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■コラム * tannet flash 「レプリカ」と「バーチャル」の世界観 古川 俊弘 時代を写すレプリカ
その時代をレプリカとして剥ぎ取ることができるか。または、そのままコピーすることは可能かと思ってみた。大きなくくりで時代を写すこと。空間や時間を時代のレプリカとして成立させる方法論とは。 ● 時代時代において最先端を目指す。が最先端というものは次々に更新され続ける運命を持つ。風化したり過去のものとして置き去りにされたりしながらも、その時代を写し取ってきた。モーターショーの歴史を写真などで見ると服装や髪型に現在と違いが見られるがデザインや雰囲気において様々なエネルギーが発散されている。企業のもうひとつの顔であるショールームも商品構成、デザイン、考え方などによりリニュアルが繰り返されたり不要なものと使命が変わっていく。商業施設は当然ながら流行りに敏感であり趣味指向が数限りなく反映される。それぞれがそれぞれの論理で時代と向き合いながら色々な意味で最先端を目指す。博物館は過去を保存し、それ自体が過去のレプリカとしての存在も感じさせる。いずれも時代を映すレプリカであろうか。一方。うわべの最先端ばかりおいかけ、間尺に合わなくなったものをどんどん脱ぎ捨てて新しいものを着込んでいく。一歩間違うと着膨れ状態になり身動きが取れなくなってしまったり過去の残りかすが皮膚のヒダまではいりこみなかなか取れなくなってしまう、ということも割りと見られる。 ● その年のキーワードとして毎年シンクタンクや研究機関などが象徴的な言葉で時代を表現しようと苦心する。ひとが時代に敏感なのか、時代のエネルギーが必然的にキーワードを探し出してくるのか微妙であるが、何かの手がかりを得ようという動きも時代を写すレプリカの一種と考える。 アートや芸術の世界では革新的な表現方法や考え方を導入し、ひとつの世界を時代時代に創出させている。人間にとっての永遠のテーマである「幸せ」をアートを通して探る展覧会があった。展示物はヨーロッパ近代の洋画、日本を中心としたアジアの古美術、そして世界の現代美術から構成され異なったジャンルの作品を同じ空間に展示している。壮大な時代への切り取りと貼りこみを行い、イメージの拡大と瑣末なものにとらわれない自由奔放さを表現していた。今、現代だからできる試みである。 ● ひとが作るのと時代が作り上げるのとは明らかに差がある。 例として、たとえば今年は新撰組。夜明け前と表される幕末の動乱時代。勤皇の志士と薩長の煩悶。一秒先もわからずに生きていた彼らと、われわれが思う思想や美学は彼らには関係なかった。しかし百数十年たったわれわれにとっては格好の時代の申し子として写る。 ただ、そこに存在しているものにとって進行形である時代というのは奇妙な存在でもある。なんとなくわかりそうだが実は何通りにも解釈できるもの。いろいろなことがありすぎて全体が見えないもの。ほのかに言わんとすることが想像できるもの、とっかかりがなく疑問符で止まってしまい前に進むことができないもの。ばくぜんと雰囲気はわかるが本質はわからないもの。などなど、あとから見たときに、ああいう時代だったとわかるものかもしれない。時代を写し取ることは、大掛かりであれごくごく小規模であれ現在・過去を反映させるはざまの中にある。 (ふるかわ としひろ/(株)丹青社 IMC事業部 Dプロ室 3グループ チームリーダー) このページに掲載の内容、写真などの転用をお断りします。 Copyright 2004 TANSEISHA.co.,ltd. All right reserved. |