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HOME > tansei.net23号 > 新世代百貨店 21世紀の提言 連載第12回

"三越改革・第2幕"が開幕
石塚体制で「三越」再生目指す

(株)三越
相談役 中村 胤夫
聞き手/ (株)丹青社 開発センター室 専門役  斎藤秀樹

"原点回帰"軸に営業を再強化、
新時代対応急ぐ

中村氏

 1673年(延宝元年)開業以来、呉服店(「越後屋」)をなりわいとした三越が今日のような近代的百貨店の姿を現したのは、ちょうど102年前の1904年(明治37年)のことだ。これを計画・断行したのは、同社中興の祖といわれる高橋義雄、日比翁助等で、会社を株式会社組織に変更、宣伝や販売手法に至るまで一新した。これが三越の「デパートメントストア宣言」の始まりで、爾来100年余、GDP世界2位へと飛躍する今日まで同社は繁栄から成熟へと突き進んできた。その意味で三越の発展史は、日本経済の成長史と重なる。
 今回、ご登場いただいた(株)三越 相談役 中村胤夫氏は、2年前、株式会社創立100年記念事業を見事成し遂げ次世代に経営を託した。“石塚社長の経営の中で、自分(会長そして相談役)は外交”を掲げ「三越」再生を期している。当インタビューでは、そうした“外交の立場”から現在、三越が抱える問題点や百貨店業界の今後のあり方など大いに語ってもらった。

株式会社創立100周年事業で建設された本店新館 三越本店新館 三越本店新館
左●株式会社創立100周年事業で建設された本店新館
中・右●三越本店新館

 

石塚新体制による三越改革第2幕がスタート
商人道の原点に立ち返り
「三越」の再生と研鑚

−昨年、石塚邦雄新社長のもと、三越改革の第2幕がスタートしました。中村相談役は、これまで社長として3年、会長として1年務められました。この間を一言でいえば、転換期の大掃除を終えたということで、いよいよ攻めに転じることができるようになった。うまくバトンタッチができたのではないでしょうか。

中村 そうですね。私はリストラなど体制の整備・強化に取り組んできました。それを進めていく中で、新しい体制にはそれにふさわしい人間が必要だと考えていましたので、その点、いいタイミングで適材の後継者にバトンタッチできて良かったと思っています。
 転換期に大改革を進めるには、リストラを着手した当事者が新しい店を構築していく手法と、別の新しい人が新しい視点で改革し店づくりを担うという二通りの手法があります。今回は後者を選択しましたが、その選択は間違っていなかったと思っています。
 しかし、石塚社長はこれから厳しい仕事が待っているわけで、本当に大変だと思います。古いものを壊すのも大変ですが、新しいものをつくっていくのはもっと大変です。ですから私は黒子となって、社長を補佐できることは何でもやろうと思っています。

−石塚社長は昭和24年生まれ。ちょうど団塊の世代にあたり、世代論的にも時代の要請に叶っている。

中村 そうですね。これから21世紀前半を占める大きなマーケットが団塊世代だけに、そうした人たちと同じ目線で考えることができる。その意味でも、非常に良い後継者だと思っています。
 また、石塚社長は人の話を良く聞き、それを活かすことのできる人です。営業経験がないことを心配する向きもありますが、それはまったく杞憂だと思っています。

−2年前、三越は株式会社創立100周年を迎えました。その節目に、当時、社長であった中村相談役は、本店新館を建設するなど、社内の意識高揚を目指した施策を打ってきました。現在、次の100年に向けて、原点回帰の経営に入っていると聞いていますが…。

中村 102年前、百貨店宣言した三越は、当時、高橋義雄、日比翁助という二人の先達がおり、欧米のデパートメントストアを研究して、新しい百貨店の息吹を吹き込んだのです。
 高橋義雄が古い呉服店から百貨店へと改革路線を引き、それを日比翁助が具現化するという流れです。それまで、わが国の小売業には洋風の文化はなかった。
 その時の苦労は並大抵ではなかったでしょう。そういう中で、お客さまの立場に立った商売とは何なのか。あるいはどうすれば社会に貢献できるのかということを考えて必死になって取り組んだのです。
 それから100年が経ち、いま改めて原点を見直すべき時期にきたのです。成熟社会の中で百貨店は、どういう形で消費者のお役に立てるのか。どういう存在意義が確認できるのか。先達の事例も参考にしながら、変えるべきものと変えてはならないものをしっかり見据えていけば、あるべき姿は見えてきます。 早くそれを明確にし、実践していかないといけないと思っています。

−向島隅田公園の傍に三越の氏神様の三囲(みめぐり)神社があります。門前に日比翁助さんの歌碑が残されています。「石垣の小石大石持ちあいて、御代に揺るがぬ松ヶ枝の色」と。いまの三越に最も必要な全員が一枚岩になって商売に専念することの大切さが読まれてあります。感激して帰ってきました。

中村 日比翁助は、その他店員が守るべきルールをしっかりと決め、それらは後日、『三越小僧読本』という小冊子にまとめられました。歌碑の内容と同様、店員育成のためのもので、三越が創業以来伝承してきた商人道と、それを実践する店員の接客心得10か条が記述されています。
 約束事をきちんと決め、それを守ってきたから三越というブランドが築かれたわけです。お客さまのことを考え、約束はしっかりと守ること。
 それは、いつの時代でも変わらない基本精神ですし、いま言うところのコンプライアンス(遵法精神)にもつながるわけです。
 これからの100年、この三越ブランドをどう磨き上げていくのかという課題においても、毎日、社員の努力で磨いていくしかないということです。その成果が、お客さまの信頼をより高めていくことになるからで、それが石塚新社長に課せられた大きな仕事です。

三越本店新館店内 三越本店新館店内 三越本店新館店内
三越本店新館店内

 

まず、"広域商圏の構築"を目指した
事業戦略展開を視野に入れ
今秋と来春、新郊外へ2店舗を開設

−今秋11月オープンする「ダイヤモンドシティ武蔵村山」、来春オープンする「ダイヤモンドシティ仙台名取」が秒読みに入りました。いずれも大都市郊外への出店として注目されていますが、この新しい取組みの狙いをお聞かせください。

中村 武蔵村山のエリアには私どものお客さまがたくさんいらっしゃいます。しかし、近くに私どもの店舗がない。そこで、三越の拠点をひとつそこに構築したいということです。
 そこで買い物をしていただくと同時に、私どもはお客さまからいろいろな情報をいただき、それを日本橋本店や銀座店等に活かしていく。いわば戦略的に広域商圏をつくり上げていくという計画です。
 名取も仙台商圏から近く、空港へのアクセスや鉄道の開通も予定されています。その結果、仙台市と名取市を包括する広域商圏が生まれると思います。
  これからは、できるだけ大きな商圏で事業を捉えていくことが大事です。そのための試みが名取であり武蔵村山の戦略だといえます。
 私どもは、ネットワークを一つのテーマとしています。札幌、仙台、福岡、鹿児島に店舗がありますが、このネットワークをどう活かしていくかです。
 商品への嗜好は地域によって違いますので、百貨店のチェーンオペレーションは非常に難しい。しかし、サービスという点では共通です。ですから、それぞれの地域の特性を活かした品揃えや売場づくりをするとともに、そこに三越ならではのサービスを付加していく。
 これからは「モノ」に加えて新しい「サービス」価値を提供していくことが不可欠です。

 

百貨店協会、小売業協会の協会長として
まちづくりの視点から地方都市活性化のために尽力

−中村相談役は社長時代から日本百貨店協会会長および日本小売業協会会長など業界団体の役員を務められて二期目に入っています。今後のテーマを含め両活動についてお話をうかがいたいと思います。

三越・中村相談役と当社・斉藤営業開発センター長中村 2003年に小売業協会の会長に就任したときから、地方都市の百貨店や中心市街地の問題に対する解決策を見出したいと考えてきました。
 ちょうどその頃「まちづくり三法」改正が大きなテーマになってきていたこともあり、経済産業省の「まちづくり三法」改正の民間代表委員も務めてきました。
 地方の状況を見ていますと、もはや一企業の努力だけでは解決しません。地域のまちづくり全体を考えて、まちの魅力をつくり出して、そこにたくさんの人に来ていただき、なおかつそこに住んでもらえるようにするという取組みが大切です。
 そのために良い事例があれば、その成功要因を調べ、ノウハウやアイデアを他の地方都市に提供していこうという活動を行っています。コンパクトシティという考えで中心市街地の活性化を進めている青森市や、アーケードで人を呼ぶ試みを行っている佐世保市など、いろいろと視察に行きました。
 そこで感じたのは、行政と商店街、住民が一緒になって情熱を燃やさないかぎり、まちづくりは難しいということです。
 そして、そのためには強力なリーダーシップが必要になります。

 

アジアとの交流が重要な時代に
台湾では地元資本と13店舗出店
中国にも進出、北京、重慶に2店を
来年と再来年、オープン予定

中村 百貨店協会では、2005年からアジアとの交流を積極的に進めています。これまでは国内での交流が主だったのですが、現在では、百貨店も含め小売業にとって、韓国や台湾、中国などの関係者や企業グループとのコミュニケーションが重要になってきています。
 最も頻繁に交流が行われているのは韓国で、次に中国です。いろいろな形で行き来がありますが、大きなウエイトを占めるのは、日本に学びたいという彼らの意欲に対するお手伝いをしていることです。とくに中国の人たちが日本に学びたいと思っているのは、接客サービスです。
 台湾では、まだ百貨店協会が1つに統一されておりませんが、私どもは傍系会社「新光三越」として、地元資本と協力して13店舗を展開しています。

 これは、日本の百貨店が海外に進出する場合の一つの成功事例ということができると思います。

−新光三越は、新光グループオーナーの故郷でもある中国にも出店される予定だそうですね。

中村 来年3月に北京、2008年には重慶にオープンする予定です。
 私どもが直接、中国に出店するのはリスクが大きいと判断し、台湾の新光三越と協力しながら中国で事業を展開していこうと考えました。日本と中国とは文化が違いますから、交渉の仕方ひとつをとっても全然違いますし、そのためにトラブルが起きてしまうこともあります。
 また、2008年に北京オリンピック、2010年には上海万博が開催されます。それ以降、中国がどう変化していくのかをシビアに見ていきながら出店計画を進めていく必要もあります。
 さらに協会のテーマとしては、「知的財産権」と「環境問題」が今後のアジアとの交流を展開していく際の重要なポイントとなっていきます。来年10月には「アジア太平洋小売業大会」を東京国際フォーラムで開催しますが、そこでは是非、この2つをテーマに取り上げてみたいと思っています。

 これは小売業界のみならず、他の業界においても取り組んでいかなければならない重要な問題です。

−百貨店協会、小売業協会の会長以外にも、国の審議委員になっておられ多彩な活動をなされていますが

中村 内閣府の市場開放問題苦情処理推進会議委員や、日本の圏域を考える国土審議会の特別委員にもなっています。また東京藝術大学の経営協議会委員にも加わっています。
 これは国立大学が独立行政法人になったことを受け、民間の改革手法を導入したいという要請があり、いろいろな提案を行なっています。

 

老舗三越ブランドの再構築は
「約束を守り」「ネットワークの構築」で
三越人のキーワードはチャレンジ精神を堅持、前進へ

−最後に、今後の三越ということで後輩への提言やお考えがありましたら是非お聞かせください。

中村 先ほど述べたように、「約束を守る」、「ネットワークの構築」ということが、これからのキーワードになると思います。
「約束を守る」ということは、当り前のことですが、実は非常に難しいことです。トップから末端まで、揺るぎなく堅持され続けるというのは簡単なことではない。
 しかしこれが企業のブランドを築き上げ、磨き上げていくうえでは重要なことなのです。
「ネットワークの構築」は、新しい可能性を開いていくために必要なことです。自分たちの世界に閉じこもらず、広く自らを開いて世界へ、前に出ていこうという意味です。

 よく壁を破ることが大事だと言いますが、壁には三つの種類があります。一つは物理的な壁です。これは壊せばよい。二つ目は機能的な壁、つまり組織の壁です。この組織の壁もお互いに力を合わせて壊せばよい。
 三つ目は心の壁ですが、これが一番難しい。人間というのは自分というものにこだわって、なかなか外へ踏み出したがらないという性癖があります。
 しかし、この心の壁を破らないかぎり新しい発展は望めません。そういう意味では心の壁を破って幅広く奥行きのある人間になることが、ネットワークを築くうえでは重要なことです。
 三越が21世紀にもお客さまに支持される百貨店であり続けるためにはどうあるべきか石塚社長のもとでチャレンジ精神をもって取り組んでいただきたい。
 三越には長い歴史がありますから、過去に学ぶこともできます。先達の残してきた経験や教訓、知恵を見つめ直して考え、改革に活かしていく。
 先端をいく学問の分野でも、行き詰まったときには基礎学問に立ち戻れ!といわれますから。それと同じことが言えるかと思います。

−本日はお忙しいところ、長時間ありがとうござました。

 

斎藤秀樹の提言


 向島隅田公園の近くにある三越の“鎮守の神”「三囲(みめぐり)神社」を初めて詣出たのは、株式会社創立100周年で沸く2年前の2004年のことである。
 同神社は三井高利が江戸に店(越後屋)を出して以来の氏神様で、現在各店舗の屋上にも分霊され、三越の社員がいつでもお参り出来るようになっている。社員でもない筆者が本庁を訪れた理由は、中興の祖・日比翁助さんが歌ったよい短歌が歌碑として残っていると聞きおよび、その存在を確かめるためだ。400坪に満たない地所だが特定するのに結構時間を費やしてしまった。門前に佇む歌碑を見逃してしまったからである。

石垣の大石小石を持ちあいて
御代に揺るがぬ松ヶ枝の色
(作:日比翁助)

 江戸城から持ち込まれたという巨石に彫られた31文字は、まさに“城は石垣、人は城(黒田節)”のメタファー(喩え)だが、さらに一歩踏み込んで“人の和の強靭さ=強い組織のメカニズム”を透視して余りある。
 氏が歌碑に託した願いは何か!人により立場によって解釈は異なると思われるが、労働集約産業の百貨店業としては、「百貨店はいろんな個性や技能をもった人間の集りであり、それゆえに成り立っている。各人の持味をいかすためには、組織に同質性より異質性を尊重した方が持続可能な強い城を築く事が出来る」と読める。
 さらに深読みが許されれば、「正社員も派遣社員もパートもいて企業は成り立っている。高卒・中卒だからといってゆめゆめ差別してはならない。職業に貴賎はないのだ。それゆえ、自らを卑下する必要もない」と教訓化できる。

また、経営陣に対しては、「人知れず日々、頑張っている社員が存在して会社は支えられている。時にはそうした事にも思いを馳せるべきだ」と注文をつけているように思われる。 今年、齢333年を迎えた三越――同社は単に百貨店のルーツとしてだけでなく、我国の産業の淵源として研究に値する豊かな歴史を内在している。 “頑張れ、三越人”!

[インタビュー同席後記]
 インタビュー終了後、同席した丹青社執行役員・営業開発センター長 斉藤幹雄は、戦後いち早く立ち上がった三越が放つ大型催事を手掛けた弊社創業社長・渡邊正治のエピソードを披露、両社の浅からぬ絆を確認した。
 「創業社長・渡邊正治は、戦後復興の中、再びデザイナーとして活動を開始、戦前嘱託として仕事をしていた日本橋三越の宣伝部に日参、昭和23年11月3日、新憲法発布を記念して日本橋三越において開催された『憲法展』を受託した。連日の残業徹夜をものともせずリヤカーに小田原提灯をつけてパネルを納品、“渡邊丹青社の評判”をとるにいたる最初の仕事であった」という。
−元資料は「丹青社のあゆみ」から−


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