壊されていく、近代建築・・・
 
消えていきつつある神田須田町の看板建築(千代田区神田須田町1丁目)
 

 
 
 戦前の、著名な鉄筋コンクリートの建物ですら、なくなりつつある東京下町。関東大震災直後のバラックの建物である、看板建築が生き残れるとは思えない。運のいい看板建築(武居三省堂など)は江戸東京たてもの園などに移築されて保存されているが、大半は、打ち捨てられる。
  その中でも、「江戸っ子だってねぇ」、「おぅ、神田の生まれよ!」という下町きっての下町、新しいもの好きな江戸っ子の街、神田須田町に戦前の看板建築が多く残っているのは不思議といえば不思議。
 
 昭和20年3月の東京大空襲で、東京の下町の大半が焼けた。その後60年を経て、表通りは建替えが済んでいるのに、裏街のバラック建築が残っているのは皮肉。古くからあるものを残そう、大事に使いつづけようという下町の気風の表われかもしれない。
 震災から80年、そんな街の民衆建築も、さすがに耐用寿命が尽きようとしている。10年後、この街がどうなっているか、さみしさはあるが大いに楽しみだ。
 
 
神田須田町周辺(道1つはずれた多町のものもあります)の看板建築。

 
岡田信一郎の作品だという珍しい看板建築。さすが岡田信一郎、格調あるデザインにまとめている。しかし、取壊される直前か・・
 
左●上から見てみると、まさにファサードが看板だというのがよくわかる
右●民衆建築にもメダリオン。
 
 
須田町交差点の前にある事務所ビル・鷹岡東京支店は、昭和10年建築。

 
これだけでは申し訳ないので???、神田須田町一丁目の老舗建築をご紹介。いずれも、明治期から昭和初期の和風建築らしい。
 
左●池波正太郎が愛した蕎麦屋・まつや
中●神田やぶそば。(路地一本隔てて淡路町にある)
右●甘味処・竹むら
 
左●鳥すき焼・ぼたん
中●あんこうなべ・いせ源
右●戦前からあるミルクホール・サカエヤ

 

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