新施設情報
 
三井越後屋ステーション、10月10日にオープン
 
 

 大学(日本史専攻)のときの指導教授が三井家研究の大家だったので、4年間の授業では、三井家の町方文書(まちかたもんじょ)ばかり読まされていました。それがトラウマになり、長い休みになると、地方の農家に引きこもり、地方文書(じかたもんじょ=農村文書)の解読に逃げ込んでいました。
  三井越後屋ステーションを見ていて、そのときの記憶が甦ってきました。(苦笑)

左●エージングされている看板
右●グラフィック処理された外壁

 三井家の家祖・三井高利(みついたかとし)は、三重松阪の出身。松阪は戦国時代から商売の気風が強いところです。伊勢商人の中心地で、成功した商人を多く輩出している街です。その中でも、三井高利は別格です。
三井高利は、松阪で質屋と酒・味噌を商いしていたそうですが、52歳のとき(隠居後ですよ・・・)一念発起して江戸に出てきました。まず最初に、江戸日本橋の越後屋呉服店(今の三越)を作り、続いて京都の三井両替店(現在の三井住友銀行)を起し、大財閥への道を創った方です。

当時の越後屋店先(たなさき)を模した外装

 越後屋の最初の店は間近だったそうですが、こちらは火災で焼失し(放火という噂もあります)、その後再建された場所に、三井越後屋ステーションが作られました。
  外観は、初代の越後屋呉服店を模しているんだそうです。越後屋の当時の設計については、調査がすすんでおり、たしか、江戸東京博物館には、詳細な模型があったはずです。
  それまでの呉服商というのは、主たる購買層は武家でした。「屋敷売り」という商品持参が当たり前の商売で店はありませんでした。年に2回の掛売りが当たり前でしたので、踏み倒しも多かったそうです。

左・中●内部は撮影禁止でしたので、外からパチリ!
右●TOKYO FMのスタジオも兼ねています。

 三井高利はあえて「店先売り(店頭商売)」、そしてその場での支払いを導入して「現金(銀)掛け値なし」という商売に乗り出し、良い商品を安く売りました。今で言うバーゲンセールス商法ですね。そして狙った購買層は当時勃興しつつあった「富裕な町人」だったのです。
これがあたりました! 
  商売の成功をねたんだ商売敵から放火されたという話もあながち嘘とは思えませんねぇ。

関連サイト:
・三井越後屋ステーション


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