| ■近代建築 国立駅舎は取り壊されるのでしょうか 「国立(くにたち)」という地名の由来を知ってますか。国分寺と立川の間にできた新興都市だから、両市の名前から1文字づつもらって命名されたんだそうです。それぐらい歴史の浅い街です。そもそもこの谷保村の畑地に、昭和2年に神田一ツ橋から東京商科大学(現・一橋大学)が移転してきたことで街の歴史が始まります。現在も使われている大学の主だった建物は昭和2〜5年にたてられたものだそうです。
一橋大の建築の設計者といえば伊東忠太とその一門の建築家です。その中でも特に有名なものは兼松講堂です。伊東忠太自身が設計し、後に大商社になった兼松商店の寄付で作られました。(昭和2年建設)
ルネッサンス風のレンガ造りに見えますが、実はこの建物は、RC(鉄筋コンクリート)造なんです。当時、日本に導入された新工法で作られています。外装に使われているのはスクラッチタイルです。大正13年にできた帝国ホテル新館(ライト館)のライト風の影響でしょう。
この街の駅は、三角屋根の駅舎です。大正15年に建てられました。駅から大学敷地のど真ん中を通る大学通りを作りそれを中心にして、放射線上の道路を作りました。これが今の学園都市の基礎になりました。
この国立で、中央線の高架化のために駅舎保存をめぐって大騒動がおきています。数年前の「開かずの踏み切り事件」でもわかるように、渋滞の元、事故の元になるJRの幹線(の踏切)には高架が不可欠です。
この駅舎がこわされることなく将来に向かって活かしていくために市民が自主的に、「赤い三角屋根の会(国立駅舎を活かす会)」を発足させています。
会の事務局長、中町仁治氏は「我々は、何ら政治的な団体ではありません。それだけに市議会の政争に巻き込まれているようで嫌な話ですね。私たちはこの駅というよりこの街の景観として、三角の屋根の駅舎が必要だと思っています。そう思っている人が多いので保存に反対する人が少ないのです。だから、建物としての魅力は別として、小金井(江戸東京たてもの園)や犬山(博物館明治村)ではなく、あの場所に建っててもらわないと国立市民には存在価値がないんです。」と言ってます。
私は単なる建築ファン、特に駅舎ファンですから、どこでもいいから残して欲しいと思いますが、残念ながら、都市景観に関しては口をはさめる立場ではないです。 ・国立市のホームページ (その中で)国立市の都市計画について ・赤い三角屋根の会 このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。 Copyright 2006 TANSEISHA.co.,ltd. All right reserved. |
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