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■コラム * tannet flash ショップス・ニューウェイブ 朝田 賢治 中国に渡った青年社長
2004年1月、「中国ビジネス」を特集したTV番組に出演した渡邉美樹氏は、多くの人が行き交う香港の繁華街の人の流れに棹をさすように仁王立ちし、「この場所が絶対にいいよ」と嬉しそうに仲間に声を返した。その笑顔は一点、物件のある方向を凝視し仲間の顔など見ていない。高杉良の小説『青年社長』の主人公もいつしか、44歳となり、国内店舗数は有に300を超えていた。 ● 天安門事件の記憶が蔭を落とす中国の国内で、ケ小平の「南方講話」以来、急速に「経済建設中心」の市場開放機運が高まった。2001年12月のWTO加盟は中国による「国内の市場開放」が正に先進国の条件であり、そのために中国政府は流通を含むサービス分野の段階的対外開放を約束することとなった。中国進出に際しては小売分野も現地企業との合弁会社が条件となっていたが、外資マジョリティが可能となる日が漸く訪れたということだ。 日本では1991年のヤオハンが上海第一百貨店との合併を皮切りに、1993年に伊勢丹が上海に進出、追うように1995年にダイエーが、続いて1996年に西友、イオン、1997年にイトーヨーカ堂、ニコニコ堂、1998年にマイカル、平和堂、ホームセンターのコメリが上陸(カルフールは1995年、ウォールマート、オランダのマクロ、独のメトロは1996年に進出)。続々と中国に店舗を開店していった。 コンビニではローソンが上海に集中して1996年に進出(2002年度末で96店舗)。対抗する形でセブンイレブンジャパンは北京にてドミナント出店(2004年内に100店舗)を計画している。更に最近は、ファミリーマートが2010年までに上海を皮切りに3000店舗構想をぶち上げた。 アパレル大手はオンワードも独資にて中国内販売会社を設立し、本腰が入った。現在、レディスの「23区」と「ICB」、「KORS」の3ブランドを中国全土に展開し、その店舗数は 店舗を超えている。イトキンは早くからフランスの「ELLE」などインターナショナルブランドの生産を開始してきたが、上海に直営ファッションビルを開業、今後も沿岸都市を候補に同様の開発を推進していくという。ワールドも新規に開発した「BALHARBOR/バルハーバー」メンズブランドにより、2003年7月に直営店舗を出店。販路拡大中である。ユニクロを展開するファーストリテイリングは全商品を中国で生産していることで周知の企業であるが、試行錯誤の中、現在上海に6店舗を展開している。価格はほぼ日本と同じであるため中国人にとっては決して安い価格ではないとも聞く。 ●
中国の人口は13億人とも言われている。単純に比較すれば日本の10倍になる。だが流通外資が巨大マーケットに目がくらみ、過大かつ性急な出店をした結果、華やかな進出の蔭で撤退を余儀なくされた事例が多いことを認識しておかなければならない。時期、場所そしてなによりも刻々と変貌していくマーケットに機敏に対応できない出店スタイルでは進化の速度が速いだけに淘汰も早い。北京から西へ2000キロの成都では、ここ3〜4年で売り場面積が1万m2を超える大型店は外資19社を含め48店が出店。そのうちプランタンをはじめ14店舗が閉鎖。北京でもプランタン、西友が資本を引揚げ、店舗は閉店したという。(「日経流通 2/ 14 」)総じて日本のマスコミは中国への流通進出には、被害者的な報道が多かった。失敗事例の代表ではヤオハンが有名であるが、中国国情、国の施策的な、慣習的な、労働習慣上の諸問題にて排他的であると中国を批判、誹謗する記事がほとんどである。中国進出に失敗したヤオハンにおいて、和田社長のよく言われる敗因第一点は、中間管理職以上のスタッフがほとんど日本人だったこと。その当時の日本人幹部一人分の給料で 人の現地スタッフを雇用可能な状況であった。 オリンピック、万博という世界的行事を目前に控え、急速な産業の変化と労働の流動化を経験する中国で、進出する日本の企業各社は、先達の教訓をどう活かすことができるだろうか。中国4000年の歴史に新たに刻まれる転換点をこの瞼にしっかりと焼き付けておかなければならない。 (あさだ けんじ/(株)丹青社 商空間事業部 第3営業部 部長)
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