|
■海外情報 * overseas network The Museum Report in New York City 第9回 (2002.5)
ホイットニー・ミュージアム・オブ・アメリカン・アートはマンハッタンの中央東側に位置する現代美術館。ホイットニー夫人がアメリカ美術の発展と振興のために1931年に創立した。5階建てで、地下はミュージマム・ショップと喫茶店、1階は主にラウンジと受付、2階〜4階の各階は企画展に当てられている。5階はエドワード・ホッパーやジョージア・オキーフなどのアメリカの現代作家の作品が常設展として展示されている。
特に今月は2年に一度恒例のビエンナーレが開催され、(3月7日〜5月26日)113人のアーティストの作品が展示された。このビエンナーレは1981年に始まり、毎回アメリカのホットなアートシーンを来館者に提供してきた。今年は特に音楽、DVD、フィルムを使ったビデオ・インスタレーションやインターネット・アートなど新しいメディアを使った作品が多かった。 他にも、クリス・キュビックとアン・ウォルシュがプロの霊媒師とともに美術館で交霊会を行い、死んだアーティストたちにインタビューをした作品があった。このビエンナーレでは"A visit with Joseph Cornell (2002)"と称して、オーディオ・ガイドで亡くなった筈のコーネルとの会話が聞けるようになっていた。今まで、過去のアーティストのスタイルを真似することはあっても、死んだアーティスト自身を、再現する事は無かったように思う。そのオーディオガイドに一見コーネル本人から録音したインタビューのようで、来館者を混乱させるものだった。 しかも今回の展示は、ビデオ・インスタレーションが多く、会場は移動式の壁によって小さな暗室に幾つも区切られていた。来館者はちょっと大き目のカラオケボックスのような暗室に入って、5〜6分ビデオを観た後、また違うブースに入るという、鑑賞形態を余儀なくさせられた。しかも、その個室のようなプライベートな空間は、家でビデオを観ているのと、「美術館」という公のスペースで鑑賞するのと何処が違うのか?という疑問を感じさせた。また、ウェブ上でしか見れないインターネット・アートも数多くあって、美術館の役割が時代とともに変わってきているのを感じた。全体として今回のビエンナーレは、新しいアートの動向やスタイルを提示するとともに、メディアに振り回された、分裂した表現形態があちらこちらに見られたように思う。テクノロジーが発達していく21世紀にこれからのアートはどのように変化していくのか、再来年のビエンナーレに期待したい。
ユダヤ人博物館は、5番街(ミュージアム・マイル)と92丁目のちょうど角に位置する。慈善家であったフェリックス・ワーバーグ氏の未亡人が住んでいた豪邸を寄贈して、1944年に博物館としてオープンした。数々のユダヤの祈祷書やセレモニーに関する銀細工、古くは紀元前の石器時代のものまであり、そのコレクションはアメリカ最大である。通常1階・2階は、企画展にあてられ、3階・4階は、"Culture and Continuity: The Jewish Journey" (文化と継続:ユダヤ人の旅)と呼ばれるユダヤの歴史を綴った常設展と、子供向けの学習コーナーに別れている。今回の1階の企画展は、ナチスのイメージを扱ったアートを集めた"Mirroring Evil, Nazi Imagery/Recent Art" 展 で、ホイットニーのビエンナーレとともにニューヨークで今、話題を呼んでいる展覧会だ。作家の、Macej Toporowicsは1970年代にサド・マゾ的な信仰に利用されたナチスのイメージや、90年代にハイ・ファッシンとして現代のブランドに利用されたイメージを集めて、ビデオを作品として上映した。Zbigniew Liberaは、レゴブロックのパッケージとして、ブロックでつくった収容所と骸骨の写真をパロディとして使った。Tom Sachsも毒ガスのケースにティファニーやシャネルのロゴをいれた作品を制作。現代社会の消費文化は過去の歴史の上にあるのだという皮肉をこめているように思えた。 2階では、ニューヨークの1930年から今日の街並みを10年毎に写した"New York: Capital of Photography"展を新たに開催。アルフレッド・スティーグリッツやポール・ストランド、エヴァンス、ウィージーと言った大物写真家の作品が100点以上展示された。写真には、外で洗濯をしている貧しいラテン系の女性や、ハーレムの散らかった雑貨店とそのマスター、冷戦時代に、軍人に囲まれながら列車に乗っているおばあさん等が写っており、ニューヨークとその歴史が生で伝わってきた。 モーゼによるエジプト脱出から、紀元前1200-960年のダヴィデ王のイェルサレム建国。その後のバビロニアやローマ帝国の支配によるディアスポラ(ユダヤ人離散, 紀元前600年)まで、どうしてユダヤ人がさまよえる民族になってしまったのか、また神殿や国家を持たずに独自の宗教やアイデンティティをどうやって保持していったのかを詳しく解説していた。彼らは神殿の代わりに、コミュニティ・レベルでシナゴーグ(教会)を設立し、モーゼの教えであるトーラーやラビ(説法師)が解釈を付け加えたタルムードなどの祈祷書を繰り返し読む事で、信仰を保っていたらしい。またサバス(金曜から土曜の祈り)やハヌカー(maccabeによるローマ帝国反乱の記念日)などの行事が、彼らのアイデンティティを保つのに役立っていたようだ。
(2002年5月 スミ・ヒロコ)
このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。 Copyright 2002 TANSEISHA.co.,ltd. All right reserved. |
||||||||||||||||