コラム * tannet flash
「レプリカ」と「バーチャル」の世界観
古川 俊弘

錯覚の扉


  永久に上がり続けられる階段。どちらか一方を進んでいくと終わりがないのぼりが続き、反対に進むと果てしなく下りが続く不思議な立体図形としてエッシャーなどが表すその形は有名だ。永遠を感じさせる錯覚である。錯覚とはその場に実際にあるものを元とは違った形で誤って知覚することであり身近な存在だ。
 元々、われわれの視覚や聴覚は信頼性が高く再現性に優れており、当たり前のように外界を受け入れている。ところが多くの動物は色が見えないという話がある。カエルは動いているものしか見えないらしいし、コウモリは音波を視覚と同じように使っている。昆虫の見え方は網の目のようだ、とか実は当たり前のことが彼らにとっては当たり前ではない。
 正しいと思うことは、もしかしたら錯覚かもしれない。

 
 ずいぶん昔から意図的に錯覚の効果を与える技法があったようである。たとえばギリシヤ神殿では梁(はり)の中央が上に反っていて柱も内側に傾けてあるが、眺めると真っすぐに見えるそうだ。手品や奇術は昔から錯覚の楽しみを与えてくれる。
 見方によれば誰にでも同じように感じられる錯覚は、よく展示や学習、訓練の技法に使われる。だまし絵が代表的であるが、図形の中にも色や線を使って長く見えたり遠近感や奥行きを感じるもの、なぜかゆがんで見えるもの、動きが感じられるものなど意外に多い。大掛かりなものでは宇宙飛行の訓練に使われる重力錯覚装置は子供のあこがれでもある。
 見方を変えれば歴史上もっと大掛かりに錯覚させるものとして侵略や戦争がある。数限りなく、しかもたやすく起きてきた。など意図的に感覚を麻痺させ望む効果を与えようという事例は多い。
 一方で人によって感じ方の異なる錯覚がある。単純な見間違いや聞き間違いなどの不注意によるもの。空耳や気のせい。恐怖や不安の心理状態にあるとき木の枝がヘビに見えたり、壁のシミや木目がお化けに見えたりする場合がある。ホラー映画やお化け屋敷は、わざとその効果を演出している。しかし何かいいことを期待する心理状態の場合は裏切られる確率が高い。
 同じ単語を何度も言わせて、似たようなものをこれはナニという遊びが一頃はやった。わかっているのに何度も繰り返すと言葉の意味自体がだんだんぼやけてくるのは言葉の意味をためす錯覚であろうか。
 
 鍵を1日中さがしている男がいる。はたして何を開ける鍵かは、もはや忘れているのであるが、ひたすら捜す。捜すためだけに捜す。いつかはみつかると期待こそすれ、反面みつかった時の漠然とした恐怖を心の奥底におしとどめながらも捜し続ける。時には偶然みつかった鍵をどこかに隠してみつからなかったことにする。それは反則ではないかと指摘されてもかまわない。自分は自分の仕事を遂行しているのであり、正義としての行ないをしているのだから、それに口をはさむのは邪道でありいらぬおせっかいである。と反論すら許さない自信家でもある。永遠の反復運動を行う達人、と人には言われている。なにか永久に上がり続けられる階段の絵を思い出す。
 人から聞いたことが、いつのまにか自分の業績や発見であると思い込む人が居酒屋でたまに見受けられる。はじめはちゃんと分っているのだが、しゃべっている内に次第に自分のことになってしまい自分で信じ始め、結果自分のことであると思ってしまう。
 現代ではさまざまな高度なことで数値化による評価と判断の度合いが進んでいる。数値化できるものに関しては理解できるが、数値化できないものに対しては判断ができず行動できなくなる人が一部で増加している。意図的にあるいは知らず知らず余計な錯覚に馴らされていくシステムが現代には潜んでいる。

 未就学児童と小学生が大人になったらなりたいものアンケートで女の子は「食べ物やさん」が8年連続1位、「保育園・幼稚園の先生」「花屋さん」などが常連となっている。男の子は「サッカー選手」「野球選手」が常連で、ここ10年ほどは「大工さん」「食べ物やさん」なども着実に上位に顔を出している。あこがれ系と、手に職系が同居しているようだが、いずれも特定の技術がいるということと五感をフルに使うという側面を感じさせてくれる。
 何らかの世界へ通ずる色々な扉には、それにふさわしい鍵が必要だと気付いていく頃、鍵がどこにあるか探し始め、どこにいけばどんな鍵があるか調べ経験と知識を重ねていく。
 無限の扉が世界中にあり錯覚の扉もその中にある。

(ふるかわ としひろ/IMCC本部 業務・購買部 購買担当チームリーダー)
 

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