コラム * tannet flash
「レプリカ」と「バーチャル」の世界観
古川 俊弘

ミクロとマクロの視点  「みる」ことの不思議な窓口


 視力5.0などという恐るべき人たちが存在する。暮らす環境が、草の海を駈けるモンゴルの人、世界の屋根を歩くチベットの人、原初の大気状態を体験しているアフリカの人などなど。海や船で暮らす人や狩猟で生活している人も抜群の視力をもっている。そのような遠くを見る視点は、われわれには到底理解できない領域であり、何がどこまで見えるのだろうと想像するしかないわけだが、実際、人に見えないものを見る能力、見えてはいるが違うものが見えているとなれば只事ではない。
 

 
 展示とは「ひろくしめす」ことであるから人々が見たい、造り手が見せたい、と思うものが多種多様ある。また展示の世界では、展示意図やスペースなどの制約のなかでミクロ的表現やマクロ的表現が手法としてよく使われる。微視的と巨視的と日本語では表現されるその世界は、展示とどう関わっているのだろうか。
 もともと山河と海に囲まれた日本では、実物より小さくした事例が多く生活に根づいている。私の住むさいたま市には盆栽町というところがあり、樹齢千年などというとんでもないものもあるようだが、ただのミニチュアではなく、けなげに生きている姿を鉢の中で再現するという世界を目指し、最近は老若男女の人気も高いという。
 盆栽しかり、箱庭しかり。根付けなどの細工物や工芸品の数々。お米の一粒にすさまじい文字数を書く技術。石庭のように盆栽と同じように限られた空間のなかで、世界観と時間の流れを表現する手法もあったり、曼荼羅の世界観を一枚の中に封じ込めたりと日本人が好む世界である。最近では、はやりのお菓子の付録のように精巧であればあるほど満足感が増し、嬉しくなってしまう。
 いずれも小さな空間に凝縮し、逆に広がりや奥行きを感じさせるという点において奥が深い。
 
 
 ミクロで表現する。または実物を小さくした展示手法として代表的なものは、模型や人形などがごく一般的である。原寸大もままあるが、大抵の場合、小さくなったサイズ・ミニチュア化されたものが主流となる。大きなミニチュアでは全長で何百メートルもある大きな地形模型もあったり、地球や宇宙、歴史の流れを表現するのに模型やグラフィック、映像表現などスケール感の桁が違う表現方法が多種存在する。
 マクロで表現する。虫などを数百倍の大きさで造ることもあったり、人が目にすることができない分子や原子、ゲノムの世界や最先端技術の基板配列など頭のなかでとんでもない世界だと想像しても、くやしいかな実感としてはわかない。展示では模型やボールコースターなどの擬似化した造形物やCGを駆使した映像表現で、体内のさまざまな仕組みを見たりする。どんどんどんどん接写していくとマクロになっていく。ある段階を経て似て非なるものが出現してくる。さらに接写していくと、またまた違う段階の世界が現われてくる。深遠な淵を垣間見てしまう瞬間である。
 ナノ。最先端技術の現場で使われる言葉である。基本単位の10億分の1。ピコ。基本単位の1兆分の1。フエムト。基本単位の千兆分の1。もはや想像すらできない別の世界である。人が許容できるサイズの限界とはどこまであるのだろうか。
 顕微鏡と望遠鏡。極限までその性能を追求していくと、似通った世界に通じていく。モノがもつ求心力と遠心力は相反するパワーで核心に近づいていく。
 ミクロやマクロを表現するのに映像表現がいろいろな局面で活躍し、多様な可能性を魅せつけている。技術的にも日進月歩の跳躍を続けており、それにネットワークや通信系の技術が付加されて展示手法として欠かせない形態となっているのは周知のとおりである。現状では人に見えない世界を提供する大きな原動力となっているのは間違いない。
 
 
 単純に大きいものや小さいものを見るとき、なぜ感動を覚えてしまうのだろう。一寸法師や不思議の国のアリス、ガリバー物語、だいだらぼっちなどの巨人伝説、小人伝説は世界中にあふれている。ギネスブックなども単純に面白い。
 小さく見せることと大きく見せることは、頭のなかのレプリカとバーチャルのあやうい領域のもと、存在感が揺らぐような楽しい錯覚を覚えながら、同時にめまいを感じる迷宮として新たに違う世界を発見する不思議な窓口である。
 古代、医術では「視る」「覗る」という表現を使っていたと聞く。病魔を追い払うために悪の元凶を細かく見る(視る)、あるいはのぞく(覗る)と考えると、適切な表現である。現在では「診る」と書く。病状を判断するという意味である。似通ってはいるが、微妙に立場が異なって見える。
「みる」という言葉を漢字で当てはめてみると、見る・観る・看るなどが通常あり、味る・美る・魅る・未るなどと書くと視点が変わってきて、「みる」ことがさまざまにできるのだと妙に納得してしまう。われわれは通常、無意識のうちに頭のなかで「みる」ことを使い分けているのかもしれない。
 ものごとの本質を理解し表現して見せるには、「みる」ことの大事さが隠されている。
 
(ふるかわ としひろ/(株)丹青社 IMC事業部購買部購買課 課長)
 

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