トーク * Design対談
デザインが生まれる現場から
 
アーティスト 日比野 克彦 氏
IST(INTERSPACE TIME)代表 牛建 務氏
 
日本のスタイルというものを
しっかりと考えて
デザインしていくことが
今後ますます大切になっていく



直感力が躍動感あふれる
デザインの力強さを生む

 
牛建 ご無沙汰しています。日比野さんの作品が知られるようになったのは、 僕がまだアメリカに仕事の拠点をおいていた80年代ですね。 何回か日本に戻ることがあって、そのときにテレビでお見掛けしました。 グラフィックデザイン賞の新人賞をとられたということで、確か「11PM」という番組での出演だったと思います。 僕はグラフィックの方はよく知らなかったのですが、それを何となく見ていて、発想がおもしろいなということを憶えています。 当時は立て続けにたくさんの賞をとられましたね。
 
日比野 82〜83年ですね。 日本グラフィック展、そのあと日本イラストレーション展、それからADC。 大学院の1年生だったのですが、立て続けに賞をもらって仕事をし始めて、それで牛建さんともお会いすることになったわけです。
 
牛建 実はいっしょに仕事をしたことがありますね。 その時は、日比野さんの名前を聞いても、テレビで見たあの日比野さんだとは思いませんでした。 あのときは模型を作って持って来られたのではないですか。
 
日比野 ジェイクラブ(Jクラブ溜池 若者に人気のディスコ、Jトリップバーの系列店で、より高い年齢層の客をターゲットにしたディスコ)の模型です。
 
牛建 ええ、ジェイクラブでした。あの時は正確にはまだ僕は日本に戻ってきていない状態で仕事をしていました。 ですからジェーン・ツカモト(ジェイクラブのオーナー)さんから外装のデザインを日比野さんにやってもらうということを聞いても、僕の記憶の中にある日比野さんと話に出ている日比野さんが一致していませんでした。 ジェーンさんの話を聞いて、そういう人がやってくれるのなら、もっと内部もやってもらってはどうかという案もあったのですが、依頼者からアメリカの匂いを出して欲しいという要望が出されていたこともあり、そのまま話が進みました。 ただ、ディスコはそれまでやったことがなくて初めてだったので、あのときはとても助かりました。 その後一緒にテレビに取り上げられましたね。
 僕が日比野さんの作品を見て感じるのは、アート的にどうのこうのというよりも、ものすごく力強さがあるということです。僕のようなデザイナーは、一つの画面の中でどういうふうに構成するかということをいろいろ考えるのですが、日比野さんの場合はアイディアを作品にぶつけていくという感じですね。
 
日比野 そうですね。僕も最初は平面に絵を描いていました。そのうちにダンボールに絵を描くようになったのですが、ダンボールには厚みがあり、紙をはがすと中に穴ができます。 そうすると、そこで平面が深みのある立体になるわけです。
 最初、パルコのグラフィック展にダンボールに描いた絵を出したら、「このコンクールはグラフィック展である。しかし、日比野という奴の作品はダンボールで穴が空いているから立体で、グラフィックではない」と言う審査員がいて、1等賞にするかどうかもめたようです。
 いまはもうそんなことを言う人はいませんが、その当時はダンボールの厚みでも立体だという認識でした。 イラストレーションは印刷のための原画という考え方があって、いわゆる印刷機にかけられるものでないと駄目だというような固定観念があったわけです。 でも僕がダンボールで賞をとってからはいろいろな素材の作品が出てくるようになりました。 グラフィック展は平面の展覧会なのにどんどん厚みのある作品が出てきて、その中におもしろいものがたくさんあったので、オブジェ部門というのが独立してできたほどです。
 ダンボールを使ったことで平面が立体になったわけです。 するとこんどは舞台美術やショーウインドウをやってみませんかという話がくる。 空間をやってみませんかという話がくるようになった。さらに演劇などをやると、今度はそこに時間や役者が絡んできて、一つのストーリーになってくる。 そういうように、どんどんメディアが広がっていったわけです。
 僕の場合、立体を作るにしても図面を描いてというよりも、ダンボールというものは折り曲げれば立つし、それを舞台上におけば舞台美術になるというようなやり方です。 内装の仕事もいくつかやりましたが、模型はつくるけれど図面は引かない。というか、引けないのですけど(笑)。
 一度建築のコンペに誘われたのですが、建築家の友達に相談したら、模型さえつくればいまの技術ではなんだってできるからと言われました。 それで模型だけでやったことがあります。そのコンペには落選しましたが、これだからこうしなくてはいけないという洗礼を受けることなくやってきたということはありますね。
 
牛建 普通、グラフィックをやる人というのは、白いきっちりとしたキャンバスに、絵の具をどういうふうにのせるか、自分のタッチでどう構成するかということをものすごく考えるわけです。 しかし、日比野さんの作品を見ていると、そういうやり方ではなく直感でやってしまうところがある。 それが躍動感を生み出しているのだと思います。
 
 
表現の媒体として街を舞台としたことが
新しいものを創る原動力となった

 
牛建 日比野さんの作品にダンボールを使った飛行機の絵がありましたが、すごく心に残っている。 なぜ残るのかと考えたら、子どもの頃の感覚を呼び起こしてくれるからなのです。 作品を見て、きれいだなとか、いいなということではなく、訴えてくるものがある。 これは持って生まれたものなのか、たまたまそういうスタイルで一気に出てきたのか、不思議な人だなあと思っていました。
 64年の東京オリンピック以降、永井一正さんや田中一光さんなど評判になったポスターがたくさんありましたが、グラフィックというのはああいうものだというイメージがあったのですが、日比野さんの場合はまったく入り方が違いますね。
 
日比野 そうですね。表現の媒体がいわゆる印刷物ではなかったですね。 パルコは渋谷の街の中で作品を展開していくという感覚がありました。 64年の東京オリンピックや70年の万博のときのグラフィックデザイナーの仕事はポスターやチケットのような印刷物が表現のステージでした。 しかし、パルコができて道に公園通りという名前が付けられ、若者文化が街に出てきたときに、やはり自分は街の中で表現していきたいという思いがありました。 印刷に適した原画的な感覚というものにはまったく気を配らなかったのです。
 その当時僕がよく仕事をしていたのはデパートやテレビ局やバーやクラブで、ここでは何をやってもいいと言われました。 84、85年頃というのは、たとえば西武だったら、他のデパートでやっていないことをやっていきたい、テレビ局だったら他局でやっていないことをやっていきたい、バーやクラブなら他でやっていないことをやっていきたい。 とにかく新しいことをというオファーばかりがあったので、自分の好きなようにどんどんやっていましたね。
 
牛建 時代がよかったということでしょうね。 バブル経済という背景があったから、アーティストもいろいろな方面に紹介してもらえるし、 その良さもわかってもらえるところがあった。 いまは経済が衰退しているから、それぞれの分野に限定されるようなところがある。 しかし、最近またジャンルを外れようという動きが出てきているような気がします。
 
日比野 永井さんたちの頃はデザインの先生はヨーロッパだったと思います。 その後、60年代70年代のアートの先生はアンディ・ウォーホールなどアメリカだった。 さらにキース・ヘリングやバスキアは僕と同じ世代ですが、アメリカ・ニューヨークでグラフィティ的な作風が評価されてシンデレラボーイのように出てきたというサクセスストーリーがありました。 その頃は、日本でもバブルがはじける前の非常に景気のいい時期でしたから、どんどん若い人たちが出てきたわけです。
 いまは日本独自のゲーム、マンガ、アニメなどのオリジナルな文化がありますから、ヨーロッパに追いつけアメリカに追いつけではなくなっている。 昔と違って若い人の中から日本のオリジナリティというものが出てきていますね。
 
牛建 遠くから見ていただけですが、日比野さんは以前より格好良くなったと思います。
 
日比野 そうですか。ありがとうございます。
 
牛建 いまはオーラが出ているし、余裕が感じられる。 自分のやっているスタンスが着実に見えてやっているなという感じがするから、 いろいろな作品を見せてもらっても、すごく落ち着いて見られるということがあります。 やはりその人の持っているオーラが僕らを安心させてくれるようなところがあるものです。
 最近はいろいろなワークショップをやっているようですが、これからどのような方向に進んでいくのか楽しみです。
 
 
日常のなかにあるイマジネーションの世界を
表現することがデザインの面白さ

 
日比野 僕のできることあるいは役割というのは、美術というものを日常の中で機能させるものとして見せていくことだと思うのです。 すごくコンセプチャルなアーティストがいたり、自分の世界を追求する作家がいたり、いろいろなタイプのアーティストがいますが、僕の場合はもっと日常にある形とかモチーフというものをちょっと見方を変えて見せることによって、すっと入れるようなものに昇華していきたい。
 美術だけの仕事でなくて、その垣根を取り払いたいという思いがあります。 ちょっと変わった仕事ですが、この前は中学校の教科書をやりました。それも国語です。 昔から日本の国語というのは読み書きが中心でしたが、最近は聞く・話すという、コミュニケーションに重点をおいています。 人間の最初のコミュニケーションは言葉ですね。言葉によって考え方が決まってくる。 牛建さんがアメリカにいって英語で話せば、当然英語的な考え方になるわけで、 日本人は日本語を使っているから日本人としての精神性や考え方が生まれるといえると思います。
 言葉のコミュニケーションというのはイマジネーションの世界ですから、その国語の教科書の元となった『100の指令』という本では言葉だけで絵を描くというようなことをやりました。オノ・ヨーコさんが昔『グレープフルーツ』という本の中でやったようなことを、もっと日常的なレベルでやってみようというものです。  たとえば口の中を舌で触ってどんな形があるか探してみようという指令があって、それでいろいろな発見をする。
 
牛建 そういう発想がおもしろいですね。遊び心というか。
 
日比野 言葉を聞けばそのイメージが描けるわけです。イメージがないと絵も書けないし詩も書けない。イメージを持つということが一番大事だし、絵が描けないという人でもイメージを描くことはできる。 おかあさんが料理をするときも、冷蔵庫の中の材料をみながらイメージして献立を考えるわけです。 絵を描くことだけが美術なのではなくて、日常の中にたくさんのイマジネーションがあり、それも創造の世界になる。
 
牛建 僕はいつも日常の中に非日常を感じたいと思って生きています。非日常ばかり探している。 仕事は日常的なものでいやなことばかり起こっているからです。 音楽や映画など、自分の周囲にあるものの中でアート性のあるものに触れると、子どもの世界に戻れるものです。 そして、そういう世界を自分のデザインの中にもいつも探しています。
 日比野さんの作品は型にはまらなくてすごく面白いと思うし、デッサン力がどうのこうのというのでなく、 動きの面白さの裏に隠れている力強さを感じる。 僕だけでなく他の人も同じように感じるのではないかなと思います。 最近、六本木が変わったけれど、あの六本木の地下鉄の壁画はどうして日比野さんのではないのかなと思います。 あったらおもしろいのになあ。
 
日比野 今度、機会があれば、上海でもシンガポールの仕事でもいいですから呼んでください。 タイミングが合えば、ぜひ一緒にやりましょう。


 
 
日本の風土や素材の良さを
活かしたデザインが残っていく

 
牛建 日比野さんは学校で教えたり、ワークショップで子どもたちにいろいろ教えたりしていますが、 10年前20年前の日比野さんにはなかったことだと思う。 日比野さんに余裕が出てきたということなのだと思いますが、そういう中から日本の新しいスタイル、 日本の新しい文化をつくってほしいと思います。
 
日比野 そうですね。僕も今年で47歳になりますからね。 先日、内田繁さん(インテリアデザイナー、日本のインテリアデザイナーの草分け)と、 「日本のスタイルというけれども、日本のスタイルなんてあってないようなものだ」という話になりました。 そのスタイルというのは江戸なのか、鎌倉なのか、平安なのか、縄文なのか、どれをとって日本のスタイルというのか。 僕たちは全部まとめて日本のスタイルと言っているけれども、「日本のスタイルというのをもっときちんと考えて出していかないといけないよね」 というのが内田さんの意見で、僕もそうだなと思います。
 われわれは日本のスタイルを持っていると思っているけれども、 いろいろコピーしたりミックスしたりすることが得意な面がある。 だから、これが日本のスタイルだと言い切れないところがある。
 
牛建 確かにそうですね。僕のように人生の半分以上を海外で生活した人間には、 なんで日本人は西洋人の真似ばかりするのかなと思えることがたくさんあります。 日本の素材の良さやフォルムを使って、日本をしっかり出しているものはやはり残っていくだろうと思います。 ですから、ぼくらはやはり西洋の真似をしたら駄目だろうという思いはありますね。
 
日比野 日本の持っている素材、風土がありますから、素材をいじりながらつくっていくというのが、 いちばん日本のスタイルを築くのに大事なことかなと思います。
 僕の場合でいえば、ダンボールという素材があるからああいう線がうまれてきたわけです。 なぜ白い紙に描かなかったのかというと、白い紙だと緊張するからです。 失敗できないということで力みが出る。ダンボールだと自由な線を引き出してくれるわけです。 素材の影響力というのは非常にあります。和紙とか土とかガラスとか、 ガラスの素材だからこういう形を作りたくなるとか、磁器だから紙だからというのがあるではないでしょうか。
 
牛建 僕もインテリアをやる時、素材の持っている感情をできるだけうまく出したいと思っています。 それを僕はデザイン・サイコロジーといっています。 素材を見ることで感じる感情があるのですが、それはアートの世界でもいっしょだと思います。 日比野さんには、素材の持っている良さを100%引き出して、 自分なりのオリジナリティをそこに入れていこうというところがあると感じますね。
 ダンボールに絵を描こうなどとは、普通は考えない。 あれがおもしろいのは一つの枠の中になぜあのようなプロポーションができるのかということです。 普通はものすごく計算しないとできないですよ。 計算していないように見せるとしても、実は頭のなかでものすごい計算が行われているはずです。  でも日比野さんの場合はテレビで見ていてもそうなのですが、ものすごく早く描いていますね。 あれは計算されたものを持っているけれどそれは出さないようにして描いているのか、本 当に一気にパワーで描きあげるのか。持って生まれたセンスだと思いますが、一体どちらなのでしょうか。
 
日比野 スピード感というのは反射神経だと思っています。 僕はサッカーをやっていますが、スポーツマン的な感覚です。 サッカーではボールが動くことに反応して次の動きが生まれる。 それと同じで、紙に最初何かタッチをいれると、そのタッチに反射してでは次にどうしようかということで描く。 そしてさらに次を描く。やり過ぎたかなと思ったら、こんどはそれを押さえるために反対側を塗りつぶすとか、 一手が次の一手を呼ぶみたいな、そんな連続だと思うのです。
 
牛建 それは普通のデザイナーや芸術家とは違いますね。 多くのアーティストは何枚もの下描きをやって最高の1枚を出してくる。しかし、それは何か動きがない。 日比野さんは、それとは違って全てに動きがある。それが楽しい。動きがあるものはいくら見ていても飽きない。 本などで当時の作品を見ても飽きることがない。そこには一つのスタイルがあります。
 今日対談をして、改めて日比野さんこそ、日本が生んだ素敵なアーティストの代表ではないかと感じました。 お忙しいところ、ありがとうございます。
 
日比野 克彦氏 日比野 克彦 氏
ひびのかつひこ○1958年生まれ。東京芸術大学大学院修了。在学中にダンボール作品で注目を浴び、国内外で展覧会を多数開催するほか、舞台美術、パブリックアートなど、多岐にわたる分野で活動中。近年は、各地で一般参加者とその地域の特性を生かしたワークショップを数多く行っている。1982年第3回日本グラフィック展大賞、1983年第30回ADC賞最高賞、第1回JACA展グランプリを受賞。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」では「明後日新聞社文化事業部」を設立、活動を継続中。2005年は「愛・地球博」に参加、8/6〜9/19には水戸芸術館で個展を開催する。
ウェブサイト:「cafe hibino net work」 http://www.hibino.cc

  
牛建 務氏
うしだてつとむ○1976年Chaix & Johnsonに入社、一貫して商業施設のインテリアデザインを手がける。現在、活動の本拠を東京に移して、商業以外のデザインにも意欲的に取り組んでいる。
牛建氏

 

このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。
Copyright 2005 TANSEISHA.co.,ltd.
All right reserved.