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The Museum Report in New York City 第8回 (2002.3) 

Museum of Modern Art (MoMA: モマ)
11 West 53 Street New York, NY 10019
http://www.moma.org

 ミュージアム・オブ・モダン・アート、通称モマは1929年に、3人の女性(Abby Aldrich Rockefeller, Lillie BlissとMary Quinn Sullivan)によって建てられた。最初は小さなハウスミュージアムとしてスタートしたのだが、鉄鋼とガラス製のビルディングを建設し、第2次世界対戦後には、現代美術のシンボルとしてニューヨークの街に君臨するようになった。
 
しかし、当時革新的だった近未来志向のビルディングも今では、オールドスタイルと化し老朽化が目立ってきた。そこで今年の春、MoMAは改築のため、マンハッタンからクイーンズに引っ越すことになった。(日本でMoMAの収蔵品展が行われたのも、そういった事情による。)このビルディングは、女性陣が創立しただけあって、その女性性が強調されてきた。
 
MoMAの外観。6月以降に工事が開始される MoMAの吹き抜けとロビー。迷いやすい展示室とは対象にすっきりと明るいイメージ。
(左):MoMAの外観。6月以降に工事が開始される
(右):MoMAの吹き抜けとロビー。
   迷いやすい展示室とは対象にすっきりと明るいイメージ
 
Carol DuncanとAlan Wallachの説によれば、MoMAの常設展示室は廊下も窓もない迷路のようになっていて、その薄暗い部屋にはGreat Mother Goddess(偉大なる母の女神、鬼子母神みたいなもの)がいるらしい。例えば、各展示室にはデ・クーニングが描いた鬼女のような"女"がいたり、ムンクの描いた女吸血鬼がいたり、フェルナン・レジェの描いた、観客を凍らせるまなざしのスフィンクスがいたり、女性の睨みつけるような視線をかいくぐらなければならない。そしてその子宮のような迷路を抜けた後には、明るい廊下や見通しの良い中庭が待っている。これは戦争による昏迷と進歩のあった20世紀という時代の美術をくぐり抜けた後には、再生が待っているという暗示でもあるようだ。
 
そして今月は、このビルディングで最後の展示、ゲルハルト・リヒター:40年間のペインティング展とLife of the City展が開催されていた。
 
リヒターは1932年、ドイツのドレスデンに生まれた画家で、1960年代以来ずっと写真を元にした、線を横に引きずったようなリアルな油絵を描いている。その画風はまるでテレビかビデオのストップモーションのようだ。
Gerhard Richter, “Administrative Building”, 1964年, 油彩
伝統的な油絵という手法を持ちながらも、テレビやビデオのイメージを使って"現代のマスメディア"を暗示させる一方、写真という歴史の記録性も同時に作品に取り込んでいる。リヒターはドイツのナチス党員として亡くなった叔父さんや、追悼式でのケネディ夫人、ドイツの刑務所で謎の死を遂げたテロリストなどをこの手法で描いており、その歴史は動き出すようで永遠に凍結したままだ。
1930年代に建てられたモマとしては、これまでの歴史を再現した企画といえよう。
 
またLife of the Cityは、全部で3部構成で、皆が愛したニューヨークの街の風景を展示していた。第一部ではMoMAのコレクションであるプロの写真家の作品を展示。第二部はアマチュアによる、ニューヨークと自分の生活に関わる写真を公募して展示した。第三部では同時多発テロ後に開催された、ボランティアによるチャリティ企画“Here is New York”のデジタル写真をもとに構成された。“Here is New York”のテーマは“A democracy of photography”(写真の民主主義精神)だそうで、この誰もが参加出来、自分の意見として写真を発表できる展示は、その精神を反映している。また、この企画展もマンハッタンのアート・シンボルとしてニューヨークの街を眺め続けて来たMoMAの最後を飾るのにふさわしいように思えた。
 
 
Life of the City 第一部より, Garry Winogrand, "Untitled."1963年 Life of the City 第二部より, 一般公募による作品 この展覧会にはワールド・トレード・センターに関する多くの写真が寄せられた。
(左):Life of the City 第一部より, Garry Winogrand, “Untitled.” 1963年
(中):Life of the City 第二部より, 一般公募による作品
(右):この展覧会にはワールド・トレード・センターに関する多くの写真が寄せられた。
 
MoMAがマンハッタンに再び帰ってくるの2005年。今度の建築は日本人のYoshio Taniguchiがデザインを手がける。6月オープン予定のMoMAクイーンズも含めて、今度は一体どんな建物になるのか期待したい。
 
 
 
 
 
Intrepid Sea. Air. Space. Museum (イントレピッド海上航空宇宙博物館)
West 46th Street & 12th Avenue New York, NY 10036

http://www.interepidmuseum.org
 
イントレピッド航空宇宙博物館の外観 イントレピッド海上航空博物館は、ハドソン川に停泊している世界最大の海事博物館。何で川べりに巨大な船がずっと止まっているのだろうと思ったら、なんと中身は博物館だった。
 
イントレピッドとは、不屈、勇敢・大胆不敵の意味で、この航空母艦は、第二次大戦からその後30年にわたって活躍した。日本軍の神風特攻隊に5回も攻撃されながらも沈没せず、1943年のレイテ沖海戦で好戦を収めた他、ベトナム戦争にも3度出撃した。そして冷戦中、ソ連軍の監視に使用されたのを最後に1974年に引退する。その後、イントレピッドは廃船される運命にあったのだが、マーティン・R・スティール元海兵隊中将がそれは勿体ないということで資金を募り、1982年に海上航空博物館として生まれ変わった。
この海上博物館はイントレピッドの他に、駆逐艦USSエドソンと潜水艦USSグラウラーの2艦が停泊しており、昔は国家機密であった内部構造をガイドツアーと共に見ることができる。民間人にはなかなか本物の軍用機を見る機会が少ないので、この戦艦をまるまる開放した展示は貴重であるように思う。
 
 
潜水艦USSグラウラーの内部 甲板に上がると、司令塔と数々の戦闘機が見られる。手前はロイヤル・ネイビー トム・キャットは映画トップガンでトム・クルーズが乗っていたことから一躍有名に。翼を折りたたむとダーツ状になりマッハ2の速度を出すことができる。
(左):潜水艦USSグラウラーの内部
(中):甲板に上がると、司令塔と数々の戦闘機が見られる。手前はロイヤル・ネイビー
(右):トム・キャットは映画トップガンでトム・クルーズが乗っていたことから一躍有名に。
   翼を折りたたむとダーツ状になりマッハ2の速度を出すことができる。

 
イントレピッドの最上部の甲板には、数々の戦闘機が配備してあり、実際に来館者が見学できるようになっている。ハドソン川からの強風の中、マンハッタンの高層ビル群を背にして立ち並ぶ姿は見るものを圧倒し、実物のスケールの大きさを感じさせた。
内部は、ネイビー・ホール、イントレピッド・ホール、パイオニアホール、テクノロジー・ホールに分かれており、当時活躍したヘル・キャットなどの戦闘機や初期に開発された潜水艦などが展示されている。展示品の一部は実際に乗ることができ、シュミレーション用のコックピッドには子供たちの列ができていた。 
他の目玉展示としては、硫黄島記念像がある。1945年にアメリカ軍は苦戦の末、硫黄島を陥落し、そこに星条旗を掲揚した。その様子をAP通信社のジョー・ローゼンタールが写真を撮り、それを元にして海兵・アーティストのフェリックス・デ・ウェルドンが彫像化した。ワシントンDCにこのブロンズ版があるのだが、イントレピッドに展示されている石膏版の方が実はオリジナルだ。硫黄島陥落の末、B-29に爆弾を落とされた側としては複雑な気持ちであるが、この像は終戦を迎える寸前の疲労しきっていた米国市民に勇気を与えた重要なモニュメントであるらしい。
 
ネイビー・ホールではシュミレーション用のコックピッドに乗り込むことができる。 イントレピッド・ホールにあるヘル・キャット。当時無敵であったゼロ戦に対抗するために造られた。 パイオニア・ホールにある硫黄島記念像
(左):ネイビー・ホールではシュミレーション用のコックピッドに乗り込むことができる。
(中):イントレピッド・ホールにあるヘル・キャット。当時無敵であったゼロ戦に対抗するために造られた。
(右):パイオニア・ホールにある硫黄島記念像

 
他にもこの博物館は無料でオーディオガイドを来館者に提供しているのだが、この中にも日本人側としては心に痛い記述が幾つかみられた。例えば、1944年11月25日には、自殺ミッション志願兵ののったゼロ戦2機が5分の間隔もおかず、イントレピッドに突っ込んだそうで、ワールド・トレード・センターに突っ込んだ自殺覚悟の民間機2機が思い出されて、非常に複雑な思いをした。
「自由のために支払わなければならないものは何か」を示すことが、この博物館の趣旨だそうである。「民主主義を守るために自己犠牲が必要である。この博物艦を訪れ、平和の尊さを思い出すことが戦争でなくなった彼らを称えることである」とオーディオガイドの館長の声は結んでいた。
 
 
(2002年3月 スミ・ヒロコ)

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