コラム * tannet flash
プロモーション・フロントライン
宮下 浩志

"自分だけ"的体験へのこだわり


 この夏「21世紀夢の技術展(ゆめテク)」が開催された。日本の優れた産業技術を子供たちに披露し、新世紀にむけてしっかりと夢を育んでもらおうというイベント。東京近郊では久々の博覧会規模といえる盛大なものだった。一方、「集客業」を生業のひとつとする私は、このところ人の集まる場所で来場者の顔の表情の変化を探ることにより、その施設やイベントの演出・運営の出来映えを測ろうという、きわめて手前勝手な趣味の悪い試みもしている。

 で、「ゆめテク」の時の私のターゲットは「お子さま」。各ブースから出てくる彼らの表情にはひとつのキマリ? がある(ように感じた)。いかに立派な内容でも「全部ひとまとめに見せてあげよう」的なつくりのものより、ホンの少しであれ自分だけにとっての何か(それはモノでなくても良いのだが)を感じさせてくれるブース演出の方が、満足度が高いようであった。この子たちは1日の1コマとして、後者の体験をより印象的に覚えていることだろう。

 「未来日記」というTV番組が人気だ。すでに自分の未来の行動が記された日記のとおりに行動しなければならないというルールで、あらかじめお膳だてされた恋愛ストーリーを見知らぬ素人の男女が演じるモノ。

 これが、後楽園ゆうえんちの「ルナパーク」でイベントとして展開され盛況であった。宣伝効果も素晴らしかったとみえ、ほとんどが10〜20代のカップルで超満員。どのカップルもそれぞれ違う内容の書かれたパスポートサイズの未来日記をうれしそうに首から下げている。各アトラクションの待ち時間は最大で1時間ほどにもなり、ふだん人気のない乗り物も、日記で乗ることが指示されているのか長蛇の列。「かったりぃー」などと座り込むこともせず、誰もが目を輝かせて日記を読み、嬉々として指示どおりに行動している。似通ってはいながら、各々少しずつ違う“自分だけ”の行動を、生き生きとした表情で「体感」しているわけだ。待ち時間に一方的に見せられる画一的なプレショーより断然いいと思った。プロモーションの合わせ技おそるべし、というのが実感である。

 今夏クアラルンプールに行った。その空港から市内へのバス中でのこと。車内には20才から60才くらいまでのカップルや夫婦旅行者が多かった。ガイド「この空港はアジアで最大ネ。滑走路5本。クロカワキショーさんの設計ヨ」。車内客は「・・・」と皆、よそ見。ガイド「あれがKLタワー、世界一タカイ。最高の技術で立てられたネ」。乗客またも「・・・」。皆、チラッと見た後はまたよそ見…。

 つい最近まで、世界一デカイとか、日本初とか、そういうものが施設づくりの企画書でももてはやされていたのに、どうしたことか?

 実は日本人が施設などを見るうえで、規模の唯一無二というものはあまり魅力でなくなってしまった――利用する側にはそれはあまり関係ないことだ、という事実にやっと気づいたからだろう。例えば、展望台はある程度まで高ければその先数メートル程度の違いは直接肌では感じられない。つまり、画一的に「ここはこんなに凄い」といわれても別に「?」であり、その中に自分にとって心動かされる何かがないと「!」とならない。そういう感じ方がごく普通になってきたのだろう。そこで、何かに出会った時のこうした人の心の動きを想像し、そうした「共感するココロ」を最大公約数的に盛り上げる手法を練るのが、“プロモーション”だと考えられる。プロモーションとは「心理学」でもあるのだなぁ、と。

 大きな流れの中に居る安心感がありながら、それでいてパーソナルな敷居、自分の価値観を確認できる領域を保てるココロモチが、いま気持ちいいと感じられている。「皆と一緒」は構わないけど「皆と同じ」じゃイヤ。このあたりの微妙な心理をエサにしながら、与える側ではなく使う側によってさらに成長し続けているのがインターネット。現実社会の商品やサービスでも、この心理をうまく扇動したものはヒットにつながっている。集客施設・イベントもまた然りだ。

 集客(支援)業に携わる我々のような人間は、今後、ニッポンのココロの大勢とかありようといったものがますます微妙になっていくのを覚悟しながら、固定的な価値観の環境には身をおかぬよう努力し続けなければなるまい。

(みやした ひろし/(株)丹青社 第1営業統括部 プロモーション開発部 課長)


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