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■コラム * tannet flash 雑考ノート 高橋 哲 ことばのどつぼ 「デ・ファクト・スタンダードばかりを追求するよりも、オープン・アーキテクト化されない独自の差異性、つまりコア・コンピタンスを確保しなければなりません」「はぁー、そこんとこよく理解できません」が、冷めた眼で、少しは勉強しなさいなんていわれたら、ひっそりと調べるしかない。 【デ・ファクト・スタンダード】外来語辞典には、市場の競争を通して決まる“事実上の標準”とありますが、また「はぁー?」東大の岩井克人先生は「あるモノが標準として使われているのは、それが標準として使われているという事実以外には何の理由もないという意味。すなわち、あるモノがデ・ファクト・スタンダードであるというのは、それが他のものよりも優れているから多くのヒトに使われているのではなく、それがたんに多くのヒトに使われているから多くのヒトに使われているのにすぎないということで、まさに“自己循環論法”にほかならない」とおっしゃる。純粋な例としては貨幣、近年ではマイクロソフト社のOS(ウィンドウズ)や、日本ビクターのVHS方式などが顕著な例と知って、やっと理解。ところで【自己循環論法】とは。大辞林、「循環論法」論点先取の誤謬の一つで、論証すべき結論を潜在的・顕在的に論証の前提とするような論証の方法?パス。 【オープン・アーキテクト】公開建築や開けっぴろげな建物ではニュアンスが異なります。製品や技術デザインを、いくつかのほぼ独立したブロックに分解するとともに、その間をできるだけ規格化された“インターフェース”で連結してしまうこと。例えば、パソコンという製品を、プロセッサ、メモリ、HD、ディスプレイ、モデム、接続端子、キーボードといった標準化された部品に分解し、部品ごとに独立生産を行い、最後にそれらを規格化された箱に詰めたり、ケーブルに繋いで一つの完成品に仕上げること、だそうです。【インターフェース】パス。【コア・コンピタンス】「イミダス」では、事業に必要な中核能力。軍隊が保有する核心能力。国立国語研究所の「外来語委員会」だと、他社には模倣できない、自社の中核的な技術や知識のことで「得意技術」「得意分野」などと言い換えることができる、となります。先の岩井先生は「組織能力」「経営資源」「会社文化」などもほぼ同じだと述べられ、その多義的解釈に恐れおののくこととなります。
ちょっとした文章でこれですから、本一冊なら“どつぼ”にはまる、まさに、底無しどうどうめぐりの悲惨な状態に陥ります。【どつぼ】広辞苑にも大辞林にも載っていません。一説には“つぼ”に“ど”という接頭語がついたものであり、関西弁の失敗する、ダメになる意の【つぼふむ】の“壺”に通じているようです。因みに本来は、田んぼの脇にあった【肥溜(こえだめ)】を指すこともあるようです。そういえば「うぁー、どつぼ!」の悲惨な体験談。 子供のころ新しく買ってもらった自転車が嬉しくて、黄金色の田んぼ道に遠出したとき、轍(わだち)に車輪をすくわれ、自転車をかばおうとして転がり落ち、頭からドボッ。表面は硬めなのに中はドロドロ、底の方は味噌仕立て…。最悪の恐怖、汚い・臭い・寒い、の悲惨揃い踏みで、近くの川に飛び込み“ふるちん”になって一生懸命汚れを落とそうとしたのでした。だから「うぁー、どつぼ」の“トラウマ”が今もどこかに残っているようです。【トラウマ】【ふるちん】パス。臭い、たわいない話でごめんなさい。 ところで、【肥溜】って昔は郊外田畑に当たり前の風物でした。今考えるに自然循環・エコロジーの範ともいえる超合理的システムだったのですが、やはり臭い物には蓋なのか、忘れ去られる傾向にあります。同じような風物の【里山】や【古民家】、【鎮守の森】などが脚光をあびるなか、敢えて【肥溜】的何かの復権を唱えたいものです。地域を支える掛替えの無い存在でありながら、一歩間違えると「どつぼにはまる」緊張感と五感への訴求力を備える、ただ居心地が良いだけではない、身体的営みの原初形態を呼び覚ますバランサー的存在。得てして“奇麗事”ばかりが持て囃される反動かもしれませんが、都市にも【肥溜】的風物を印したいものです。【奇麗事】手際よく美しく仕上げること。体裁だけで実のこもらぬこと。よごれないで済ませられる仕事…。 (たかはし さとし/(株)丹青IDS プランニング&プロデュース・ディビジョン 企画部 チーフプランナー)
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