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HOME > tansei.net24号 >Break! NEO専門店!! 連載19回
アッシュ・ペー・フランス

亀山 功 氏/ アッシュ・ペー・フランス(株) 取締役専務
聞き手/ (株)丹青社営業開発センターSCマーケティング研究所 所長 松本 大地

ファッションというのは
自分を伝えるための
重要なメッセージ

 フランス・パリはじめとする世界のファッションシーンで活躍するデザイナーがつくりだす、個性溢れるアクセサリーやバッグ、シューズ、ハット等をセレクトし、日本に紹介するアッシュ・ペー・フランス(株)。東京・原宿のファッションビル「ラフォーレ原宿」に1984年オープンした「Lamp」からスタートした同社は、現在、国内に70を超える店舗を展開するほか、パリ、ニューヨーク、香港に店舗を構える。また、代々木体育館を使っての合同展示会をはじめ、アートイベントや出版など多彩な事業を展開している。

「ラフォーレ原宿」での
レディス専門店の展開からスタート

―亀山専務とは、ほぼ同じ時期に鈴屋に勤務していたという共通点がありますが、鈴屋を辞められて、アッシュ・ペー・フランス(株)に入られたのは、どのような経緯だったのでしょうか。

亀山 23歳のころ、当時鈴屋の最新店舗としてたまたま銀座で「ベルブードワァ」を見て、「こういうのをやりたいな」と思ったことが大きかったですね。当時の鈴屋は新進ブランドを積極的に展開して、ファッションの先端を走っていました。

 鈴屋に入社してからは、池袋店や渋谷店、香港勤務などを経て、最終的にはベルブードワァの銀座店に配属されました。しかし、入社したころとは大きく様変わりしていて、自分が目指すものと方向性の違いを感じ、1989年に退社しました。

 そのころ、高校の同級生で、現在、アッシュ・ペー・フランスの代表取締役を務める村松孝尚が、ラフォーレ原宿に「ランプ」というレディス専門店を経営していました。この店は、彼がたまたま譲り受けたもので、彼自身はファッション業界のことを何も知りませんでした。それで、ときどき相談を受けてアドバイスをしているうちに、一緒にやろうという話になったのです。

―貴社の広報誌に「村松社長の業務日誌」というページがありますね。
亀山氏

亀山 当社では毎日、長期アルバイトを含めた社員全員に業務日誌を書かせています。非常にアナログ的ですが、毎日1行でもいいから必ず書くように言っています。なぜかというと、村松が現場から遠いニューヨークにいるからです。彼は経営者というよりは発想家で、ビジネスチャンスに対して自分から具体的な案を出していくタイプなので、彼が直接関わっているプロジェクトが0たくさんあります。それで、業務日誌という文字の報告によって状況を把握しているのです。

 毎日村松はメールかファックスで300通ぐらいの業務日誌を見ているのですが、そのなかで少しでも引っかかることがあると、すぐに電話が直接本人にかかって来ます。そして必要であれば今度はスカイプで話をします。

―スカイプでどのようなコミュニケーションをするのですか。

亀山 インターネットを利用したテレビ電話ですので、相手の顔を見ながら話ができるので、たとえ真夜中でも直接話をして指示することができます。また、本社にはテレビ会議のシステムも導入しています。昔と違ってタイムラグがないので、普通に会話ができます。これによって週に1回、経営会議などを行っています。そうしたアナログ的なものと先進的なものの組み合わせにより、社内のコミュニケーションを深めています。

「表参道ヒルズ 本館」地下1階に出店する「H.P.FRANCE BIJOUX表参道店」 東京・青山の「CHRISTOPHE COPPENS TOKYO」
左●「表参道ヒルズ 本館」地下1階に出店する「H.P.FRANCE BIJOUX表参道店」
右●東京・青山の「CHRISTOPHE COPPENS TOKYO」

「ルミネ エスト新宿店」地下2階に出店する「destination Tokyo」 青山に2001年9月にオープンした「JAMIN PUECH」
左●「ルミネ エスト新宿店」地下2階に出店する「destination Tokyo」
右●青山に2001年9月にオープンした「JAMIN PUECH」

 

新生「H・P・F」のアイデンティティを
明確に打ち出すためのCIの準備を進める

―社名についてお聞きしたいのですが、アッシュ・ペーのH・Pとは、貴社の前身である「原宿プロジェクト」からとったものだそうですね。

亀山 はい。ランプを譲り受けた翌年の1985年に原宿プロジェクト有限会社が設立されました。その名のとおり、原宿のマンションアパレルなどのカジュアルファッションなどを集めたお店を展開していました。その後、村松がパリに渡り、アクセサリー・小物雑貨の輸入卸をはじめたのです。

―お店がブレイクしたきっかけというのは、どのようなことだったのでしょうか。

亀山 パリのビジネスがうまくいった最初のきっかけは、ジャン・ルイというフランス人男性を紹介されたことです。彼は日本に住んでいたことがあるので日本語が話せるし、日本人以上に日本人的な発想をもっています。彼のサポートが大きな力になりました。

 次にフランソワーズ・セイグルです。現在、「フランス・エ・キャロル」のバイヤーを務めていますが、彼女を通して才能あるクリエイターやデザイナーと数多く出会うことができました。

 それから、ドミニク・ロンドです。1992年ごろ、ラフォーレ原宿の3階に彼女が品揃えをしたバイヤーズショップをつくりました。いまのセレクトショップの先駆け的なもので、最初の半年ぐらいは全然売れませんでしたが、ファッション関係のジャーナリストやヘアアーティストが面白いと言って買いに来てくれました。それが口コミで広がって商品の貸し出しが始まり、雑誌に掲載され、急激に売れるようになったのです。

―プレス戦略が功を奏したわけですね。

亀山 そうですね。雑誌に掲載されることで、お客様はわれわれの商品を間接的に知ることになります。プレスというのは商品のことを全国隅々まで伝える有効な手段なのです。

―最近、会社を統合されましたが、その狙いについてお聞かせください。

亀山 もともとグループには、原宿プロジェクトとジェネレーション、アッシュ・ペー・フランスの3社があり、それぞれ独自の目的や戦略のもとに展開していました。しかし、これらを一つにまとめ、共有できるものは共有することで、さらに効率的に攻めていくことができると考え、今年3月に、現在の「アッシュ・ペー・フランス」1社に統合したのです。

 ただ、会社を統合したことによって矛盾する部分も出てきました。というのは、一般消費者が認知している「アッシュ・ペー・フランス」というのは、ヨーロッパのアクセサリー・小物雑貨などインポート商品のイメージだと思います。しかし、現在はアメリカのデニムも主力商品になっていますし、南米の商品も増えています。そこで現在、企業名としての「アッシュ・ペー・フランス」と、店舗ブランドとしての「アッシュ・ペー・フランス」の整合性をとり、アイデンティティを明確に打ち出すために、ロゴも含めたCIの準備を新年度に向けて進めているところです。

店舗で配布している広報誌「WHOLE hpgrp Catalogue」
店舗で配布している広報誌「WHOLE hpgrp Catalogue」

 

年2回の「ルームス」は
若手クリエイターたちに
ビジネスチャンスを与える場として開催

―お店自体はそれぞれバイヤーが違いますから、業態の数は非常に多いですよね。

亀山 海外も含めると、現在77店舗を展開していますが、1店舗しかない店もたくさんあります。店舗数が最も多いのは「LAX」というアメリカのインポートデニムのセレクトショップで、現在10店舗あります。次が「goldie H・P・FRANCE(ゴールディ アッシュ・ペー・フランス)」というヨーロッパのアクセサリー・小物雑貨をそろえたバイヤーズショップで、8店舗。最近は「H・P・FRANCE BIJOUX(アッシュ・ペー・フランス ビジュー)」が福岡に出店して、現在4店舗あります。

―ここまで成長する過程においては、ブランドの希少性と事業拡大との綱引きがあったのではないかと思いますが、多様な業態を開発することでブランド価値を保つのが貴社の戦略と考えてよろしいですか。

亀山 そうですね。おっしゃるとおり、店を拡大すればするほど希少価値は薄れていきます。しかし、お客様に触れる店舗はそれぞれ独立したものだと考えています。同じ業態でも商品やお店のスタイルは、そこの店長や商品担当者の見せ方によって全然違うのです。

―代々木体育館を借り切って年に2回開催されるファッションイベント「ルームス」は、クリエイター発掘の場として内外から大きな注目を集めています。

亀山 この事業を始めたのは、欧米では展示会ビジネスが発展しているのに、日本は未発達で、若いクリエイターが自分の作品を発表する場がない。そこで、日本の若手クリエイターたちに、ビジネスチャンスを与える場を提供したいと考えたからです。そのためにはまず「アッシュ・ペー・フランス」の名前を有効に使い、アクセサリー・小物雑貨の若手デザイナーがたくさん参加してくれました。現在では約250ほどのブランドが参加いただき、扱いアイテムもファッション全般に及びます。このイベントには商業デベロッパーの方も大勢来ますので、次につながるきっかけにはなっていると思います。

代々木体育館を借り切り開催しているファッションイベント「ルームス」

 

何よりも、私どもに共鳴してくれる人に
出会うことに満足感がある

―貴社にとってエポックになったのは、松屋銀座と丸ビルへの出店ではなかったでしょうか。

亀山 そうですね。1999年に松屋さんが大々的なリニューアルをするときにお話をいただいたのですが、松屋さんから最初に提案されたのは2階でした。しかし、せっかく出店するのなら、私どもの価値をはっきりと示せる場所を提供してほしいとお願いしました。そうしたところ、1階正面という絶好の場所を用意してくれました。当時、あの場所に「フランス・エ・キャロル」を出店できたことは、ファッション雑貨の事業が一気に伸びるきっかけになりました。この「フランス・エ・キャロル」は現在、場所を銀座小松ストアの2階に移転させています。

―丸ビルは正面の受け皿の一番良い所ですね。

亀山 最初に提示されたのはエスカレーター脇の10坪ぐらいのスペースでした。丸ビルさんに対しても、出店させていただくなら、きちんと表現できるスペースがほしいとお願いしました。そうしたところ、1階の一等地が残っていたのです。

 そこで、社内で検討した結果、アクセサリー・小物雑貨の中で最もグレードが高いジュエリーに特化した店をつくることになりました。店舗ファサードの巨大なウインドウは会社の基本的な考え方であるクリエーションを示す場としてギャラリーにしており、この場にて、国内外のさまざまなアーティストの表現を2〜3か月のサイクルで展示しています。

―今後のテーマとして、何か考えていることはありますか。

亀山 「南米」ですね。ファッションについてはまだ世界的に認知されていませんが、南米からニューヨークやパリ、ミラノに出て、活躍しているデザイナーも少なくありません。

 もうひとつ、今後われわれの重要なキーワードになるのは「感性品質」です。
 たとえば「縫製がきちんとしている」といった物理的品質は、技術が高まれば、みな同じになります。でも感性品質は違います。

 物理的品質を求めるなら、百貨店に行けばいい。私どもは専門店ですから、私どもの感性に共鳴してくれる人を呼び込みたいのです。

―その点では、一般の消費者の感性は非常に上がってきていますね。

亀山 いい例がダメージデニムです。10数年前だったらありえない商品ですが、自分ではこの味が出せないからと言って、わざわざ高いお金を払って破れたものを買うわけです。

 ファッションというのは、自分を伝えるための重要なメッセージです。それぞれのクリエイターが持っている感性を、私どもはビジネスにしていかなければなりません。モノを売ってはいますが、目的は金儲けではなく、私どもに共鳴してくれる人に出会うこと。何よりもそこに満足感があるのです。

―お忙しい中、ありがとうございました。


関連サイト : H.P.FRANCE

対談後記 
松本  小粋なパリジェンヌが集まるサントノーレにアッシュ・ペーのパリ店JACQUES LE CORRE(靴・バッグのデザイナー)はあった。日常の現実の中に魅惑的な何かが含まれているパリらしく、街に溶け込んでいた。ディスプレイ、商品は日本と何ら変わらないテイストがあり、接客の“なにげなく、さりげない親近感”は、アッシュ・ペーの世界を顧客と共有する潤滑油になっている。アッシュ・ペーの強さは、日本から世界の店まで、経営層から現場スタッフに至るまで、楽しくクリエイトするアッシュ・ペーそのものへの恋慕ではないだろうか。それを支持する顧客がいるからこそ、話題の商業施設から次々と出店要請のラブコールが届くのであろう。

 最近のリアルクローズからは熱のあるエネルギーを感じる反面、このところ均一性が高まり簡単に手に入る軽い恋愛のような印象を感じざるをえない。ファッション・デザイナー山本耀司さんは、「おしゃれの原理は、人の目を楽しませること」と言った。鈴屋当時と変わらない笑顔と向上心、これからもアッシュ・ペーが織り成す女性を楽しませる心と技が、ますます楽しみになってきた。


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