tansei.net
季刊誌 tansei.net新施設情報近代建築海外情報感動マーケティング更新履歴

HOME > tansei.net21号 >Break! NEO専門店!!

Break! NEO専門店!! 連載16回
 
ジャパンイマジネーション

木村 達央 氏/
(株)ジャパンイマジネーション 代表取締役社長
聞き手/ (株)丹青社営業開発センターSCマーケティング研究所 所長 松本 大地
 
「商品」「人材」「店舗」「マネージメント」「モチベーション」のトータルバランスを重視した堅実かつ大胆な事業戦略により、移り変わりの激しいファッション業界にあって長年にわたり好調を堅持


 (株)ジャパンイマジネーションは、今年1月、わが国のレディスファッションの老舗企業である(株)デリカが、子会社である(株)クリスティアと(有)クロワールインターナショナルとの合併にともない社名を新たにしたものである。現在、同社は9ブランド、1美容室、計113店舗を展開。昨年のグループ売上は233億4400万円に達している。
 この好調の原動力となっているのが同社の旗艦ブランド「セシルマクビー」である。他社のセクシー系ブランドが一時の勢いを失うなか、着実に成長を続け、とくに若い女性に人気のファッションビル「SHIBUYA109」では5年連続で店舗売上げナンバー1を記録するなど、現在のレディースファッションを牽引するブランドとして業界内外から高い注目を集めている。

新宿通りに開業した
婦人服小売店が原点

―まず御社の沿革からおうかがいしたいのですが、確か設立は1946年ですね。

木村 私はあまりそういうことに関心はないのですが、今年は設立60周年で、会社の還暦を祝わなければならない年廻りでした。いつの間にか業界の中では古手になり、同時に生き残り、と言われるようになってきました(笑)。

―先代の社長が創業された洋品店が原点とお聞きしていますが。

木村 そうです。戦後間もない1946年11月、新宿大通りの三越の並び、伊勢丹の斜め向かいあたりの場所に父親が開業した婦人服・子供服の洋品小売業が当社の出発点です。父親は大蔵省に入り、税務署勤めを経て一時期銀行勤めもしたという経歴の人で、独立してこの商売を始めたのです。

―ファッションとは全然畑違いの経歴の方だったわけですね。

木村 普通のファッション会社とはまったく違う原点です。最初は「大東繊維」という社名だったのですが、すぐに「三恭」と変えた。父の恭也という名前からとったのですが、これだって硬い店名ですよ(笑)。

―その新宿大通りの小売店が、どのような経緯で発展・飛躍されていったのでしょうか。

木村 やはり当社の歴史を振りかえると、いくつかの節目がありました。父親が店を始めた時。そして法人の設立。その次の節目は64年に新宿のステーションビル、現在の「新宿マイシティ」に出店した時です。

―「新宿マイシティ」は、ステーションビルのはしりでしたね。
木村氏

木村 その新宿ステーションビルに出店したということが、当社の方向性を決めたと思います。64年という年は、戦後の商業施設の歴史を紐解くとなかなか面白い年で、翌65年に渋谷の東急プラザができました。66年には新宿西口広場の所に小田急エースと呼ばれている地下街ができた。その次の67年には大宮ステーションビルができたのです。そして一年飛んで69年に池袋パルコがオープンしている。

 このように、64年に新宿にステーションビルができた頃から、世の中がショッピングセンター、ファッションビル、駅ビルの展開時期となった。ステーションビルがスタートだったものですから、現在も当社の出店はJRさんが一番多い。その後、東急さん、小田急さん、それからパルコさん、と出店していくなかでだんだんに会社も大きくなり、店舗数も拡大していきました。

―時代の波に乗ったともいえますが、出店戦略での先手を打ったともいえます。いずれにしても御社は60年代のファッションのスタイルを提案されてきました。

木村 そして次の転機となるのが、時代が大きく下がって1996年。これこそ私がこれまでいろいろなところで“渋谷にセクシーファッションの突風が吹いた”と言っている96年です。ここで会社自体の中身・方向性ががらりと変わっていきました。

同社躍進のきっかけとなった「セシルマクビー」(セシルマクビー金沢KOHRINBO109店) “Always ontime”をコンセプトに「セシルマクビーを卒業した20〜27歳の女性」をターゲットに展開(ミミリー大宮ルミネ1店)
(左)●同社躍進のきっかけとなった「セシルマクビー」(セシルマクビー金沢KOHRINBO109店)
(右)●“Always ontime”をコンセプトに「セシルマクビーを卒業した20〜27歳の女性」をターゲットに展開(ミミリー大宮ルミネ1店)

「クリスティアクール」は、シンプルベーシックを絶妙のバランスでミックスさせた本物志向のセクシーエレガンスブランド(クリスティアクール神戸マルイ店) 「クリスティアクールヘアー」は、人気ブランド「クリスティアクール」本店2階にオープン。“東京 青山エレガンス”をコンセプトにヘア、メイク、ファッションをトータルにコーディネイトできる
(左)●「クリスティアクール」は、シンプルベーシックを絶妙のバランスでミックスさせた本物志向のセクシーエレガンスブランド(クリスティアクール神戸マルイ店)
(右)●「クリスティアクールヘアー」は、人気ブランド「クリスティアクール」本店2階にオープン。“東京 青山エレガンス”をコンセプトにヘア、メイク、ファッションをトータルにコーディネイトできる

 

社名を変え
さらなる 華麗な変身を!

―今年の1月から「(株)ジャパンイマジネーション」と、社名を変えられましたが、その意図はどういったところにあったのでしょうか。

木村 従来のデリカという社名は、72年に三恭から変更したもので、いい社名だと思っていました。ところが近年、「デリカテッセン」という言葉が使われるようになってから、「御社は飲食関係の会社ですか」と聞かれることが非常に多くなりました。株式公開会社の中にデリカと名乗る会社が3社ぐらいある。うちの「デリカ」はデリカシーからとったものですし、先に商標登録もしているのですが、こういう事態になるとどちらが先とか言っても仕方がありません。それで少し前から社名変更を考えていたのですが、ちょうど会社を合併することになったので、よい機会だから社名を変えようと決心したわけです。

―ジャパンイマジネーションですから、日本から発信・創造するファッションのイメージでしょうか。

木村 それはまだ遠い先のことだと思いますが、意気込みだけはということですね。それとイメージとしては、ジャパンイマジネーションという会社の下に、セシルマクビーだけでなく、いくつかのブランドを育てたいという思いがありました。

 新しい社名を決める段階では、やはり株式会社セシルマクビーだな、と思っていた時期があります。「キリンビール」とか「味の素」という社名のように、メインブランドの名前をつけた方がいいのかなと。しかし、そうするとセシルマクビーだけになってしまう。やはり当社としては、今後、セシルマクビーに比肩するブランドを育てていきたい。それとめでたく還暦を迎えた会社ですから、ここで生まれ変わる必要もあると。そんな思いも込めて社名を変えたわけです。

パリ発のブランド「クーカイ」は、洗練されたロマンティックさと上品なセクシーさを表現(クーカイ銀座プランタン店) 「quoi? quoi?(クワクワ)」は、癒しをテーマにしたセンスの良いこだわりのファッションを中心に雑貨の品揃えが充実した生活提案型のライフスタイルショップ(クワクワ横浜ジョイナス店)
(左)●パリ発のブランド「クーカイ」は、洗練されたロマンティックさと上品なセクシーさを表現(クーカイ銀座プランタン店)
(右)●「quoi? quoi?(クワクワ)」は、癒しをテーマにしたセンスの良いこだわりのファッションを中心に雑貨の品揃えが充実した生活提案型のライフスタイルショップ(クワクワ横浜ジョイナス店)

「リスティ」は、18〜25歳までのエレガントなカジュアルをデイリーで楽しみたい女性をターゲットに展開(リスティ宇都宮パルコ店) 型にはまらない様々な着こなしやコーディネートが楽しめるカジュアルブランド「エージープラス」(エー・ジー・プラス新越谷ヴァリエ店)
(左)●「リスティ」は、18〜25歳までのエレガントなカジュアルをデイリーで楽しみたい女性をターゲットに展開(リスティ宇都宮パルコ店)
(右)●型にはまらない様々な着こなしやコーディネートが楽しめるカジュアルブランド「エージープラス」(エー・ジー・プラス新越谷ヴァリエ店)

 

SHIBUYA109
セシルマクビーの
大ヒット

―御社とは先代社長様の時代から店づくりのお手伝いをさせていただきましたが、セシルマクビーは時代の潮流や渋谷という街の特性をうまく捉えたお店ですね。

木村 そんな大袈裟なものではなく、これは運が良かっただけです。私はかなりの運命論者なんですよ。ベストを尽くしたあとは運だと。セシルマクビーが大化けしたことも、別に秘話など何もないのです。ただ運が良かっただけです。

―セシルマクビーが109にオープンしたのは1986年ですが、それ以前は「デリカ」でヤング、OL向けのカチッとしたお店でしたね。

木村 そうです。109ができた時にデリカで出店しています。今と同じ場所ですが、面積は半分でした。ずっとそこそこの売上げだったのですが、もっと成績を伸ばそうということで、セシルマクビーに変えることにしたのです。もっとも当初は今とはかなりテイストの異なる業態でしたが。

―それがなぜ今のように変わっていったのですか。

木村 109の売上が1990年のピークを境に落ち込み始めると、109としてはこう考えたわけです。渋谷の街にはこんなにたくさんの若い子がいるのに、一歩、ビルの中に入ると誰もいない。街にいるお客さまが109に入って来るようなテナントに業態変更をしようと考えたわけです。この単純明快な発想が109のリニューアル成功の秘訣だと思います。

―お客さまの視点・街の視点に立った業態転換を行ったということですね。

木村 当社の業態開発とかブランドの開発というのは、あなたまかせの部分もある(笑)。デベロッパーやお客さまからの要望を受けて創ってきた。
 セシルマクビーのケースは、109の変化に促がされ、新しい業態を開発したのです。最初の頃「どうしてああいうものが今までのデリカの中から出てきたのか」「どこの企画会社とタイアップしたのか」という質問をよく受けましたが、期待されるような秘話のようなものはないのですよ。

―その頃、勢いづいていた109では、カリスマ店長というのが世間の話題を集めていました。セシルマクビーにはカリスマ店長で売るというよりも、FA(ファッションアドバイザー)、ディスプレイ、商品、プライシングなどのトータルで際立っている、そのような印象を受けました。

木村 当社の考え方としては、仕事は一人でやるものではない、という原則がある。つまりトータルバランスを重視している。具体的にいうと、一に商品、二に人、三に店舗、四番目にマネジメントのシステム、五番目がモチベーションというか、気力ですね。この5つのバランスで結果は変わってくる。桶の水は一番低い所にしか入らないという喩えがありますけれど、その5つのうちの一番低いレベルにしかそのお店のレベルは上らない。
 だから、トータルなバランスが大事だということです。当社も個人売上は人によってかなり差がありますが、そういうことがダイレクトに給料に反映することもないし、ある一人が特別なヒーローのようになっていくことも基本的にはありません。

 ただし、カリスマ販売員という発想は素晴らしいと思います。理想的なのは、カリスマが店長だけでなく、販売員一人一人がカリスマになることです。なぜならカリスマというのは、お客さまから見ると憧れの対象ですから。

 たとえばセシルマクビーであれば、セシルマクビーの服を着て素敵に見えないとカリスマにならない。ブランドで仕事をする人に一番大事なことは、確かに接客の言葉遣いも大事ですが、それ以上に自分自身がそのブランドになりきることです。そういう意味でまさにカリスマ販売員というのは、ブランドの販売員の理想型だと思います。

 

いい人・いい人材が 集まれば
業績は伸びる

―今セシルマクビーは39店舗ですね。出店要請がたくさんあるなかで、ブランド・エクイティを守りながら拡大していくということに関しては、どのような戦略をお持ちですか。

木村 セシルマクビーは3月に新店が静岡にオープンしますので40店舗になります。当社の今決算期の売上げは213億3700万円、これは1月元旦に合併しましたので、昨年の旧デリカの売上げに旧子会社の1月の売上げが加わった数字です。現時点の会社規模としては業態数は9ブランド、1美容室、店舗数は113店舗、社員数が常勤・パート込みで約800名です。地域的には北は札幌、仙台、南は福岡まで。その間は広島、岡山、金沢、新潟、浜松、静岡のほか、大阪、京都、名古屋、関東圏の主要都市に展開しています。

 基本的な考え方としては、店舗をつくり過ぎないという点に尽きるということです。諸先輩の例を見ても、小売店が駄目になる9割の理由はお店のつくり過ぎだと思います。問題はそのブランドにとっての適正な規模はどの程度かということですね。これはそれぞれのブランド、そのターゲット、その特徴、それをやる会社のさまざまな力などによって異なってきます。

―最近、SCのデベロッパーと専門店との関係がギクシャクしているという話も伝わってきますが、テナントのお立場として、その問題についてお話しいただけますか。

木村 この間日本ショッピングセンター協会でそのことについて講演をしたのですが、私は一番大事なのは、テナントとデベロッパーの役割分担を双方がちゃんと理解しあうことだと思います。SC草創期のころはデベロッパー、テナントの双方が素人でした。ですから両者が協力しあって運営にあたるといった一体感があり、そういう時代が長く続きました。ですが、SC間の競合が激しくなってきた近年以降、デベロッパーもテナントも素人ではやっていけなくなり、双方がそれぞれの分野のプロであることが求められるようになりました。ところが、プロ同士の新しい関係が、まだちゃんとできていないし、十分な自覚もされていない。そこのところに双方のギクシャク感が生じていると思います。

―双方の役割分担とは。

木村 デベロッパーの場合は、まずコンセプトメーキングとテナントを集め、そしてテナントの力を引き出すような日々のオペレーション(宣伝・販促活動)。テナントはMDとCSです。この双方の役割分担を平等の立場でお互いに努力し達成すること。こういう関係が発展するSCの条件です。

―生活者の情報量、審美眼も年々、進化していますからね。

木村 そう、そう。世の中が急速に変ってきていることをもっと強く自覚する必要があります。

―木村社長はイタリアなどへのオペラ観劇やスキューバダイビングなど多彩な御趣味をお持ちのようですが、本業のファッション論をお聞かせいただけますか。ずばり木村社長にとってファッションとは何でしょうか。

木村 その質問が一番困りますね。私は、父親もそうだったのですが、基本的にファッションというのが全然わからないのですよ(笑)。
 逆説のようですが、当社にとっては実はそれが良かったのではないかと感じています。というのは社長がファッション大好き人間である場合、会社の寿命は短くなる可能性も秘めているからです。こだわりのある社長のいる会社というのは、いろいろなブランドを創っても、みんな同じになってしまう。しかし、ファッションの寿命というのはすごく短いものです。だから、あまりこだわり過ぎると変化に対応できなくなり、そのために潰れないまでも、勢いを失っていく。そのような例を沢山見てきました。ですから私のようにこだわりのない方が、会社経営の面では安全という考え方も一理あると思うのです。

―そのスタイルが貫けたのは、御社が長い歳月をかけて培ってきた専門メーカーさんとの棲み分けというか共同作業が非常にうまくいっているからでしょうね。

木村 それが当社の創業以来の基本的な仕事の取り組み方です。SPAでなければこれからのファッション業界は生き抜けないと言われてきましたが、私達は、品揃え型専門店として究極のビジネススタイルを追求してきました。

―最後に木村社長の今後の会社とご自分の人生の夢を、お話いただければと思います。

木村 今までのデリカ時代のキャッチフレーズは「素晴らしいデリカを創ろう」というもので、サブ・コピーは「より楽しく・より豊かに・より美しく」というものでした。社名を変更したので、キャッチフレーズも変えないといけないのですが、基本的にはそういう会社にすることが、今も私の夢ですね。ともかく、まず、いい人・いい人材がどんどん集まって来てほしい。そうなれば毎日一緒に仕事をしていても楽しいし、個人的にも幸せになれる。私は経営者ですが、何年後に何店舗にしたいとか、何年後に売上げをいくらにするなどということは、あまり考えていません。もちろん単年度の売上目標は立てますが、それよりも小売業の業績というものは、先ほど申し上げたように、5つの要素の結果だと思っています。これをトータルに高めていけば自ずと業績はよくなると確信しているからです。

 そしてそのために一番大事なのが人です。ですから本当によい人材がどんどん集まって来るような会社にすることで、企業として成長し業績につなげていきたい。そういう会社になって、もうあまり社長のやる仕事はないなぁ…という心境に達するのが、私の夢です(笑)。

―非常に爽やかな経営観ですね。心が洗われるようなお話を伺うことができました。どうも有難うございました。

関連サイト : (株)ジャパンイマジネーション

対談後記 
松本 米国の著名なマーケッターは「商品の定義は、自社で何を製造しているかではなく、顧客(CUSTOMERS)が何を欲しているかによって定義されなければならない」と述べている。セシルマクビーの商品は、渋谷の空気、ファッショントレンド・スタイルに自分らしさを表現することを欲した女性が求めた象徴である。面白いのは、男性が自分の彼女に着せたい服、一緒に歩くのに着て欲しいというウォンツがあることだ。きっとセシルファンの気持ちでモノづくりをしていることが、セクシーカジュアル系ファッションの中でロングセラーを続けている秘訣ではないのだろうか。時代を超えて支持される曲は、やがてクラッシックになると、音楽好きの友人は語った。木村社長の時代を捉える目、スタッフの向上心、そしてメーカーやデベロッパーとの共感関係がある限り、時代を彩る光を放ち続ける専門店であるだろう。


このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。
Copyright 2006 TANSEISHA.co.,ltd.
All right reserved.