新施設情報

コンドル先生の設計したお屋敷「旧岩崎邸庭園」 2001年秋から一般公開
 
 当社のすぐ近くにある重要文化財の一般公開であり、前から見たいと思っていた施設だったので、旧聞であるが敢えて、東大総合博物館小石川分館や自由学園明日館と一緒に紹介したい。
 近代化遺産が重要文化財に指定され公開されることは、大いに喜ばしいものだと思う。
 現在のアフガンやイラクを見ていると思うのだが、明治時代初期の日本は、一つ間違えば、あのような内乱や激しい戦禍を被るような有様になっていたのではないだろうか。
 西洋化をすることには是非があるだろうが、短期間に西洋文化を成熟させ、さらに太平洋戦争でアメリカという他国に反逆を許さない国家を相手にして戦い、徹底的に痛めつけられても、これだけの文化遺産を残してきたことは、日本人としては賞賛できることだと思うし、誇りに思っていい。
 

 この旧岩崎邸は1896年に完成したものだが、当初は三菱の創始者の岩崎家の本邸であった。1947年には国有財産になり、1961年に重要文化財になった。これまでは毎週金曜日だけ予約者に限り公開されていたが、この秋から庭園(屋外)のみだが一般公開された。(洋館内部は改修後の2003年4月公開予定)この建物は、洋館部分と和館の折衷であり、その他に地下道で繋がれている撞球(ビリヤード)室もある。
 
 洋館やビリヤード室の設計者はジョサイア・コンドル。明治10年に明治政府の招聘により、イギリスから来て工部大学校造家学科(現・東京大学工学部建築学科)の初代教授になった「お雇い外国人」だった。日本を愛し、日本人を妻として、1920年に日本で亡くなり、墓は護国寺にある。鹿鳴館や帝室博物館など公共施設を設計した以外にも、岩崎家など財閥の屋敷も設計しており、この旧岩崎邸や旧古河庭園は代表作である。
 コンドルは、すばらしい「西洋建築の教育者」だったといわれている。多くの学生から「コンドル先生」として敬愛され、門下には、辰野金吾(東京駅など)や片山東熊(赤坂離宮など)など近代の日本西洋建築を担う英才が生まれた。
 
 この建物(洋館部分)を見てみると、あまりにも多くの様式が混在している。コンドルが知っている有り余る西洋式建築様式の見本市のようである。
 コンドルは教育者としての名声はすばらしいが、決して名建築設計家ではなかったといわれているのは、こういうところがあるからだろう。
 ただ、財閥のお屋敷といえども、人の住む空間である。統一化された様式に囲まれているのは肩が凝るだろうから、いろんな様式をドタバタに同居させたのかもしれない。
 住む人に配慮した建築を求められたのかもしれず、私のような門外漢が余計なことを言えば、地下の「コンドル先生」に怒られるかもしれない・・・
 
 
旧岩崎邸庭園の入口看板(池之端文化センターの隣、というより、文化センターは元々庭園の一部だった。 入口から見た園路。この大都会の真っ只中で、入口まで140m。 南面の外部もまだ改修中。2003年4月には、トスカナ式・イオニア式の装飾のベランダが見れるはず。
 
建物は全体ではイギリス・ルネッサンス式。正面(北面)や側面部分の装飾はジャコビアン様式。
植栽はシュロによる南国風、カントリーハウスのイメージ。
 
洋館の北部分は和風となっている。う〜ん!まさに折衷。
 
撞球(ビリヤード)室は、スイスの山小屋風

 

 

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