|
■コラム * tannet flash 雑考ノート 高橋 哲 先ず、粋に行きましょう。 黒澤明監督の脚本作品「海は見ていた」のホームページ冒頭に出てきたのが先のことば。制作ノートの初端に記され、その“意気”込みをつたえている。 映画の触れ込みは、最後に氏が撮りたかった31作目にして初のラブストーリー。時は江戸、場所は深川、しかも岡場所、遊女の話。当然ながら興味をそそられて出向いたのだが、いざ行くと他館で上映中の「タイムマシン」が面白そう、楽しそうで、世界の黒澤を観ずにそちらに流されてしまった。情けない。 翌日、富岡八幡宮例大祭の神輿連合渡御(とぎょ)があるというので、いそいそと出掛け、永代橋の上で見ていたら、これがすごい。氏子各町より五四基の大神輿が集まり、それこそ鯔背(いなせ)な若い衆や、勇み肌のおっちゃんたち、粋な姉さんたちが威勢良く練り歩く。豪快な水掛に益々奮い立つ。その熱気に圧倒されて動けずじまい。 二日立て続けに粋なものに触れ、その夜は“いき”がのどに刺さった魚の小骨のような状態になっていた。考えてみれば“いき”とは何か、おぼろげにしか理解していない。 とりあえず広辞苑を見れば、「粋」(意気から転じた語)1.気持ちや身なりのさっぱりと垢抜けしていて、しかも色気をもっていること。すい。2.人情の表裏に通じ、特に遊里・遊興に関して精通していること。反対語=野暮、とある。 ところが、先の「海は見ていた」の黒澤氏の制作ノートには、これぞ粋の極みといった具体的かつ細やかな書き込みに溢れ、熊井啓監督も「いわゆる庶民のダンディズムと解釈するならば、黒澤氏の描こうとしたテーマに通じるに違いない」と語る。この解釈は飛躍なのか正当なのか、それすら分からない。 そこで『「いき」の構造』(九鬼周造著)を読み返して見た。拙い要約だが…。 第一に「いき」は男女のことであり、とくに女の媚態(びたい=色っぽさ)に関わる。媚態とは異性にべったりと寄り添うことではなく、ある種の緊張関係。永遠に交わってはならぬ二つの性、その二元的対立を基本とする〈媚態〉に、権力への対抗意識や意地を表す〈意気地〉と、すっきりと垢抜けした心持ちとなる〈諦め〉が加わり、磨かれて「いき」が完成する。すなわち、「いき」とは「垢抜けして〈諦め〉、張りのある〈意気地〉、色っぽさ〈媚態〉」となる。 第二に「いき」に近い諸意味として、「上品―下品」や「派手―地味」の人の性格に関わるものと、「意気―野暮」や「渋味―甘味」の属する異性的なものから考察しているが、面倒なので省略(趣味の直六面体の有名な構造図は一読の価値あり)。 第三に「いき」を自然的表現(容姿、五感、言葉づかい)として考察。姿勢を軽く崩すことが「いき」、薄ものを身にまとうことや湯上り姿が「いき」。薄ものの透かしによる異性への通路開放と、薄ものの覆いによる通路閉鎖の妙。顔面は丸顔よりも細おもて。表情が「いき」になるためには、眼と口と頬とに弛緩と緊張を要する。流し目、横目、下を向いて上目越し、伏し目も異性への運動を示す。しかし単に色目だけでは「いき」ではなく、過去の潤いを想起させるだけの光沢を帯び、諦めと張りとを無言のうちに語っていなければならぬ。顔は薄化粧、髪は略式、また首筋が少し肌ける抜き衣紋と首筋の濃化粧も「いき」。そして手つきも素足も「いき」の重要な表現。自然的表現としての「いき」は、異性に対する二元的肯定としての媚態が、理想主義的非現実性によって完成されたもの、としている。 第四に「いき」の芸術的表現として考察。特に顕著なのが、永遠に交わらざる平行線に見出されるとし、着物の縦縞に焦点を中てる。しかも横縞より縦縞の方が二元性の把握に適して「いき」。「いき」を現すには無関心性、無目的性が視覚上に表れていなければならず、放射状の縞は中心点に集まって目的を達してしまっている。複雑な模様も煩雑な感を与えダメ。色彩はというと、雑多な色取や派手な色ではあり得ず、深川ねずに代表される灰色、光度の減少で生じた褐色すなわち茶色、夕暮れに適合する紺や納戸色などの青色、の三系統にあらわれる。いわば華やかな体験に伴う消極的残像だそうだ。次に「いき」な建築についての言及。象徴的なのは茶屋建築に求めることができ、内部外部の別なく、材料の選択と区割りの仕方によって、媚態の二元性が現されているのが良い。二元性は材料の木材と竹材、天井と床との対立、床の間と本床の対立などにあらわれる。採光も強烈を求むべきではなく、夜間照明も行灯が最も適合するものとした。 結論は「運命によって〈諦め〉を得た〈媚態〉が〈意気地〉の自由に生きるのが〈いき〉であり」、その構造が民族存在の自己開示として把握されたとき、十全なる会得と理解を得る、とする。…「いき」の基礎知識をなんとか得られたので、まず「海は見ていた」を見て「いき」の続きを考えてみよう。 (たかはし さとし/(株)丹青IDS プランニング&プロデュース部 チーフプランナー)
このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。 Copyright 2002 TANSEISHA.co.,ltd. All right reserved. |