トーク * Design対談
アメリカンデザインビジネスの潮流

建築家/芦原太郎建築事務所 芦原太郎氏
IST(INTERSPACE TIME)代表 牛建 務氏
 
使う人の思いを具現化するため
積極的に社会と関わっていくべき


 
使う人とのコミュニケーションを大切にした
参加型ワークショップの手法

 
牛建 芦原さんとはじめてあったのは、2人ともあるカレッジスクールの講師だった時ですよね。その時から、芦原さんは日本には珍しいタイプの建築家だという印象があります。たいていの建築家は施主の要望をある程度は聞いても、最終的には自分のスタイルに戻っていきますよね。しかし芦原さんの場合は、マクロな視点から建築というものを捉えているように思われます。今日は、芦原さんが建築というものをどう考えておられるのかお聞きしたいと思います。
 
芦原 父親が建築家で、生まれ育った家が20回くらい改築を繰り返しました。ですから子どもの頃から家が常に変化していくのを見てきたわけです。決して建築家の作品のような家ではなく、そのときの生活のあり方に合わせて変化する「生きている家」でした。不思議なもので、家が変わると何か自分たちの生活自体も少し変わったような気がする。そんな体験を何度もしてきたことがベースにあるのかもしれませんが、大事なのは家という形ではなく、そこに暮らす家族の生活だと感じるようになりました。
 
 進学した芸大の建築科では、吉村順三先生に建築の基本は住宅だと教えられました。住宅とは生活に密着した重要なものだという教えを受けました。実際に大学では、造型的なビジョンよりも、人々の生活が建築によってどう変化し、発展していくのかということを基本とした教育が行なわれていました。そうした子どもの頃の体験や教育の影響が非常に大きいと思います。その後、東大の大学院に入ってみると学生たちのスタイル優先の建築に出会ったのですが、どうしてもその考え方には馴染めなかった。
 
牛建 とくに僕が興味をもったのは、倉敷市の「水島サロン」と宮城県の「白石第二小学校」です。水島サロンにおける階段と建築物のあり方は斬新でユニークですね。白石第二小学校の場合も地元の人と話し合いながらつくられたということですが、いままでの建築家にはできなかったことではないでしょうか。単に公共建築をつくるというのでなくて、地域コミュニティと関わっていくわけですから。
 
芦原 事務所をはじめて最初は個人住宅の仕事が主でしたが、その後集合住宅や公共施設もやるようになりました。個人住宅の場合は、施主と直接話し合って決めることができますが、公共建築の場合、本当の施主は打合せをする担当者ではなく、その市なり町の住民ですから、普通は直接の使用者と話し合うことができないわけです。しかし公共建築の性質上、使う人との対話は必要でしょうし、施設の周辺地域との関係も大切なはずです。では、どうすれば直接市民とコミュニケーションがとれるのか、いろいろ考えました。
 
 そのときに思いついたのが、1960年代からアメリカで行なわれていた市民参加型のワークショップです。この運動の提唱者であるローレンス・ハルプリンが30年くらい前に日本でワークショップを行ない、それに私も参加した経験があったのです。それで、白石第二小学校のときに、市長さんと相談してやってみようということになったわけです。それまではできなかった、市民とコミュニケーションをとりながら設計をするということができるかもしれないと思いました。
 
牛建 建築家の仕事の範囲を越えたエネルギーが必要ですね。あえていろいろな意見を聞くことによって、問題が生じる可能性もありますし。
 
芦原 ビジネスという意識よりも、みんなと相談しながら良いものをつくりたいという思いのほうが強いので、そのために必要なことはやってしまうというところがありますね。
 
牛建 商業施設の場合は、事前の市場調査を十分に行ないますが、それに通じるところがありますね。
 
芦原 たしかにワークショップでは、市場調査のようなことを、市民に参加してもらって希望やアイデアを出してもらうことによって行ないます。それを聞いたうえでプランを作成し、フィードバックしていくわけです。そこでまた意見を聞いて手直しをして、再度フィードバックをするというやり方です。
 
牛建 出された要望に応えたり、あるいは説得したりというのは、かなり大変ですよね。
 
芦原 私の場合は、いろいろな意見を聞きながら、本当に良いと思える答えを探していこうというスタンスですから、いろいろな意見や考え方が出てきたほうがいい。ただし、建築をつくるうえでの最終的な判断をするのは、あくまでも私です。
 
牛建 それを何年くらいかけてやるのですか。
 
芦原 白石第二小学校の場合は、最初の1年間は市長の諮問機関として、どのような町づくりをしていくべきか調査・研究をして報告書を提出しました。そのなかで、ワークショップを行ない、公共施設をひとつひとつ丁寧につくり上げていくプロセスを大切にすることが、町全体を元気にしていくうえで必要だと提案したのです。それが受け入れられまして、次の1年でワークショップを行ないながら設計をし、工事へと移りました。施設が完成したあとも、それをどう活かしていくかというワークショップを継続しています。
 
牛建 いまでも交流されているのですか。
 
芦原 はい。小学校だけでなくリサイクルプラザや公営住宅、総合病院などの公共施設も継続的につくっています。これには私以外にアーキテクチャーワークショップの北山恒さん、堀池秀人アトリエの堀池秀人さんと3人の建築家が関わっていまして、3人が組んだり、あるいは個別に担当したりしています。
 
牛建 芦原さんは、形だけを先行させることがありませんね。でも作品をみると、建築へのこだわりがあることはわかります。
 
芦原 私が大切にしているのは、いろいろな状況のなかでどうバランスをとるかということです。家を建てる、オフィスビルや公共施設を建設するというとき、そこには必ず関わる人のいろいろ思いがあり、そこに問題も生まれます。そこのバランスをとって建物をつくっていくことで、異なっていたそれぞれの思いがひとつの方向に向かって定位するという気がするのです。
 
 
左●白石市立白石第二小学校 (宮城県白石市)
右●岡山県文化交流施設 水島サロン (岡山県倉敷市)
(芦原太郎建築事務所+北山恒、WORKSHOP)

 
 
建物単体ではなく
地域全体に活力を生み出す
建築でありたい

 
牛建 倉敷の水島サロンは、勾配をうまく利用した大階段をつくり、そこに建物や広場などが入れられている。とても面白い建築ですね。
 
芦原 水島サロンという不思議な名前がついていますが、要は世間一般でいう文化センターで、岡山県と倉敷市の共同事業です。私がまず考えたのは、ガラス張りでアトリウムがあってというお決まりの文化センターにはしたくなかったのです。水島サロンには、いわゆるエントランスホールはなく、階段状の広場があって、そこにあるいくつもの入口から、目的のところに直接入れるようになっています。ハコをつくる発想から入っていくと、運営も一元的になってしまいます。利用する人たちにとってどうなのかという考え方からすれば、夜の10時とか12時でも開いているレストランやカフェがあったり、5時で閉館する会議場があったりと、個別に運営を管理できる仕組みのほうがいいのは自明でしょう。管理する側は大変ですが、運営していくなかで、いろいろな可能性が生まれるはずです。必ずこの地域にとって利便性の高い文化センターになる、と懸命に説得しました。
 
牛建 行政の人たちを説得するのは、並大抵のことではないでしょう。
 
芦原 普通はそうですが、今回は岡山県知事が、公共施設をつくると同時に町を発展させていく「CTO(クリエイティブ・タウン岡山)」という構想を掲げ、そのもとで取り組んでいたので、直接知事に提案をすることができたのです。当初の依頼は、駅前公園に隣接する敷地に建物の設計をしてほしいというものでしたが、私は、その公園も含めた全体を都市公園として計画するべきだという提案をし、知事から了解を得たのです。この決断は知事だからできたのだと思います。
 
牛建 それは良い経験をされましたね。ところで芦原さんは、随分といろいろなことをなされていますね。
 
芦原 基本的にはボランタリーイズムというか、自分で自発的にやることが大事だと思っています。私は建築家ですが、地域や町づくりに貢献できる面白そうなことは、自ら買って出てもやってみたくなる。ですから、なかなかビジネスにはつながりませんし、遊びなのか仕事なのかわからない部分もあって、遊びと仕事を一緒にやっている感じです。
 
牛建 建築家としての町おこしですね。
 
芦原 要するに、建築とまわりとの関係を良くしたいということではないか思います。20代のころ、旅先で出会った地中海沿いの小さな町は、街全体が明るく生き生きとしていました。建物ひとつひとつというよりも地域そのものが生きた表情をもっている。そういう町に憧れをもってしまったのです。ですから、単独で完結してしまう建築ではなく地域全体にその効果が波及していくような建築ができればと思っています。
 
牛建 建築家の提案がひとつの刺激になって、コミュニティが成熟していくというのはすばらしいことですね。
 
芦原 建築家の場合はより具体的な提案ができますし、生活している人にとっては、そうした具体的な答えが大事なのです。建築家として依頼された仕事をすることは当然ですが、それ以上に積極的に社会と関わっていくべきだと思っています。
 
牛建 芦原さんの生活のすべてが、建築とつながっているという感じがします。
 
芦原 あるときから、自分も含めて、あらゆる物事はつながっていると感じるようになりました。ですからいまは、遊びながら働き、働きながら遊んでいるという感覚です。 
 
牛建 お忙しい中を、大変興味深いお話をいただき、ありがとうございました。
 
関連サイト: TARO ASHIHARA ARCHITECTS
 
 
芦原太郎氏 芦原 太郎 氏
あしはら たろう●1950年、東京生まれ。74年、東京芸術大学芸術学部建築科卒業。76年、東京大学大学院建築学修士課程修了。芦原建築設計研究所勤務を経て、85年に芦原太郎建築事務所を設立。住宅から公共施設まで多数の設計を手がけるかたわら、大学での講師や各種委員会委員、審査員、日本建築家協会副会長(2000-2002)を務めるなど、幅広い活動を行なっている。
'93新日本建築家協会新人賞、日本建築学会作品選奨、第38回建築業協会賞(BCS賞)など、受賞多数。

  
牛建 務氏
うしだて つとむ●1976年、Chaix & Johnson社に入社、一貫して商業施設のインテリアデザインを手がける。現在、活動の本拠を東京に移して、商業以外のデザインにも意欲的に取り組んでいる。このシリーズ対談では「アメリカンデザインビジネスの魅力」に迫っていただいた。
牛建氏

 

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