■トーク * Design対談
デザインが生まれる現場から
(株)ザ・ステューディオ・トウキョウ・ジャパン 代表 奥村
靫正 氏 自分の様式に落とし込むのではなく 逆にそれまでの様式をどんどん壊していく
牛建 こんにちは、お久しぶりです。相変わらず元気そうですね。 奥村さんとはいろいろな交流の中で話をしているのですが、お互い自分の領域の事とかは話さなかったので、今回の対談を通じて新しい発見がある予感がします。奥村さんは1980年代にYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のポスターをつくったり、 いろいろなアートディレクションをされています。 なおかつ日本画のテクニックを活かした絵も描かれる。 ある部分はディレクター、ある部分はグラフィックデザイナー、ある部分は芸術家というところがあって、 僕からすれば非常にユニークな方だという認識をもっています。それだけ領域の広い人というのは珍しい。 アーティストでありながら、閉じこもって作品だけ描いているようなタイプではないですね。 はじめに、70年代、80年代、90年代と仕事面での変遷について聞かせてください。 奥村 70年代はアメリカのヒッピー、サイケデリック、ニューエイジ文化の影響を受けましたし、 80年代にはポストモダンの流れのなかで試行錯誤していました。 グラフィックデザイナーというのは「作家」ではありませんから、自分だけで発想できて仕事が着地するというものではありません。 クライアントからの要求に対して答えを出していくという、いわゆるアートディレクションが先行してグラフィックデザインの仕事になっていきます。 そのときに自分の技量をスパイスとしていろいろな材料を持ち込んで最終的に構築していくわけですが、私の場合はその時代時代で自分のスタンスというものがあります。 いまの流れというのは、建築でも軽やかで透明感のあるものが要求される方向に向かいつつあって、 素材まで決められてしまうようなところがあるようですが、そこで自分は違うという部分が出てくると思います。 グラフィックでも同じです。時代の流れの中でも自分なりの素材の選び方やデザインのやり方があって、 自分のスタンスをどこに見つけるかということが大事です。 その部分では建築もグラフィックデザインも一緒だと思います。 牛建 デザイナーとして時代の流れには敏感なほうですか。 奥村 そうですね、生活していれば、自然と入ってくる情報によって、 世の中がどういう方向に動いているかという時代の気分のようなものはだいたい分かります。 牛建 早くから、グラフィックにコンピュータを使っているということを聞いたことがありますが、 奥村さんはどちらかといえば保守的なグラフィックデザイナーではないですね。 奥村 たとえば、田中一光さんにしろ福田繁雄さんにしろチラッとみれば、
その人の作品とわかりますが、僕の場合は、見てもすぐにはわからないと思います。 デザインに多少関わっている人でも、新作では「これはひょっとすると奥村かな?」という程度で、
パッと見て、「これは奥村の新作だ」とわかる人はなかなかいないと思います。 日本画のものはある程度分かりやすいけれど、他の流れからもってきたものはなかなか難しいと思います。
それは僕が作家性を軽く見ているからではなく、常に変わろうとしていて一度やったテクニックは次にはあまりやらないからです。 普通はどこかで自分の様式に落とし込もうとするわけですが、僕の場合は逆に様式をどんどん壊していくという傾向が強いのだと思います。
牛建 奥村さんの作品の部分部分は分からないけれど、 全体としてみるとなにか感情的な部分で分かる要素があるというか、スタイルはもたないとはいっても、 訴える自分のものがあるということは感じますね。 奥村 確かにそういう部分はあると感じていますが、割と珍しいタイプではないかと思います。
音楽に関わって活動したことが その時期のデザインのスタイルに大きく影響 牛建 最近の奥村さんの仕事は、以前のポップアート的なものから、 だんだん琳派の流れのようなものに変わってきていますね。 それがいまの時代性の中にあって非常にモダンアート的であるわけですが、 琳派は300年前からモダンなものであったのか、それとも、 今という時代だからモダンなものとして評価されるようになったのか。 奥村さん流の評価はいかがですか。 奥村 琳派というのは、日本人が評価する材料としては非常にむずかしいものがあります。 むしろアメリカやヨーロッパの金持ちが収集して、 テキスタイルのパターンや宝石といったいわゆる装飾物になっていったわけです。 もともと日本人というのは琳派に全然気付かなかったのです。 それは今でもそうではないかという気がします。 牛建 本当の良さというか、クオリティに気付かないと。 奥村 そうです。あくまでも外国の目を一度通した琳派であって、 本来の琳派の考え方をダイレクトに日本人が新しいと言っているかというと意外とそうでもないのです。 僕の場合は小さい頃から画集や展覧会でいろいろ見ていますし、デザインということも知っていましたので、 そういうものが、いまになって出てきたりしているのかもしれません。 牛建 YMOのジャケットやポスターを手掛けられたというのは、どういう経緯からですか。 YMOはアメリカでも人気のあったバンドですから、YMOと聞いただけでもワクワクするところがありますね。 奥村 YMOのメンバーとは学生時代からの知り合いです。 当時から学園祭などでアマチュアだった彼らのポスターなどを制作していました。 YMOが世界的なマーケットで通用するようになってからは、ワールドツアーなどに同行して、 写真のディレクションやミュージッククリップや映像を作ったりしていました。 牛建 音楽自体がハイテクなイメージでしたが、ジャケットやポスターも、 なにか日本のハイテクの部分を見せているような部分がありましたね。 奥村 名前からして「イエローマジック」というのはアジア的なイメージも含んでいますし、 それを電子音楽でやって、その中で僕も同調するように作品を作ったりしていくわけですが、 ある意味ではいろいろな実験のできた時代でした。 なにもないところから作っていくということですが、 そこではテーマとしてアジアのものだということにこだわるという意識は持っていました。 牛建 あの時代の奥村さんの作品を見ていると、日本から情報を発信しているという非常に強いメッセージ性があったように感じました。 奥村 29歳からの5年くらいはほとんどYMOを中心に仕事をしていました。 たくさんのスタッフと一緒に徹夜していろいろなものを作りましたし、音づくりにまで参加していました。 牛建 自分のスタイルを作り上げていく非常に楽しい時代でもあったわけですね。 YMOがあれだけ話題と人気を獲得できたのは、音楽とポップなグラフィックアートとが 一つのパッケージになって出ていったからだと思うのです。 奥村 最初のアルバムはかなり計算づくでつくりました。 とにかくアメリカで売りたかったので、アメリカのイラストレーターを紹介してもらい、 芸者ガールの頭からコードが出ているという、日本人には考え付かないような 間違った日本観をわざと戦略的に使ったわけです。 牛建 奥村さんがなにかの雑誌に、芸術とデザインの違いについて、 デザインというのは総合的にみて一つのパッケージングをしなければ駄目だということを書いていましたが、 そういう意識がその戦略につながったのですか。 奥村 音楽に関わってやっていたということは、僕のその時期のスタイルに非常に影響しています。 音楽は車や家電といった大きな産業的なものではないわけですが、けっこう同じような手法を使っているのです。 牛建 大きな仕事というのはお金は入ってくるけれど、細かい仕事の方が面白いということはありますね。 建築の場合でも、把握できるサイズをはるかに超えて大きすぎると、 やっている本人もどうなるのか分からないところがあります。 ということはそれだけ力が入っていないということなのです。 そんなに力を入れると自分自身が参ってしまいますから。 ところで、画家として宮内庁の依頼でお仕事されたこともあるそうですね。 奥村 10年前の大嘗祭に、古い画法で描ける人というので動員されたことがあります。 僕は子どもの頃から父に教えてもらって描いていましたが、そのときにニカワや岩絵具の置き方を覚えました。 そういう意味では珍しいかもしれませんね。 牛建 グラフィックデザイナーとの対談は初めてですが、とても参考になりました。 本日はお忙しい中、ありがとうございました。
このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。 Copyright 2004 TANSEISHA.co.,ltd. All right reserved. |
||||||||||||