■新施設情報
ブルーノ タウトの工芸・デザイン展 1/13-1/29
デザイン性が高い雑貨や家具を扱っている株式会社メトロポリタンギャラリーという会社は札幌と東京にお店を持っています。東京店はメトロクス東京(上部右側の写真が店内)といいます。定期的に、展覧会を開催していて、今回のテーマはブルーノ・タウト。ドイツ表現主義の旗手ですね。
http://www.metropolitan.co.jp/index.html
ベルリン・シャルロッテンブルク工科大学の教授として教鞭をとっていたブルーノ・タウトは、バウハウス壊滅後ナチスに追われる様にドイツを後にして、日本に来ました。日本インターナショナル建築会の招きだったそうです。1933-1936年のことです。
 |
|
 |
|
 |
左●展覧会はお店の地下1階で行われていた。
中●高崎時代のインダストリアルデザインの品物。銘仙を使ったものも多い。
右●ミラテスの家具と照明 |
日本では、桂離宮の再評価が有名で建築評論家のように扱われていました。建築設計はあまりやらせてもらえなかったのですが、工芸デザインではいろいろと影響を残して行きました。(建築設計がやれなかったのは、一説ではナチスを慮った当時の日本政府の圧力だったといわれます。)
高崎はタウトが一番好きだった街だといわれてます。今回の展覧会の主催者、前島美江さん自身も工芸デザイナーで、高崎でタウトの研究もされています。
 |
|
 |
左●唯一残されたタウトの建築作品、熱海・日向別邸の椅子の復刻品。高崎で作られた。
右●同じく日向別邸の設計図 |
タウト研究が盛んなのは、高崎・仙台・熱海・京都ですが、東京にも多くの足跡を残しています。大パトロン・井上工業の当主、井上房一郎氏と共同経営していた、工芸デザインの雑貨店・ミラテスのインテリアデザインはタウト自身の設計ですし、今はなき麻布・大倉邸もそうです。(共に現存せず)
また東京では日本インターナショナル建築会のデザイナーの作品の多くを本人の目の前で評価してます。
ほとんどはボロカスな評価だったそうですが・・(苦笑)
 |
|
 |
|
 |
左●日本で作った工芸品の実物や復刻品
中●タウトユカリの商品
右●高崎時代の写真 |
 |
|
 |
|
 |
左・中●略年譜
右●日本を代表するプロダクトデザイナー渡辺力さんのデザイン商品。渡辺さんは高崎で薫陶を受けている方の1人。 |
日本では、ほとんど建築家としての仕事はさせてもらえず、大学の教授にもつけませんでした。鉄の記念塔やガラスの家など、象徴的な作品ばかりが有名ですが、タウトの作品の多くは集合住宅だったことはあまり知らされていません。
日本を離れた後、トルコ政府の招請でイスタンブールへ赴き、イスタンブール芸術アカデミー建築科教授になります。故国ドイツへ帰ることはできず、ボスボラス海峡を臨む自宅で亡くなりました。
本展では展覧会にあわせて、講演会や見学会も行っています。今回の見学会は東京あるきテクト主催、「東京タウト散歩」といいます。
http://aruki-tect.moo.jp
 |
|
今回の講師(東京あるきテクト主宰・東京大学客員研究員の斉藤 理さん)が作った日本滞在中のタウトの日譜を広げているところ。和服の女性は展覧会「ブルーノ
タウトの工芸・デザイン展」の主宰・前島さん。
右の鏡に写っているのが斉藤さん。 |
 |
|
 |
|
 |
左●タウトが贔屓にしていた日独文化協会の食堂があった東京市政会館(日々谷公会堂)
中●タウトが好きだった銀座の裏道(裏道を使っていたかどうかはしりませんが)通ってまわります。
右●こんなところに、お稲荷さんがあるなんて・・ |
 |
|
 |
| 1階にミラテスが入っていた銀座7丁目の瀧山町ビル。 |
 |
|
 |
| ほとんどこき下ろされている日本のビルデザインですが、中央郵便局は大絶賛。逓信省技師の吉田鉄朗の作品。ドイツ表現派らしいデザインですが、外観が格子窓風なところが買われたらしい。 |
 |
|
 |
| 「非常に端正なビルヂング」と評された村野藤吾の森伍商店(現近三ビル) |
斉藤理さん直筆の「B.タウトが歩いた東京1933-1936」地図。
タウト情報のの塊!
このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。
Copyright 2006 TANSEISHA.co.,ltd.
All right reserved. |