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HOME > tansei.net25号 >Break! NEO専門店!! 連載20回
ストーンマーケット

中村 泰二郎 氏/ (株)ストーンマーケット代表取締役
聞き手/ リテールクリエイションセンター 松本 大地

“大地の欠片”である石を使った
アクササリーを「お守り」として身に着ける習慣を
日本にも広めていきたい

 (株)ストーンマーケットが展開する天然石を使ったシルバーアクセサリーの専門店「STONE MARKET」は、熊本最大の繁華街「下通り(しもとおり)」から北に伸びる、お洒落なブティックやカフェ、雑貨店などが建ち並ぶ「上通り(かみとおり)」に開設された約8坪という小さな店からスタートした。同社は、現在、国内に90を超える店舗を展開するほか、昨年には香港にも店舗を開設。さらにマカオやアメリカにも出店を計画している。

アメリカで学んだ
「好きな仕事する」 ことの大切さ

―「ストーンマーケット」は、1994年に1号店を熊本にオープンして以来、それまで日本では珍しかった「石のアクセサリー」を広めて急成長を続け、いまやアクセサリー業界のイノベーターとなっていますが、中村社長は、アメリカでこのビジネスに目覚めたとお聞きしていますが。

中村 アメリカに渡る前に、東京・吉祥寺でレディスファッションのブティックを経営していました。ちょうど、バブルの全盛期で、ボディコンスーツがOLに飛ぶように売れていたのですが、その後、ファッションのトレンドがカジュアルなラインに移行したのですが、その流れに乗り遅れたこともあって、大きな借金ができてしまいました。そうしたことがあり、日本から離れたところから見つめなおしたいという思いから、アメリカにいくことを決意しました。

 たまたま通りがかった旅行代理店の店頭で「ロサンゼルス行きの8万円」の格安航空チケットを売っていたので、そのチケットを買おうとしたのですが、出発までは、まだ2週間以上待たなければならないと言われました。そのとき私は、すぐにでもアメリカに行きかったので、結局、なけなしのお金の中から46万円を出し、ロサンゼルス行きのビジネスクラスのチケットを購入しました。

 そして、その飛行機の中で隣り合わせた人から、「アメリカで本当に良いものを見たかったら田舎にいくべきだ」というアドバイスをされたのです。彼が言うには「ロスやニューヨークは、人は多いが、アメリカの大都市は外から入ってきた人間ばかりで、お前が本当に見たいものはないだろう」というのです。ですからロスに4、5日滞在した後、地図を広げて見つけたアリゾナのフェニックスに行き、そこからさらにヒッチハイクでツーソンという田舎町に行き、そこでしばらく暮らすことにしたわけです。

―そのとき社長は、まだ20代ですか。若いからできたことですね。
中村氏

中村 お金もほとんどなかったのですが、町で子どもたちと遊んでいる時に折り鶴を折ったら、珍しがられて売ってくれと言う人が出てきた。それでたくさん折って路上で売ったら、けっこう売れたのです。そうした感じで子どもたちと遊んでいるうちに、その親御さんから「私の家に泊まれよ」と声をかけてもらうようになりました。そういう日々の中で感じたのは、アメリカの人たちは、生活のために仕事しているのではなく、自分がやりたい仕事、自分が好きな仕事をしているということです。ですから店も自分で作ってしまう。ある日、知り合いのバーボンショップに行ったら、家の隣に穴を掘っている。「何を掘っているのか」と聞くと、「みんながプールに入りたいと言うので、プールを造るんだ」というのです。それを見た時、自分が日本でやっていたビジネスは間違っていたことに気がついたのです。

 

「自然」が感じられて
“お洒落”な街の
熊本に1号店を出店

―なぜその地で「石」をビジネスにしようと思ったのですか。

中村 アリゾナで感動して、さらに田舎に行ってみようと思って、選んだのがサンタフェです。そこで、ネイティブアメリカンの酋長の住まいに暮らさせてもらったのですが、そこでは、赤ちゃんがピアスをしていたのです。そこで「子どもにピアスをするのは可哀想ではないか」と言ったら、「いや、これはファッションではなく『お守り』だ。この石がこの子を守ってくれている」というのです。

 考えてみると、日本以外では、ほとんどの人が、それぞれ自分を守ってくれるものを身に付けています。ブティックを経営していたので「服」への関心は高かったのですが、アクセサリーについては、それほど興味はなく、あまり重視していなかったのですが、アクセサリーとはお守りなんだということに、そのときはじめて気がついたのです。

 サンタフェというのは、周辺は砂漠で、まるで火星のようなところです。そこで酋長の話を聞き、人間とはなんだろう、地球とは何だろう、宇宙とは何だろうと考える日々を送りました。そこで考えたのは、もともと地球は巨大な火の球で、それが46億年かけて次第に冷えて水ができ、空気ができ、生物が生まれて、現在の形になったということです。そして「石」は、もともとの地球の「欠片(かけら)」です。その石を身に着けていたら、何かが守ってくれそうな気がします。だからネイティブアメリカンの人たちは、自分たちを生んでくれた「聖なる大地の欠片」を身に付けているわけです。

 日本では、アクセサリーをお守りだと思って身に着けている人はほとんどいません。ですから、これを広めたいと、その時、思ったのです。

―そうして日本に帰国し、「ストーンマーケット」の1号店を熊本に開いたわけですが、なぜ熊本だったのでしょうか。

中村 まず、どこか自然があるところで商売をしたいという気持ちがありました。それで、いろいろなところを探して、阿蘇という大自然を後背に控える熊本を選びました。熊本は、また、九州の中で最もお洒落な町です。自然があって、ファッショナブルで、情報発信性があるところと考えていったとき、熊本が最もぴったりときたのです。

 日本で石を広めるためには、ただ単にお守りとして売るのではなく、ファッションとして売らないといけないと考えました。ですから1号店を熊本のファッションの中心地である上通りに路面店でオープンした後、2号店を「キャナルシティ博多」、3号店を「広島パルコ」というように、ファッションビルへの出店を中心に店舗展開を進めました。

 熊本の1号店の面積は約8坪で、アメリカで学んだように、流木を拾って来るなど、すべて自分でつくりました。それがお客さんにもデベロッパーにも新鮮に映ったと思います。

―熊本の1号店は、夜が大賑わいだったそうですね。

中村 昔からの商店街ですから夜8時になると店を閉めてしまうのですが、そのときはアクセサリーを店で作っていたので、夜遅くまで店の灯りをつけていました。そうしたら、繁華街が近いものですから、店の前を通りがかったお客様が、戸をトントンと叩いてくるのです。それなら、店を開けたまま作ろうと思ったのです。周りの灯りが消えているので目立つうえ、お酒を飲んで楽しい気持ちになっているお客様も多いので、実演販売のような感じになって、夜の売上の方が、昼の売上よりはるかに多くなりました。さらに、そうした夜のお客様が、やがて昼も来店されるようになりました。

―その頃に、 (株)東京トレーディング社長の李(成在)さんとお知り合いになったのですね。

中村 ちょうど李さんも商売を始められたころで、少しでも面白いものがないかと探しているなかで、知り合いになり、友人になりました。

1994年10月にオープンした1号店「熊本上通り店」 千葉市中央区に2005年4月オープンした郊外型SC「Ario蘇我」の1階に出店した「アリオ蘇我店」
左●1994年10月にオープンした1号店「熊本上通り店」
右●千葉市中央区に2005年4月オープンした郊外型SC「Ario蘇我」の1階に出店した「アリオ蘇我店」

宮崎市に05年5月オープンした「イオン宮崎ショッピングセンター」の2階に開設された「イオン宮崎SC店」 横浜市都筑区に07年3月オープンした「ららぽーと横浜」の2階に出店したストーンマーケットの最新店舗
左●宮崎市に05年5月オープンした「イオン宮崎ショッピングセンター」の2階に開設された「イオン宮崎SC店」
右●横浜市都筑区に07年3月オープンした「ららぽーと横浜」の2階に出店したストーンマーケットの最新店舗

 

いい雰囲気の店を
きちんとつくれば
いいお客が集まってくる

―そして、いよいよ首都進出ということで、98年に千葉・船橋の「ららぽーとTOKYO‐BAY」に出店されますが、「ららぽーと」への出店は、どのような経緯だったのでしょうか。

中村 広島では、広島パルコに出店した翌月、郊外型SCの「広島アルパーク」にも店をオープンしましたが、アルパークの店の売上がよかったことから、デベロッパーの三井不動産さんから、「ららぽーとTOKYO‐BAY」でもどうかというお話をいただきました。センターコートの約9坪での展開でしたが、「ららぽーとTOKYO‐BAY」で坪効率トップになりました。

 アルパークとららぽーとでの展開を通じて、ファッションビルだけでなく、ファミリー層をターゲットにする郊外型SCについても手ごたえを感じました。ただ、郊外SCばかりに出店していったら、ただの「雑貨屋さん」になってしまいます。私どもは石のアクセサリーをファッションとして広めていきたいと考えていましたから、最初は都心部を重点的に攻め、都心部の店舗展開がある程度いきわたったところで、郊外SCへの店舗展開をスタートしようと考えました。

―2005年9月には、東京・青山の青山学院大学の向かいの青山通り沿いに路面店をオープンして話題になりましたが、同店開設の狙いはどのようなところだったのですか。

中村 ここ数年、郊外型SCへの出店を加速した結果、郊外店がかなりの店舗数になりました。しかし、先ほども申しましたが、ファッションとして石を販売していくことを考えています。ですから、ストーンマーケットのシンボルとなる店として、ファッションの情報発信基地である東京・青山に開設しました。

―昨年は、香港にも2店舗出店されましたが、現地での反応はいかがでしょうか。

中村 いま香港には、中国全土から富裕層が訪れていて、日本製品はブランド品として高いものほど売れています。ストーンマーケットの商品はリーズナブルなプライス設定ですが、プライスをもっと高く設定しないと、香港では「日本ブランド」として売れないといわれるほどです。石を身につける習慣がない日本でここまでできたのですから、そうした習慣がある海外では、もっとできると思っています。

―また昨年は、レストラン事業にも進出されましたね。

中村 福岡・大名に無国籍カジュアルダイニング「mu‐tata」を9月16日にオープンしました。同店は「ヨーロッパ人が見たアジア」をイメージしました。料理のジャンルも「無国籍」で、料理人も寿司職人、和食の料理人、イタリアンのシェフ、エスニックのシェフを揃え、一つの店で世界各国の美味しいものを楽しむことができます。

 大名は近年、低年齢化が進んで、“大人のお客様”が離れていっているといわれていますが、mu‐tataには、そうしたお客様が集まってきています。いい雰囲気のお店をきちんとつくれば、いいお客様が集まってきます。これからは、そういうことも提案していきたいと思います。

広島市中区に06年8月オープンした広島本通店には「手作りコーナー」も設置 「香港FestivalWalk店」は、九龍島にある香港最大級のショッピングセンター「Festival Walk(又一城)」の地下フロアの一角を占める「LOG-ON」に06年4月13日オープン 福岡・大名に06年9月16日にオープンした無国籍カジュアルダイニング「mu‐tata」
左●広島市中区に06年8月オープンした広島本通店には「手作りコーナー」も設置
中●「香港FestivalWalk店」は、九龍島にある香港最大級のショッピングセンター「Festival Walk(又一城)」の地下フロアの一角を占める「LOG-ON」に06年4月13日オープン
右●福岡・大名に06年9月16日にオープンした無国籍カジュアルダイニング「mu‐tata」

香港の店舗では着物をイメージした包装で商品を提供 「原宿キャットストリート店」はストーンマーケット初のメンズ&ユニセックスアクセに重点を 置いたショップとして“裏原”に06年2月オープン 博多港を望む本社ビル。フレームレスのカーテンウォールでファザードを覆い、内なる光を外へ向け発する「宝石箱」をイメージ。内部には緑が揺れ、水が流れ、光がたわむれる庭をつくり、自然が生み出すエネルギーを込める
左●香港の店舗では着物をイメージした包装で商品を提供
中●「原宿キャットストリート店」はストーンマーケット初のメンズ&ユニセックスアクセに重点を 置いたショップとして“裏原”に06年2月オープン
右●博多港を望む本社ビル。フレームレスのカーテンウォールでファザードを覆い、内なる光を外へ向け発する「宝石箱」をイメージ。内部には緑が揺れ、水が流れ、光がたわむれる庭をつくり、自然が生み出すエネルギーを込める

 

社長が従業員のことを考えることで
会社がまとまりそれがお客様に伝わる

―これだけ事業が急拡大すると人事やマネジメントが、企業経営において重要な課題になると思われますが、そうしたところについては、どのような考えをお持ちでしょうか。

中村 最も大切なのは好きなことをやるということです。当社の場合、店長が社員、チーフが社員か準社員で、スタッフはアルバイトで賄っています。ですから、社員になりたければ店長になるしかない。つまりアルバイトで社員になりたい人がいたら、その人に店を1軒出してあげるという考えです。そこから店長はどういう仕事をするかということを教えたら、その人はものすごく育ちますよ。

―ストーンマーケットの店舗を何店か拝見させていただきましたが、どのお店もスタッフがいきいきとしていて、この仕事を好きでやっているなという感じが伝わってきますが、いまのお話を伺って、中村社長の「好きだからやる」という哲学が根っ子にあることが分かりました。

中村 やりたくない人に無理やりやれと言っても無駄です。当社は100店舗近くありますが、1店1店みなお店の形は違いますし、ディスプレイも異なります。それぞれ店長が「自分の店」だと思ってやっているから違っているのです。

―ホームページを拝見して、中村社長が故郷の山口県柳井市に福祉車両を寄贈されたことを知りましたが、素晴らしいことです。アメリカでは成功者は恩人の町や場所に寄附する行為が見られ、多くの図書館はその寄附で成り立っているのですが、そうしたこともアメリカでの体験がもとにあるのですか。

中村 福祉の寄附もどんどんやっていこうと思っています。また、いま柳井市では文化財「白壁の町」を保存修復し、それを観光資源とするまちづくりを進めています。そうしたなかで、以前から何か地域貢献できないかと考えていたこともあり「ストーンマーケットのお土産屋」を出店しようと考えました。

 当社はこれまで、石をファッションとして販売してきましたが、石を身に着けるがことが広まり、ファッションとして定着してきましたので、次の展開として、本当にすごい「お土産屋さんとしての石の店」をつくろうと考えていて、そうした店のモデル店舗を、まず柳井に出そうと思います。いわば観光地の“癒しの空間”です。新しい商品づくりのため、いま柳井市の歴史や産物を私たちなりに見直しているところです。

―地域特有のローカルなカルチャーを、私は「ローカルチャー」と呼んでいますが、柳井市にしかないローカルチャーを創ってほしいと思います。最後に、これからの「夢」をお聞かせください。

中村 夢と言うより目標ということですが。当社は、従業員によってここまで大きくなりました。ですから、これからは従業員のために、いろいろなことをしたいと考えています。今度、すぐ目の前に海が広がるというロケーションに会員制ホテルをつくりますが、当社のスタッフは、そこを自由に使えるようにしたいと考えています。

 こうした「従業員が使えるもの」を、これからもどんどん作っていきたいと考えています。
 従業員のためを考えるということはお客様のためでもあります。店長が楽しくないとアルバイトも楽しくない。アルバイトが楽しく仕事をしていないとお客様も楽しくない。ですから、私が従業員のことを考えることで会社がまとまるし、それがお客様に伝わるのです。

―本日はエキサイティングなお話の数々、ありがとうございました。


関連サイト : ストーンマーケット

対談後記 
松本 “災い転じて福となす”。運命の吉凶は予測できないという印象が強烈に残った。中村社長は若い頃の失敗が糧となり、直観力が備わったのであろう。勘、すなわち第六勘が磨かれているのでタイミング良く時代が読めていると感じた。いつも「ストーンマーケットをこうしたい、この姿にしたい」という明確な志しがしっかりと伝心され、そこにスピード感ある売り場の時代対応力があるからこそ、急速な成長を遂げていると納得できた。先日、タイガーアイというストラップを買い求めたが、そのときの販売スタッフは“アクセサリーの世界が好きで、とても楽しい”と言っていた。一人一人が自分を磨き、笑顔で楽しみ、そしてときめくことで、運を呼び込んでくれる。これからの消費のマーケットは3つのキーワードに集約されよう。1つは、感動、2つは、健康、3つ目は癒しである。これからもストーンマーケットは、はつらつとした健康的な接客、癒される商品、そして小さなドラマや感動を創り続けていくであろう。シャレではないが、胸にストンと落ちるものを感じ得た対談であった。


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