矢田部賀世子
"噴火に消えた町"ポンペイを扱う企画展に携わるにあたり、事前の情報収集と諸事項のチェック・検証のため2000年初夏のドイツとイタリアを訪ねた。ナポリ南西のポンペイ遺跡は、ローマ期のベスビオ火山噴火によりわずか3日で火山灰に埋まったと考えられる地方都市である。色鮮やかなフレスコ画をはじめ家具や道具類も建物とともに保存され、1600年後の発見により当時の高い技術と民俗文化を生き生きと伝えて世界を驚かせた。そしてここではさらに、噴火に巻き込まれた人々などが地中に空洞の鋳型となって保存され、その苦痛にゆがんだ表情までもが生々しい石膏像として再現され広く知られている。
ドイツ博物館『ポンペイ展』
世界巡回展としてミュンヘンのドイツ博物館で先行開催されている会場では、面積に対して限界まで展示物が投入・展開されている感がある。導入部では例の噴火犠牲者の像(レプリカ)に迎えられ、各種の実物資料や道具類の模型、地図・イラストなどのグラフィックや映像端末などでの展示を見学する。空間的ゆとりは少ないが、天井が高いことで圧迫感が軽減されている。またエントランスのワイン圧搾機模型は単純な仕掛けだが子ども達に大人気だった。
全体にキャプションやラベルなど解説の量が非常に多いので、会場の広さや動線との関係も吟味してより見やすい表現方法、空間構成を工夫するという課題がまずチェックされる。壁面は塗装、フェルト貼り、デジタルプリントなどの仕上げが組み合わされているが、各コーナーテーマを明確にするため採用されている色彩については、日本では日本人の色嗜好も加味した検討が必要だろう。
それぞれの解説パネルや展示ケース類の造り、展示資料の陳列・固定方法などは、日本での常識から考えるとかなり"ラフ"である。だが露出展示がかなり多いにもかかわらず破損・紛失などのトラブルは少ないというから、見学者のモラルの問題が大きいだろう。日本でその水準を期待することは事実上難しく、児童の来場が多いであろうことも想定すると、どうしても何らかの保護策を検討する必要が出てきそうだ。ただ同地での展示状況は、各資料に要求される保存や展示上の条件(湿度・照度など)について参考にはなる。
ドイツでの展示視察では、展示資料の扱い方に現れる思想や考え方、ひいては文化の違いの一端に触れたように思う。日本での具体化では特有のさまざまな制約や課題の解決をともなうだろうが、それもまたひとつの文化の表現ではある。
イタリア ポンペイと関連遺跡
ポンペイ遺跡は世界遺産にも指定され、年間240万人が訪れる観光名所でもある。発見された建物は住宅、居酒屋、パン屋、公共浴場、劇場、闘技場など実に多彩で、2000年前の生活をありありと伝える。
石造りの建築群のなかを説明を聞きながら巡ると、あちこちの路上に水道管が見え隠れしていることに気づく。豊かで成熟した町を築き支えた水道の存在が印象的だ。遺された壁画やタイルのデザイン、色調などを展示デザインの参考に記録(憶)し、建物の寸法・間取りを計測したりする。
ポンペイに先立って、同じくベスビオ火山の噴火で消失した町エルコラーノの遺跡も調査した。ここは土石流で側面から埋没したため、ポンペイと違い建物が立体的によく保存されている。いたるところで壁画の修復作業が見られるが、修復後は直接ガラスケースで覆って保存されていたりする。壁画の鮮やかな色彩や幾何学模様のモザイク床には、室内装飾へのこだわりや暮らしの豊かさを感じとることができた。
同じ火山国のためか、遠い日本でもポンペイは比較的よく知られている。しかし自らの民俗文化のルーツのひとつとして古代ローマ時代に特別の意味を見出す欧米諸国の人々とは、基礎的な知識の教育も異なり、その認知度・理解度はずいぶん異なる。2000年来の比類ない「タイムカプセル」であり、それ自体が多くの遺物とともにドラマチックな存在であるポンペイ。日本での限られた空間のなかで数百点の遺物の迫力とそれぞれが担う物語を十二分に伝え、この町の劇的な運命さえも感じさせる展示とはどんなものか、困難だが重みのある課題にむけての挑戦の始まりだった。