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■ケーススタディ 20世紀は万博の世紀
世界を魅了してきた 時代の先端をゆくテクノロジーに未来の夢を見た 万国博覧会は、19世紀半ば(1851年)のロンドン万国博覧会を創始とする。このときにガラスと鉄骨で造られた、長さ約564mの巨大な温室は、クリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれ、ロンドン万博のシンボルとなり、その後、20世紀を代表する植物園の形態になった。その頃、西ヨーロッパを中心にアールヌーボーの流行の兆しが見えはじめており、ロンドン万博を契機に、この新世紀の芸術が大いに花開くこととなったのである。 その後、1873年のウィーン万博をはじめ、数年に1度、欧米諸国で開催される万国博覧会は隆盛した。 日本は1867年のパリ万博から参加しているが、ウィーン万博では日本ブームが巻き起こり、いわゆるジャポニズムがヨーロッパ中に広まることになった。このときの日本の人気はすさまじかったようで、いまでも中部ヨーロッパでは、ジャポニズムの展覧会は人気があるほどだ。 その後も、1900年に開かれた3回めのパリ万博では電気が、1904年のセントルイス万博では自動車が登場するなど、時代を反映するテクノロジーに彩られた万国博覧会が続いていく。 まさに20世紀は万博の世紀であったといってよく、万博ブームは1980年代まで続く。それはとりもなおさず、産業の発達に人類の輝かしい未来を夢見ていた時代でもあったのだ。 日本ではじめて博覧会が行なわれたのは、1877(明治10)年、東京・上野で開催された第1回内国勧業博覧会が最初である。江戸時代から博覧会らしき催しは多くあったが、「博覧会」として行なわれたのは、これがはじめてだったといわれる。この博覧会は帰朝した大久保利通に指導されたもので、欧米の万国博覧会をモデルに推進された事業であったようだ。 いわゆる世界レベルの「万国博覧会」が開催されたのは、高度経済成長期の1970年、大阪においてであった。このときのテーマ「人類の進歩と調和」からもわかるように、人類のさらなる飛躍、発展に国を挙げて酔っていた時代だった。6400万人という驚異的な入場者を記録し、人気パビリオンには2時間待ちが普通という長い列ができていたことを記憶している人も多いはず。 その後、沖縄国際海洋博覧会(1975年)、国際科学技術万国博覧会(つくば万博・1985年)、国際花と緑の博覧会(大阪・1990年)と、特別博覧会は3回開催されているが、今回の愛・地球博は35年ぶりの一般博覧会になる。
変わる博覧会 21世紀の新しい博覧会の実現を目指して 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)以来、久しく絶えていた国内の博覧会も復活した。特に年に1〜2回開催される地方博は1980年〜1990年代には隆盛を迎えた。 各地の特徴を活かした地方博では、名称や演出、会場となるパビリオンも個性的で、会期中の来場者も数百万人を数えるほどである。 しかし、国際博覧会がそうであるように、いま、博覧会そのものが「曲がり角」に来ていることは確かである。 そのことはテーマの設定をみても明らかであるが、世の中の趨勢に合わせたあり方が模索されてきており、会場計画にもバリアフリー・ユニバーサルデザインや環境に配慮した工夫がみられるようになっている。そうした転換を迎えているだけに、世界に向けて21世紀の新しい博覧会の姿を発信しようとしている「愛・地球博」に大きな期待が集まっている。
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