コラム * tannet flash
ショップス・ニューウェイブ
朝田 賢治

やんごとなき姫君たちのサンクチュアリ


  遅れてしまう。進んでいたかと思った時計に安心して歩調を緩めてしまった。 湧き上がってくるような寡黙な人々の波に逆行し、一目散に階段を駆け下りる。 電子音からなる出発音楽が奏でられ、そしてその音楽が途切れたその瞬間に…「プシュー」と閉まる扉に間一髪滑り込むことが出来た。 気恥ずかしくて伏せ目がちに周囲を窺う私に、なんとなく普段とは違う冷たい視線が向いているような気がした。 何故か周りはキャリアな女性ばかり。冷や汗が垂れて来た。視線に殺されそう。 これはもしかすると……最近良くある「女性専用車両」というもの。 私はやんごとなき姫君たちの「サンクチュアリ(聖域)」に入ってしまったのかぁ。
 

 
 とある高級住宅街にひっそりと佇む瀟洒な洋館。 パルテノン神殿の内部を髣髴とさせるイオニア式のポールの脇を過ぎ、石灰岩畳をまっすぐ進むアプローチの両側にオリエンタルなオーナメントの装飾が並ぶ 。扉を開け中に入るとタソス貼りでホワイト一色のレセプションがゴージャスにゲストを迎える。 今この時間と空間が自分のためのものであることに深い悦びを感じる。
 
 
 矢継ぎ早に寄せる商談をスーパーな笑顔でタフに乗り切る。 張り詰める緊張と内臓をえぐるテクノストレスから、循環系、リンパ系、 そして自律神経さえもバランスを失いそうな現代ビジネスウーマン。 彼女たちの救世主のようにオフィス街に雨後のタケノコの如く登場した癒し系の店が実にバラエティに富んだ展開を見せている。 美顔、足ツボ、肩もみ、痩身エステ、タラソテラピー、そしてヒーリングと枚挙に暇が無い。 そんなオーディナリーピープルの欲望を尻目に、やんごとなき姫君たちのためのサンクチュアリ、 高級隠れ家エステサロンが、静かなブームを起こしている。
 
 
 一日3組限定だから予約は3ヶ月先まで入らなかった。蓄積された疲れの分子が身体から剥ぎ取られていく感触。 北欧産の1キログラム数千円のアロマオイルを身体にまとい、エステティシャンの指先がデリケートな肌を優しく包む。 凡俗マッサージ系が10分単価1000円に対し、その3〜4倍は超えた高級価格であるが、 その解説はワールドワイドな能書が多い。 「ポートダグラスの高級スーパーで先住民の薬草の知恵やハーバルの原理を調和させたトリートメント」 「古代アーユルベーダのヒーリングシステムに基づいたインド式マッサージ」 「17世紀のジャワ王宮における甘美でリフレッシングなトリートメント」その他、バリ式、ハワイ式ロミロミ、 スウェーデン式そして日本式指圧、韓国式あかすり、台湾式リフレクソロジーなど。 まるでフランス料理のアラカルトを選んでいるような楽しい組み合わせが可能。
 
 
 身体を整えたあとには背中の大きく開いた腰の締まったドレスを着てみたくなる。少女のように胸が躍る。 髪を整えると心が弾む。タペストリー越しに対面テーブルで爪に化粧を施している。 テーブルサイドのわずかなスペースに南洋の花のオブジェクト。綺麗に爪をデザインすると気持ちが更に高ぶる。 周囲は可愛らしく色鮮やかなスカルプチュアがディスプレイされ、透明なガラスのブースの中でまどろむ刹那。 非日常が指先を見つめる自分に後押し、何故だか漲る自信を抑えきれない夢見心地。 夜空の星が狭小の指先に宿り、クライマックスがやって来る。
 
 
「隠れたい」心理は、人間の発する生気、機械が発する低周波や磁気や雑音などから少しでも距離を置いたところに身を潜めたいという切なる願い。 高級隠れ家エステサロンは増殖する「おひとり様」をコアターゲットに加え、 自分だけのセレブな「セルフご褒美」の定番となった。 追随するラグジュアリーホテルもゴージャスでは負けず劣らず、 ホテルならではのソフト力、総合力で新たな顧客獲得に凌ぎを削る。  ひとつご注意。ある地下データによると姫君たちが多額の借金を抱える理由は大きく3つあり、 そのひとつが「エステ通い」だと言う(その他2つはブランド製品とホストクラブ)。 悦びの時間をコーディネイトするやんごとなき姫君たちのサンクチュアリは危険もいっぱい。 それ相応のお付き合いをお勧めいたします。
 
(あさだ けんじ/(株)丹青社 商空間事業部 第3営業部 部長)
 

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