琵琶湖と人の関わりを
水産業や食文化を通じて考える
空間演出型展示
1996年10月に琵琶湖湖畔に開館した滋賀県立琵琶湖博物館は、「湖と人間」を主題に掲げるテーマ型総合博物館として開館以来、幅広い層から注目を集めているが、同館では2000年7月15日から11月23日にわたり企画展「湖の魚・漁・食 淡海あれこれ商店街」を開催した。
同展は、企画展示室全体を使って大人には懐かしいちょっと昔の商店街のイメージを構築。魚屋、食堂、宝飾品店、本屋、漁具店、映画館などの環境演出を盛り込み、これらの店舗やそこで扱う商品を通じて、琵琶湖と人のつながりを考えようというユニークな試みだ。
まず「淡海商店街」と名づけられたアーケードを模した入口を入ると、中央に延びる「あれこれ本通り」の左右に各商店が建ち並び、その町外れには漁港までが用意されている。「店舗構成」は別表のとおりだが、その空間は企画展という仮設のものながらディテールにまでこだわったリアルなものとなっており、来場者をノスタルジックな世界に誘う。
そのなかで、たとえば魚屋の店頭では、かつて琵琶湖で獲れ、一般家庭の食生活のなかでも日常的に親しまれてきたものの、近年は環境の変化で非常に少なくなったヒガイやギギなどの魚類を縁台の上にレプリカで展示。また隣接する食堂では、こうした魚を使った同地ならではの調理法を再現し復元したメニューを並べたり、漁具店ではかつて使われていた漁具を展示する。また、映画館ではやはり昔の琵琶湖の水産にまつわる映像を上映する、といった具合だ。
そもそもこの企画展は、豊富な淡水魚や貝類を育み、水産業を通じて人々の食と密接な関係を有していた琵琶湖について、そこに棲む魚の生態や独特の漁具・漁法、さらには湖魚の食文化などの紹介を通じて考えてもらおうという主旨のもとに企画された。そのため展示についても、台所や食卓、商店街というところから琵琶湖にまでさかのぼるストーリーをベースに、来場者に琵琶湖との関わりをより親しみやすく身近に感じてもらうことを意図したものとなっている。
前述のように空間演出に工夫を凝らすのみならず、運営面でも入口そばの魚屋には長靴・前掛け姿の店員に扮した館スタッフが配されて展示のポイントを解説し、商店街各店へのスムーズな誘導を実現する導入としての役割を担う。そのほか商店街の一角に設けられた畳敷きの「集会所」では、地元の漁師や料理研究家などを招聘してレクチャーを随時行なうなど、空間に溶け込んだ形で、地域を巻き込んだ情報発信にも積極的な姿勢をみせている。
会期中の来場者目標は3万人としているが、9月末日時点ですでに3万6000人以上が来場し、10月も児童の遠足で連日の盛況をみせるなど高い人気を博した。
滋賀県立琵琶湖博物館 館長
川那部 浩哉 氏
館内外の協力のもと
来場者の声にも耳を傾けつつ
柔軟な姿勢で展示を考える
私は学生の時からアユを研究してきましたが、その当時、教授に「魚学とは食べるまでが学問だ」と言われたことが非常に印象に残っています。つまり魚の生態調査や研究を行なうには、最後に魚を食べるところまで含めていかないと学問にならないということですね。そこで、私も研究のために獲った魚は、標本として保存するもの以外は極力おいしくいただくようにしてきたのです。
ですから、今回の企画展のように、琵琶湖に棲む魚の生態などだけに焦点を当てるのでなく漁法や魚を使った料理、食文化まで含めた総合的な視点というのは、個人的にも興味深いものがあります。
実際の展示空間については、最初担当の学芸員から「商店街を屋内に創り出す」と開いた時、アクが強くなりすぎ、下品になりはしないかと心配しました。しかし、実際にできた空間をみると、生活文化がうまく表現されており、なかなか面白いと思います。 とくに私に興味があるのは、あの空間や展示を小中学生など今の子どもたちが見て、何をどう思うか、ということです。中高年層が懐かしいと感じるのは当然でしょうが、若い人たちがこの展示に触れることで、これからの自然との付きあいかたや暮らしかたを考えるきっかけとなつてくれるといちばんうれしいですね。
当博物館の企画展は、常設展示だけでは展示しきれない、館が所有する膨大な資料の公開の場という一般的な面のほかに、館内部だけでなく、県民をはじめ他の博物館や研究機関などを含めて外部と積極的に連動しながら、最新の研究成果や情報を発信していくというものです。
当館の場合、「湖と人間」という主題のもとに、自然・生物・歴史・環境など、非常に多様な専門分野の研究者が揃っており、今回の企画展もそれぞれ専門の異なる3人の学芸職員が共同でひとつの主題を追求したところに、独自のものができた要因があるといえます。それと同時に館内部のみならず、広く県民の方々の協力があってはじめて実現できた部分も少なくありません。このように、館の内外で共同しながらつくりあげていくのが、企画展の理想的なあり方のひとつだと思います。
また、会期中に来場者の声や意見を採り入れて、変更できる部分は変更していく姿勢も重要だと思います。これは常設展でも同様なのですが、いったんつくったらそのままという固定的な展示ではなく、つねに新しい情報を盛り込んで柔軟に対応していくことも必要です。今回の企画展では来場者の声を吸い上げて展示に活かして行く試みもするようですが、こうした姿勢は今後の館運営においても大切にしていきたいですね。
滋賀県立琵琶湖博物館
交流センター科主査
桑村 邦彦 氏
身近な興味を喚起し
知識や情報を買って帰れる
「商店街」を構築
| まず、今回の企画展はどのような経緯で発案されたのでしょうか。 |
当館では館全体として「湖と人間」というテーマを掲げて運営しているわけですが、今回の企画は琵琶湖に棲む魚を獲って食べる、つまり水産業や食文化という視点を通して琵琶湖を捉えると、今までとは違った姿がみえてくるのでは、というのが発端になっています。当初は、2000年に当地の水産試験場が100周年を迎えることから、これを軸に「琵琶湖の水産業100年」とでもいうようなテーマでスタートしました。
| それが最終的に、商店街というユニークな展示に結びついたのは。 |
いくら素晴らしいことを訴えたとしても、親しみやすさに乏しかったり、むずかしそうにみえてはお客さんに観にきてもらえません。そこで、2年以上の時間をかけて、丹青社さんとともに検討を重ねてきたわけですが、そこで出てきたのが、魚料理を前にして、この魚はどこから来たのか、どうやって獲られたのか、といった素朴な疑問を入口に、身近なところから遡って考えてみたら水産業もわかりやすい展示になるのではないか、と。
となると、一般の人々にとっては、魚を食べるうえで家庭の台所や魚屋さんの店先などが魚との最初の接点であり、そこから湖と何らかの関連をもつ「店舗」を集積した「商店街」そのものを展示空間としてみせてはどうか、という発想が出てきたわけです。
| たしかに水産業とは何か、といわれても専門的すぎて、一般的には身近なイメージはありませんね。 |
そもそも水産業とは人間が魚を食べるために獲る、つまりは魚を殺すことです。そこだけで「かわいそう」という反応が返ってくる場合もしばしばです。しかし、人間は生きるうえで、基本的に生き物を殺して食べていかなくてはならない存在。人と琵琶湖との付き合いのなかには、こうした側面もあることもまずは知ってほしい。
さらに、食べるということは人間にとって文化でもあります。たとえば「フナズシ」をはじめ、そこには昔ながらの人の知恵が生きている。こうした伝統的な料理を伝えることも、湖や魚との付き合い方を考える契機になるのではないか、と思うのです。
| そこで食文化もテーマに組み込まれたと。しかしすでに今日では、食へられなくなった魚料理も少なくないようですね。 |
それには2つの理由があり、ひとつは近年の食生活の変化で、核家族化の進展に伴う家族構成の変化によって、家庭での料理メニューが子ども中心になり、古来の伝統料理が廃れていったこと。もうひとつが、食材である魚自体が獲れなくなってきたことです。ワタカやギギなど伝統料理に使われた魚が琵琶湖から姿を消してきており、これらのことから湖魚を使った食文化が失われつつあるのです。
| この企画展の運営面ではどのような工夫をされていますか。 |
商店街の形はとっていても、実際に来場者がモノを買ったり、食べたりすることはできませんから、直接的な体験やメッセージは伝えにくいという制約がありました。そこを運営面でどう工夫するかがポイントとなったのですが、本来は、すべての店に来場者への解説を行なう「店員さん」を配置するのがベストです。が、そこまでは困難だったため、商店街への入口となる魚屋さんをキーステーションとして館のスタッフを配置し、そこから各店へと来場者を誘導していけるような流れをつくっています。
また、実際の買い物や食事は不可能でも、来場者自らが見たり聞いたり触ったりして五感を通じて知識、情報を持ち帰れるような「商店街」を目指しました。たとえば街角の「集会所」は、地元の漁師や料理研究会などの方々をお呼びしてレクチャーなどができるフリースペースとしています。さらに展示室内には滋賀県各地の湖魚伝統食のレシピを掲載した『ひがいや新聞』と名づけた新聞形式のパンフレットや、お店を回遊してクイズに答えながら知識を得られる「お買い物メモ」を用意したりして、「知識や情報を買える商店街」としています。
またこの企画展に関連して、観察会などの館外イベントや常設展なども体験してもらいながら、トータルでメッセージが伝えられればと思います。つまり今年は館の内外で、「湖の魚・漁・食」というテーマを打ち出していこうと。展示だけで収まらない部分を館全体で訴求できるような運営体制を心がけています。
| 企画に際しては、どのような人々を対象として想定されましたか。 |
滋賀県に住む人でも30歳以下の若い世代では琵琶湖の魚や漁業については意外と知らない人が非常に多い。そうした人たちに向け情報を提供しようというのがこの企画展の主旨でもあります。基礎的なことをまったく知らない人がいる、との前提のもと、いかにこのテーマについて興味をもってもらえるか、という観点から解説パネルの文章ひとつについても作成しています。
| 実際の来場者の反応はいかがですか。 |
空間演出として設置された小物類などに対する懐かしさなど、個人的な思い出などがある方もそれぞれいらっしゃるようで、こちらが予想もしていなかったところで感動されているケースもあります。一方、空間に溶け込むような小さな解説パネルなどの存在にも気づいて読んで納得されている姿をみるととても嬉しいですね。
こうした来場者からの声にも耳を傾けていこうと、展示室内に、展示についての自由な感想やメッセージ、さらに独自の情報などを残せる「ご意見ボード」も設けました。この情報を会期中に展示にフィードバックして、更新していけるようなスタイルを想定してのことです。
| 来場者と館との双方向の情報の交換により展示が変化していくのは興味深いですね。 |
われわれ展示側と来場者側の思いの共通点あるいは相違点が明確に把握できますから、今回だけでなく次の展示などにも活かせる貴重な財産になると思います。
| さて今回の企画展を振り返っていかがでしょうか。 |
人々の記憶のなかにあるひと昔前の空間をモチーフにして環境を構築するという今回の企画の性格上、展示空間と展示物との間に整合性がなくては説得力が欠けてしまいます。そこで空間が決まらないと展示物も決まらないというむずかしさもあり、最初はイメージが掴めず苦労した点もありましたが、そのぶんやりがいもありましたね。
しかし、ここではひとつの価値観を来場者に押し付けているのではなく、多様な価値観の存在を、まず知ってもらうことを念頭に置いたつもりです。あくまでも「答」は博物館にあるのではなく、フィールドにこそあるからです。この企画展がさまざまな視点から琵琶湖と人のつながりを考えるきっかけになってもらえれば、と思います。
(株)丹青社 関西支店
デザイン部プランナー
津田 真
多様な感じ方や記憶を収束する
リアリティに富んだ展示空間を創造
当初、館の方からは琵琶湖における水産業を食文化という観点から感じ取ってもらえるような企画の切り口を提示されました。私自身が当地出身のため、湖魚との触れ合いやそれらを使った魚料理などとは身近な接点があり、こうした視点には非常に共感するものがありました。
しかし、まず困ったのは、食卓から琵琶湖を考えるというテーマでありながら、「食べる」という直接的な行為は博物館の展示のなかではいわば禁じ手です。そのなかでいかに来場者にリアルな「ごちそう感」を訴えられるかに悩みました。
と同時に、琵琶湖の食文化に対する人々の感覚は実に千差万別だと気づきました。とくに年齢による差が大きいため、これらをひとつに引っくくるような空間をつくるしかない。こういったことから、空間全体を昔あったような商店街として形作り、そこに展示物を盛り込みリアリティを生み出すというアイデアにつながったわけです。
ここで世代の異なる来場者同士が何らかのイメージを共有したり、親子などの間で「昔はこんなんやったんや」などの会話が発生してくれれば、そこが本企画展のスタートのスイッチになるのでは、と思います。ですから空間の演出については、厳密な時代設定などを設けたわけではなく、琵琶湖で獲れた魚が日常的に食卓に並んでいた時代を実体験として覚えている年齢層が、当時を振り返れるような生活要素を並べています。これを契機に異なる世代間の会話のとば口になることを目的とし、来場者のさまざまな感じ方や知識、体験の記憶をひとつのところに集約する機能を優先したわけです。
企画の初期段階では、まず、館側のスタッフの方々と県内に残る当時の商店などの現地調査からスタートしました。これによって、私たち製作者側とのイメージの共通基盤をつくろうとしたわけです。同様に、湖魚を使った伝統料理のメニューの製作や撮影を兼ね、一緒にその料理を食べるなどして共通の認識をつくりあげていきました。
実際の展示製作においては、企画展ということで予算的にも制約があったのですが、映画のセットなども手がける造作会社、レプリカの製作会社、グラフィック製作会社などを回ると、当初は金額的にも限定的な捉えられ方をされましたが、説明をするうちに「これおもしろいやん」と自ら興味を抱いてくれるようになっていきました。その結果、プロ意識を発揮して製作にのめりこんでもらえ、当初の想像以上にリアリティのある世界をつくりあげることができたと思います。
各店名も展示の内容や要素をひとひねりして意味づけしています(→展示構成)。漁具店にいたっては、館長さんのお名前を勝手に拝借したのですが、快くしゃれも解っていただけました。
特に苦労したのは、最初からトータルで世界をつくり込むのではなく、それぞれにふさわしいアイテムをかき集めてきてひとつの世界を表現するという手法で進めたことから、空間全体としての整合性をどう実現するか、といった部分ですね。
いずれにしても、本当にさまざまな感覚をもった人たちにこの企画展で時間・空間を共有してもらい、それぞれの興味を何らかの形で刺激し、喚起することができれば、お手伝いしたわれわれとしては大変うれしいことですね。
| [会期] | 2000年7月15日〜11月23日 |
| [会場] | 滋賀県立琵琶湖博物館 企画展示室 |
| [連絡先] | 077-568-4811 |
| [開館時間] | 9:30〜17:00 (入館は16:30まで) |
| [休館日] | 月曜日、休日の翌日 |
| [観覧料] | 大人900(700)円 高校生・大学生700(550)円 小・中学生450(350)円 ※()内は20人以上の団体料金 常設展示も観覧可能 |
| [来場者目標] | 3万人 |
| [展示企画・製作] |
丹青社 |
| [展示構成] | |
●淡水魚専門「魚比良」 ![]() 展示についてのクイズなども盛り込み、来館者の積極的な興味を喚起 ![]() 伝統的な料理法を記した新聞形式のレシピ『ひがいや新聞』 |
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