コラム * tannet flash
「レプリカ」と「バーチャル」の世界観
古川 俊弘

時間のおかわり


 自分の過去時間のサンプルを取り寄せてほしいというオーダーがあったとする。いくつかみつくろって提出する。無限の流れが奔流のように押し寄せ、受け取った瞬間から勝手気ままにサンンプルがあふれ出す。収拾がつかず瞬間を切り取る。と、永遠にその瞬間が続く。受け取ったほうは永遠に現在を積み重ねながら今を更新していく。自分自身で断片的に時間を拾い集めてみる。ほのかに残る記憶の断片を、感情を入れずに観察してみる。秩序がありそうでなさそうな時代の固まりが見えてくる。
 感情を注入する。時代背景や風景を注入する。徐々に鮮やかに時間軸が長さや量、区切りや密度を伴って再生されてくる。
 

 
 一生に一度の機会との謳い文句に誘われ、この夏、20数年ぶりに高校の同期会に参加した。あちらこちらで時間がとぐろを巻いていた。始めはおずおずと他人行儀な大人のような無味乾燥な会話をかわしながら「あっ、これだ」というエピソードを探しつつ一気に当時の世界へぐいぐいとお互いを引きずり込もうとする。フェイントをくらったような、自分でもすっかり忘れていた出来事や、その人なりの思い込みが波状攻撃で酔払い度を増していく頃、妙に秘密めかした声で「おまえ、あの娘のこと1年のとき好きだったよな」などと深刻めいた顔をしてヒソヒソ言われたりしつつ、当時の少年たちに向かい元女子生徒は「やっぱり○○君て△△なのよね」とか、いきなり現在の容貌とは似ても似つかぬ元男子たちに嬌声をあげる。
 奇妙な違和感とともに、妙にしっくりした風景が「今」の彼らを取り巻いていく。
 ほとんどがおよそ20数年ぶりに再開したはずで当時の姿しか知らないわけであるが、各々自分の記憶と印象を頼りにして、酒量とともにさまざまに軌道修正しつつ「今」を楽しみながら過去の時間をおかわりしている。
 それぞれがそれぞれにおかわりして束の間の再会に心をときめかし、自分の時間を跳び越えていく。
 
 
 時間が時間であることは、ただひたすら無限に流れ続け移り変わっていくことであろう。過去・現在・未来とは、現在・現在・現在…を過ごしていくことである。分とか日とか年とかその長さのありようを示す単位にすがりながらも時間を固定したり、しばりつけるのは難しい。ひとに与えられた1日という時間は同じ期間であるはずなのに流れ方や質や量が異なって見える。過ごす時間によって時間は変化すると感じさせられる。1日が長かった子供のころ、短いと感じる日、長いと感じる日、それぞれの年代、時代、風景、場所、場面などによって実感が違うのは誰しも思うことであろう。
「モモ」に出てくる時間泥棒は唯一、時間のみを相手にしている職業だ、などと思いつつ、時間が経つことを思いながら過ぎていく時間を過ごす、時間をつぶすことに時間を割く、時間が許す限り時間をつぶすことに時間をかける。などと遊んでみる。
 自分自身で時間の迷宮に入ってしまう。
 
 
 それぞれの思いや意識が、あることをきっかけに現在と重なったり、はるか底に埋もれていたものがいきなり噴出してきたりする経験は誰でもあるだろう。それをある程度自覚しておかわりできると面白いと思う。
 
 空に輝く星を眺めたりする時、何光年というとてつもない時間の広がりを思い出す。気の遠くなる時間というのは意識的にも物理的にも体験できる人はほとんどいない。
 でも自分のお気に入りの経験や記憶を反芻することは、さほど困難ではない。時間を跳び越えることを思うのもよくあることだ。タイムマシンやウラシマ効果を題材にした物語や映画は数多くあり、あきらめきれない興奮と夢をさそう。
 
 経験していない未来を獲得できないのと同じように、過ぎ去った時間を手に入れることが不可能と判っていながらも楽しいことや面白いこと、感動したことなどを再び経験したいと思う。半ば偶然に、長いこと脳裏に隠されてきた記憶の断片がふとよみがえり、あふれだす時、感情が揺さぶられる。自分の中に現れる時間は感動やしみじみとほろ苦いものとして口や脳の中を満たす。無限につらなる流れの瞬間を切り取り、改めてよみがえった時を過ごすのは時間のレプリカといえなくもない。今と向き合い過去と向き合い未来への思いを馳せる。
 
 時間に漂い遍歴することは夢を誘う。自分でありながら別の自分と出会うとき、記憶とは別の次元で素直に善意の贈り物。秋の夜長に時間のおかわりを頂戴しよう。
 
(ふるかわ としひろ/(株)丹青社 IMC事業部 業務・購買部 購買課 課長)

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