コラム * tannet flash
ミュージアム・ナウ
南 夏樹

博物館と入館者数


 一九九〇年代の後半以降、各自治体で行政評価を導入しようという動きが盛んだ。それは長引く景気低迷により、自治体の財政状況が急速に悪化したのと軌を一にしている。東京都でも二〇〇一年度から正式に行政評価を導入した。二〇〇〇年度には試行期間ながら文化政策が評価の対象となった。このなかには七つの博物館・美術館事業も含まれている。A-積極的推進、B-着実実施、C-見直し、D-抜本的な見直し、E-廃止の五段階の総合評価がなされた。七つの博物館のうち最高の評価はCで、これは一館しかない。あとはDが四館に、Eが二館である。東京都の所管する代表的な博物館のほとんどは、廃止するか、あるいは抜本的な事業の見直しが必要という惨憺たる結果である。
 
no5.jpg  実はこの評価、一部の「文化」関係者の間で評判が悪い。大きな理由はこの評価が「入館者数」を主要な指標としていることにある。また抜本的見直しというのが、独立採算とまではいわなくとも、収支改善への自助努力、つまりはコマーシャリズムの方向を指していることも彼らには不満だ。彼らの主張はこうだ。頂点がハイ・カルチャー、底辺がサブ・カルチャーからなる三角形を想定する。頂点からある距離のところで、底辺と平行な線を引いてみる。その線から上の三角形の面積は、その線が表わす水準の「文化」を受容可能な人々の数を表わす。文化のクオリティが下がれば三角形の面積は大きくなり、受容可能な人数はふえる。逆にクオリティが上がれば三角形の面積は小さくなる。大きな三角形をつくる文化は商業化が可能である。たとえばテレビやポピュラー音楽がそうだ。小さな三角形の文化、たとえば現代美術やオペラを商業化することはむずかしい。ここに行政が公的資金をもって介在する必然性が生まれる。つまり、行政がコマーシャリズムを志向するのは根本的な自己矛盾だ、というのが彼らの主張である。
 
 彼らの主張にも一理ある。とはいえ、「入館者数」という指標も直感的には正当なもののように思われる。この直感はどのように裏づけられるか。あるいは博物館とポピュリズムの関係についてどう考えればよいだろうか。
 
 ロンドンで最初の公衆博物館と見なされるのは、ドン・サルテーロが一六九五年にチェルシーで開業したコーヒー・ハウスである(R・D・オールティック、『ロンドンの見世物』、国書刊行会、一九八九年)。ドン・サルテーロ(ジェイムズ・ソールター)は、イギリスにおける代表的な初期のコレクターであるハンス・スローン卿の召使いであったといわれている。
 
 ドン・サルテーロのコーヒー・ハウス(あるいは博物館)に展示されていたのは、彼が自分のコレクションに箔をつけるために印刷した「カタログ」によれば、次のようなものだった。尼僧の改悛用の鞭、サクランボの種に彫った四人の福音書記者の頭像、ウェストミンスター寺院の壁のすき間で発見された猫の遺骸、ウィリアム征服王の光輝く剣、エリザベス女王のイチゴ皿、パレスティナの古代都市ジェリコ産のバラ、巨人の歯、インディアンの貝殻玉の帯、モスクワ大公国の手袋、ヨブの涙で作った首飾り、鯨のペニス、上部に芝刈男がついた木製の置時計、サウス・キャロライナのガーターヘビ二匹。
 
 コーヒー・ハウスの常連だった作家のスモレットは、その作品『ぺリグリン・ピックル』のなかで、ドン・サルテーロのコーヒー・ハウスを称えている。あるオランダ人収集家を訪ね、その「コレクション」を見せてもらった後で、自分のキャビネットとロンドンのスローン氏のとではどちらが価値のあるものか、と問われた登場人物は次のように叫ぶ。「まったくもって雲泥の違い、同日に論じられるものか! 奴が見せてくれたガラクタ全部をくれると言われても、チェルシーのサルテーロのコーヒー・ハウスの一隅だって渡すものか」。
 
 ドン・サルテーロのコーヒー・ハウスが、一七五九年の、スローン卿のコレクションを中心とした大英博物館の開設と、まったく無関係であったとは言い切れない。少なくともその設立法に「学者と知識を求める人々の調査と楽しみのためのみならず、公衆の一般利用と利益のため」と明記されたことには、少なからず影響を与えたのではないか。このことは、博物館はその始まりからして、一般大衆の見ることへの欲望と深い関わりがあることを示している。博物館が追い求めるべき文化的クオリティとは、あくまでも大衆の欲望に根ざしたものであるべきだ、とは言えないだろうか。
 

(みなみ なつき/(株)丹青研究所 文化空間研究本部 マーケティング研究部
 マーケティング戦略研究室 室長)

このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。
Copyright 2002 TANSEISHA.co.,ltd.
All right reserved.