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■ケーススタディ 總本山醍醐寺 霊宝館
文化財の万全の保護管理を図るとともに 笠取山上の上醍醐から麓の下醍醐まで約180万坪という広大な寺域を誇る醍醐寺は、その重ねた歴史を物語るように、古文書や美術工芸品、建造物など貴重な歴史的資料が膨大に残されている。国宝・重要文化財に指定されているものも多く、それらの総数が一体どのくらいなのか、いまもって推測の域を出ないという。 霊宝館の裏には、展示室よりはるかに大きい収蔵館が3棟建っている。同寺の、世に言う「醍醐寺文書」については明治時代から調査がはじまり、現在では醍醐寺文化財研究所(昭和52年に設立)の研究者により調査・研究・整理等の作業が行なわれている。これもいつ終わるとも知れない遠大な取組みなのである。 そうした経緯から、所蔵品の調査・研究や外部への資料の貸出し等の判断などについては文化財研究所が一切を行ない、寺側はそれらの万全な保管・管理および一般への展示公開を行なうというように役割分担が明確化されている。 ただ、いずれの立場にせよ、これら貴重な文化財をどう安全に収蔵していくかは大きな課題であり、調査の進行に合わせる形で昭和9年に最初の霊宝館が建設され、次いで昭和54年には収蔵庫3棟を増築、そして昨年10月に今回紹介する霊宝館がオープンするに至っている。正確にいうと、昭和9年に建設された展示棟(本館)をリニューアルするとともに、新たな展示施設として平成館を新設し両者を渡り廊下でつないだものである。 これまでの施設が収蔵品の増加に対応するものだったのに対し、今回の主目的は、いまなお消防車が入ることができない上醍醐の薬師堂に安置されていた薬師三尊像を火災の危険から完全に守ることにあった。これには昭和14年の山火事により、清瀧宮本殿・准胝堂・経蔵を消失した苦い経験があるが、「信仰の対象であるご本尊を、本来あるべき場所から持ち出すことに対する異議も多く、文化財として保護していくべきだという認識で合意されるまでに60年という時間を要したことになります」(醍醐寺広報室長 長瀬福男氏)というように、寺院ならではの文化財保護の難しさも窺わせている。 このため平成館は、建物に500年耐久コンクリートを使用し、内部には薬師三尊像を安置する内陣と、寺としてのお勤めができるスペースを確保。また寺所蔵の宝物を展示する大展示室が設けられ、その間は仕切りを降ろせる構造になっている。このほかに樹齢180年のシダレ桜を眺望できるよう工夫された休憩室もあり、悠久の時の流れを思い起こさせてくれる。
データ 2002年6月現在
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