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■コラム * tannet flash 雑考ノート 高橋 哲 なんだかとても、子どもっぽい。 子どもっぽい言動。子どもっぽいファッションやライフスタイル。子どもっぽいストリート。子どもっぽいタレントが大手を振るあほらしいTV番組やCM。子どもっぽい短絡的な記事ばかりを羅列するニュースや雑誌。子どもっぽいOLやカップルが席巻するブランドやグルメブーム。子どもっぽさで開き直るテーマパークや商業施設。子どもに虚仮にされ、子どもっぽい大人が喜ぶ展示施設。子どもっぽいマネーゲームやITドリーム。子どもっぽいフリークスや閉塞的なコミュニティー。子どもっぽい事象を熱心に語る子どもっぽい識者。子どもっぽい責任転嫁が日常茶飯の政治や経済。子どもっぽい覇権争い。熱しやすく醒めやすく、子どもっぽく群れを成す趣味行動や消費行動。消費者を子どもっぽく仕向けることで、マーケットを改ざんしようとするメディアや事業者。子どもっぽい快楽追求を声高に叫ぶエンタテインメント。子どもっぽい偽善的奉仕活動。残虐非道、後先考えぬ子どもっぽい犯罪。他力本願どうにかなる的な子どもっぽい将来設計。一方では、親が子どもの、また彼女や彼氏の「子どもっぽい」無邪気なかわいらしさに、愛情の所在を合点することもあれば、ドメスティックバイオレンスの起因にもなる。気付けば日常の多くが「子どもっぽい=子どもでないのに、子どもじみていて幼稚・稚拙」に蝕まれているようだ。 上げ連ねれば切りが無いのは現実的必然なのだろう。良いも悪いも、しょうがないも在るが、共通するのは子どもっぽい思考と論理。「ぼく悪くないもん」「こっちの方が面白いぞ」「〜ちゃんがいじめるの、慰めて」「面倒くさいから明日だ、誰かがやるさ」。可愛がってくれる人にはとことん甘え、厳しい輩には顔色を伺い、厄介なことからは逃避し、都合がいいようにしか考えない。 すなわち「子どもっぽい」は刹那に楽を求める年代を超えた兆候とも言える。多くは是非善悪のわきまえが浅く、軽率な区別や認識にも疑念を抱かず、遊び心や感性を失わぬ一端の個と錯覚する。そういう輩ほど出たがりで、その影響圏にある日常や社会は茶番と化して見える。冷めてしまうのも無理ない。 「子どもっぽい」に密接に関わる要因として、「わかりやすさ・単純化」への求めと「放棄・ボカシ」に委ねる処世術がある。“荒度”情報化や、経済・雇用の先行き不安、食品問題、健康問題、階層化や民族・地域問題など複雑多難な不安要因が増大すると、単純でわかりやすいほど処しやすいし、先が見えないまた見たくない分、臭いものには蓋をかけ、成り行きまかせを楽とする。 では救いの糸口はと言うと、その逆。敢えて理想を求めその労を厭わぬこと。 世の枠組みが、その根無し草状態故に目まぐるしく無効になる時代だからこそ、本来の「自分」を活かすチャンスが、瓦礫のように転がっているはず。 この業界は、「子どもっぽい」世の中を現出してしまう最前線にある。 ならば良心を、問題を正す良識をと願いたいが、如何せん、子どもっぽさの際立つ人間ばかりが集まる様で、逆に子どもっぽさが無くなったら無用の業界となってしまうかもしれない。ならばどうする。 通常の「子どもっぽさ」の枠をはるかに越えるほどの「イマジネーション力」を鍛える。その「めでたさ」こそ、自然や環境に対する本能的な感応や、失いがちの思考や創造力の可能性、つまり純粋な人間性、普遍と個の一致点に近いからだ。ただし、子どもだった頃には考えられなかった多くの思考と判断基準を具え、注文者や取り巻く社会環境のニーズを相対化できることが必須。 個と個の本願的なスピリットとイマジネーションが宿り交わる唯一性の高い施設が増えて行けば(それが画一的になると宗教化する落とし穴もあるが)、その施設目的が何であれ大いに救いとなるのは間違いない。 世間を「子どもっぽい」と感じる自分は、「今時の若者は〜」的な世代間乖離の現れなのか、歳をとると感じ始める普遍性なのか、否、未だかってなかったほどに幼稚化が進展しているのは明らかだし、とにかく危険だと警告したい。 「子どもっぽい」自分のことは棚に上げたままのつもりだったが、子どもっぽい雑文を書いてしまったのでした。 (たかはし さとし/(株)丹青IDS プランニング&プロデュース部 チーフプランナー)
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