思っています。
  日本ではデザイン雑誌はあまり売れませんが、アメリカではどこに行ってもそういう本が置いてあり、デザインが日常にものすごく関わっているところがあります。日本の文化はいま、便利で簡単という方向にシフトしてしまって、デザインの素晴らしさ、楽しさが忘れられているという気がします。

喜多 日本では、最近あまり「よそ行き」を着なくなりましたね。「よそ行き」という言葉さえ懐かしいということになっていますが、1960年代に起きたイタリアの生活のブーム、デザインブームは「よそ行き文化」なのです。人が家に来るときには、いい服を着て待っているわけです。インテリアも格好良いものを揃えて、お客さんを迎えようとするわけです。そこが日本とは決定的に違うところです。

牛建 なるほど。だからファッションや車、生活用品、いずれもイタリアのセンスは素晴らしい生活の中にデザインが集約されていて、それが、デザインの感性を高めていると思います。

喜多 われわれにはぴったり来ますよね。その元はダヴィンチだったり、メディチ家だったりに根差しているのではないでしょうか。私たちのセンスも遡れば、光琳だったり北斎だったりというところに根差しているのではないかという気がします。そういうふうに、自分たちのルーツとか体系を意識するのはとても大切だと、このごろ思うようになりました。

牛建 喜多さんはヨーロッパと日本のプロダクトデザインで素晴らしい実績をあげられましたが、その下の世代、―つまり僕らの世代ですが―には、世界を舞台に活躍する喜多さんのようなスケールのプロダクトデザイナーが見当たらない。それは何か残念だと思います。いまの日本のプロダクトデザインになにが足りなくて、これからなにが必要だとお考えですか。

喜多 これからの日本は、まず住環境に本腰を入れなくてはいけないでしょうね。素晴らしい製品というのは、ちょうど花のようなものです。すてきな花には良い茎と葉と根があって、良い土壌がある。
  一流のモノを作らないと日本に明日はない。一流製品を作る以外、世界にもう日本の製品の座るべき席はないのです。そして、それを咲かせる土壌というのは住環境であり、私たちの暮らしぶりです。ここに焦点を絞るべきではないでしょうか。
  もう一つは若い人は日本だけでなくてバイリンガルで世界を見ることが必要です。世界を見て自分たちのスタンス、アンデンティティをしっかりと身に付ける必要がある。
  ただ、日本はもっと自信を持っていいと思いますよ。おそらく日本の自然は、世界の特等席に当たるものだと思います。自然があって私たちの文化があるわけです。自然も素晴らしい文化もある。そうするとほとんどカードが揃っているわけですよ。
  だけど戦後大変な時期があって、それを飛び越さないといけなかったから停滞した。しかし、あと数年もしたら、日本はデザイン大国に変身すると私は思っています。そうなる条件は全部揃っていますから、あとは私たちが、そのつもりになってやるしかないと思います。

牛建 衣食住の中で、住の部分だけがまだ貧しいですね。そこが変わる必要がありますね。これらが総合的に共鳴しあって良い環境からデザインが生まれてくると思います。

喜多 そうですね。日本はデザイン大国になるしか明日はないのです。そういう意味では、一度そういう流れになると生活も変わるのは早いと思うのですが。
  デザイン大国になるためには、何が本物で何が偽物なのか、何が美しくて何がそうでないのかという基準をもっていなければならないわけです。そういう意味では、いまの私たちの暮らしぶりが本当に良いのかどうかは大いに疑問です。
  しかし、家になくても、素晴らしいクラブや喫茶店に行ったり、素敵なレストランに行ったりすることで、本当にいい空間を体験することはできるわけです。自分の家はまだだけれど、スタンバイはできているのではないかと思うのです。そういう意味で、私は日本のデザインの明日についてはすごく楽観的です。

牛建 いろいろな活動をなさっていますが、最も力を入れているのはどのようなことですか。

喜多 グッドデザイン賞が誕生して来年で50周年です。この重要な時に私がたまたま審査委員長なので、そのことを世界に伝え、日本がデザイン大国であることを知ってもらう役割を果たしたいと考えています。来年4月に行われるミラノのトリエンナーレで、グッドデザイン賞50周年の展覧会を企画していて、それをいま一生懸命やっているところです。
  グッドデザイン賞は、もともとはドメスティックな賞ですが、今年から審査対象をインターナショナルに変えて三千数点の中からベスト15を選ぶということをやっています。選ばれたベスト15はいずれもいままで世界になかったものです。日本のものづくりに新しい潮流が始まりつつあるのではないかという気がしますし、日本企業も逞しくやっていくのではないかと思います。
  これから中国が本格的にデザインに取り組みますが、まだほんの少しだけ時間があります。日本はこの間に世界で一番品格があって素敵なものを作る国だと認められるように変わらなければいけないと思います。

牛建 今日は、日本のデザインの未来にとって有益で元気が出るお話を伺いました。ありがとうございました。

喜多俊之氏 喜多 俊之 氏
きたとしゆき○1942年大阪市生まれ。1969年よりイタリアと日本で制作活動を始める。最近ではシャープの液晶テレビ「AQUOSシリーズ」や三菱重工業のロボット「wakamaru」などのデザインを手がける。他に各地の地場産業の活性化にも携わる。多くの作品がニューヨーク近代美術館など、世界のミュージアムにコレクションされている。グッドデザイン総合審査委員長を務める。

  
牛建 務氏
うしだてつとむ○1976年Chaix&Johnsonに入社、一貫して商業施設のインテリアデザインを手がける。現在、活動の本拠を東京に移して、商業以外のデザインにも意欲的に取り組んでいる。

牛建氏


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