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■ケーススタディ 開業当時の外観を可能な限り再現 鉄道文化を伝える展示室とレストランを備え 多数の利用者で賑わう 旧新橋停車場 旧新橋停車場は、1872(明治5)年に開業したわが国最初の鉄道ターミナル駅舎を当時と同じ場所に、開業当時の姿(外観)で建設することを目指して再建されたものである。 日本の近代化を象徴する存在でもあった新橋駅は、1914(大正3)年、東京駅開業により旅客ターミナル機能が移ってからは貨物専用の汐留駅となったが、駅舎は1923(大正12)年に関東大震災直後の火災で焼失し、その後拡充された貨物ターミナルとしての機能も1986(昭和61)年にはその使命を終えていた。1987(昭和62)年、広大な敷地は国鉄の民営化に際して国鉄清算事業団に移管されて、国鉄が残した巨額の債務を返済するため売却されることになった。区画整理事業に先立って埋蔵文化財調査が行なわれ、長らく地中に埋まっていた旧駅舎とプラットホームなどの礎石が発掘され、その一部が国の史跡として指定されることになった。 国鉄清算事業団では、その歴史的意義を重視し、史跡の上に旧駅舎を復元・保存することを決定。JR東日本が設立した(財)東日本鉄道文化財団へと事業が引き継がれたのである。史跡に指定された場所が属する汐留再開発地区B街区は、三井不動産(株)、アルダニー・インベストメンツ社、松下電工(株)の共有地となったが、史跡部分に国鉄清算事業団が区分地上権を設定し、同財団はこれを無償で譲り受け、この地上権に基づいて遺構の真上に旧駅舎とプラットホームの一部を再現することになった。 可能な限り当時の姿を再現するとはいえ、設計図自体は失われており、遺構の寸法、残存するわずかな平面図、開業直前に撮影された鮮明な写真を手がかりに、コンピュータによる3次元解析を活用することで実現にこぎつけている。「誤解されやすいのですが、当時の建物をそっくりそのまま復元したわけではありません。駅舎内部の構造についてはよくわかっていませんし、外観も細部についてはわからない部分があり、また当時と同じ材料の入手は困難です。したがって、正確にいえば、往時の外観をできるだけ忠実に再現しながら、現代の建物としてつくったのがこの施設です。設備面でも建築基準法に則り、車椅子用スロープや給排水設備、熱源取り入れ口など、現行法令に基づいた機能を満たしています。そういう意味では、“Restoration(復元)”ではなく、“Reproduction(再生、再現)”というべきでしょう」((財)東日本鉄道文化財団 専務理事・菅 建彦氏)。
とはいえ、往時の姿を偲ばせるには十分であり、文明開化期の洋風建築が醸し出す独特の雰囲気は、近代的なビル群の立ち並ぶ中にあって、ホッと心を和ませてくれる。 駅舎に連続して、25mだけではあるがプラットホームも再建され、その横には1873年の英国製双頭レールを敷設、また建物内には入場無料の「鉄道歴史展示室」が設けられている。ここでは創建当時の駅舎基礎石遺構を見られる見学窓や出土品などの実物展示のほか、映像展示などの常設展示が行なわれ、また年3回企画展が開催される。 さらに、「できるだけ多くの人に来てもらえる施設にしよう」という意向から、建物の大部分は洒落たレストラン「グランカフェ 新橋 ミクニ」として使われている。ジェイアール東日本フードビジネス(株)が三國清三シェフと提携し、同氏のプロデュースによって実現したもので、1階はカフェレストラン、パリ風の回転寿司、ケーキやパンなどのテイクアウトコーナーからなり、2階は東京でも最高級のフランス料理を楽しめるサロンとなっている。 「オープン初日が2,232人、最初の日曜日には3,000人を超えました。それ以降も週末には1,000人くらいの方がいらっしゃいます。正直いってこれほど大勢来ていただけるとは思っていませんでした。鉄道にはどこかノスタルジーを呼び起こす要素があるのかもしれませんが、シオサイトの中で一番小さい施設に、これだけ注目が集まるのは人々の心に触れるものがあるからでしょうね。これからも、この地区のシンボル的な役割を担っていければと思います」(菅氏)。
関連サイト: 財団法人 東日本鉄道文化財団 データ 2003年6月現在
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