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近代建築
 
三菱一号館が40年ぶりに復活、復元されました (千代田区丸の内)
 
馬場先通りからの外観
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ドーマー屋根
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三菱一号館は丸の内パークビルの敷地の一角にある。2つのビルの間は庭園広場になっている。
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1●馬場先通りからの外観
2●ドーマー屋根
3●三菱一号館は丸の内パークビルの敷地の一角にある。2つのビルの間は庭園広場になっている。

 丸の内の馬場先通りと大名小路が交わる交差点に、古風な赤レンガの建物が蘇りました!取り壊されてから40年になる、「三菱一号館」が復元されました。オープン前に、今回の設計に携わった三菱地所設計様のご案内で見学することができました。

 日本初のオフィスビルとして明治27(1894)年に建築されたこのビルは、我が国の高度経済成長のさ中、昭和43年に取り壊されました。建築設計は日本に本格的な西洋建築をもたらしてくれたジョサイア・コンドルとその愛弟子の曾根達蔵です。

 コンドルはお雇い外国人の建築家で、辰野金吾など日本人建築家第一世代を育てた方ですが、三菱財閥のお屋敷、上野の旧岩崎邸や現・関東閣などを設計したことで有名です。曾根達蔵はその日本人建築家第一世代の一人です。三井銀行小樽支店や山形県庁などを設計しました。一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれた丸の内の三菱煉瓦街はコンドルと曾根が作り上げたといっても過言はないでしょう。

銀行営業室1 カフェとして使われることが決まっている
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銀行営業室2
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柱上部の仕上げは、現役の彫刻家に作品を依頼した。
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4●銀行営業室1 カフェとして使われることが決まっている
5●銀行営業室2
6●柱上部の仕上げは、現役の彫刻家に作品を依頼した。

 今回の復活に至るまでに、三菱地所内部では多くの議論があったのではと推察しますが、現経営層のご英断で、せっかく復活するならば、後世に残す価値のある建築にしようということになったそうです。

 免震構造や空調、衛生、給水給湯や安全設備は最新のものになりましたが、それ以外の構造、仕上げなどは当初の設計図、実測図、写真に限りなく忠実に明治27年竣工当時のものを踏襲したのだそうです。


オンステージの石階段の欄干
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同じく鉄骨階段の欄干
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バックヤードの鉄骨階段もこの通りの仕上げです。
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7●オンステージの石階段の欄干
8●同じく鉄骨階段の欄干
9●バックヤードの鉄骨階段もこの通りの仕上げです。

 素材なども吟味したそうです。例えば煉瓦は、明治当時は1つ1つ型枠に詰めて成形していたそうですが、それに近い工法をとっている上海郊外の工場に注文したそうです。(なにしろ中国ですから歩止りが悪く、監理には苦労したそうです。)写真10の真ん中の木煉瓦も再現しました。木煉瓦とはその名の通り木なんですが、天井廻縁や建具枠や巾木などをくぎで取り付ける支持相手だそうで、煉瓦つくりの建物には一般的にあったそうです。また、木造下地の屋根の火災防止の為に最上階の天井を耐火の区画としているそうです。下の写真はそれを見せるように耐火ガラスで区画されています。

焼成された煉瓦と木煉瓦
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当時の天井の構造を見せる防火ガラス
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三菱一号館の建築模型
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10●焼成された煉瓦と黒煉瓦
11●当時の天井の構造を見せる防火ガラス
12●三菱一号館の建築模型

 言うまでも無く、このようなビルを復元することは作る者にも、運営をしていく者にも多大な苦労をしてもらうことになるのでしょう。にもかかわらず、「丸の内の文化」を守り発展していく企業である三菱地所グループはそれにチャレンジしてくれたのです。私のような古い建築が大好きな者は、ほんとうに感謝しております。

 三菱一号館美術館は、正式には来年4月からの開館記念展「マネとモダン・パリ」でデビューしますが、その前に一号館に関する展覧会が今年秋に開催される予定だそうです。大いに期待したいと思っております。

・http://mimt.jp/japanese.html


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